和田 武 著『環境と平和 憲法9条を護り、地球温暖化を防止するために』
(「図書新聞」09.11.7号)
地球温暖化問題が国際的レベルで本格的に討議(温室効果ガス削減を謳った京都議定書は97年12月に締約国間で議決)され出してから、十年以上経過している。この十年で、温暖化問題は進捗しただろうかといえば、各国の様々な思惑も絡み、わたしたちから見れば、明らかに停滞した状態にあるといわざるをえない。
この間、わが国でも様々な論議が、温暖化問題をめぐってなされてきた。省エネ、リサイクルの推進、本書の後半部でも詳述されている太陽光発電、風力発電、バイオ熱利用といった再生可能なエネルギーの取り組みといったことなど、温暖化防止への大きな流れがあり、一方では、CO2と温暖化の関連に疑問を提示し、そもそも温暖化に対して過剰に危機感を持つことに警鐘を鳴らす流れも出来つつある。それらを、著者は、「地球温暖化懐疑論」の横行として、厳しく批判している。
「『地球温暖化懐疑論』の著者のほとんどがこの分野の専門家でないのが特徴です。通常、科学者はすでに科学的に証明されている定説を否定したり、反論する場合、十分な証拠に基づいて慎重に論理展開するものですが、『地球温暖化懐疑論』では、いずれも都合のいいデータだけを用いたりして、自らが主張したい結論に導いている点でも共通しているようにみえます。」(24〜25P)
わたしは、科学者が出したデータだから、信用できるという立場はとらない。科学的論証に対して、非科学的な反論だからといって、反論自体を否定する論拠にはならないと思う。しかし、著者が、「地球温暖化懐疑論」は、「CO2排出抑制に抵抗している産業界」に利するものだという批判もわからなくはない。ただし、エコカーだ、省エネ家電だと大々的にCM攻勢をかけて、消費力を煽っている企業の有様をみていると、わたしでも「温暖化論」に楔を入れたくなる。エコカーにしても、省エネ家電にしても、従来通りに石油や電力消費に頼らざるをえないわけだから、甚だ矛盾した省エネ推進だといわざるをえない。結局は、コスト高を承知で、再生可能なエネルギー商品を安価に消費者に提供するぐらいのことをしないかぎり、産業界は、たんに環境問題に便乗したビジネスを進めているとしか見えないといっていい。
さて本書の最大の眼目は、書名からも類推できる通り、「軍事的国家安全保障から環境保全的人間安全保障へ」というものだ。
原発問題は、環境汚染の観点から、批判の対象とされているが、ほんらいは隠された問題があるのだ。政府や電力会社は核開発と原発はまったく次元が違うし連動性はないと主張し続けているが、科学的反証はできなくても、そんなことは誰も、真に受けるはずがない。原発の先にあるものは、核開発であり、当然、核武装であることを、わたしたちは認識しておくべきである。国際会議の会見で酩酊して財務大臣を辞任した中川昭一は、核保有論者として知られている。自民党の多数、民主党の一部議員に、九条改定、核保有を志向する論調があることは、環境危機よりも、真っ先に重大なことだとわたしなら思う。
「軍事活動は、膨大な資源とエネルギーを消費します。(略)自衛隊全体の燃料利用によって排出されるCO2はどの程度か、推定してみましょう。(略)総石油消費量2.2億トンの約0.8%に当たる約170万トンが自衛隊関連で消費されているとみていいでしょう。それだけの石油燃料から生じるCO2は530万トンにもなります。」(65〜68P)
さらに、具体例も「戦車が一時間走行するだけで……普通乗用車一年分の燃料消費」、「戦闘機が一時間飛ぶだけで……普通乗用車八年分の燃料消費」、「戦艦が一時間航海するだけで……普通乗用車二十一年分の燃料消費」などと示されている。
これに、在日米軍が消費する量と排出する量を加えてみれば、わたしたちが、日常的に積み重ねている省エネ・リサイクルへの取り組みは、まったく無意味なものと考えたくなるというものだ。
また、イラク戦争での03年3月から07年10月までの総CO2排出量は、一億4,100万トンというデータもあるという。
「軍事行動や戦争は人間の生命を脅かすと同時に、環境破壊をもたらしながら、膨大な資金を費やしています。地球温暖化を中心とする環境破壊を防止するには資金が必要ですが、軍事費を削減し、環境保全に振り向ければ、地球温暖化などに必要な資金問題は解決できるのです。(略)憲法9条を守り、その精神を世界中に広めることと、CO2の大幅削減を通じて地球環境保全を強めることは、相互に補完し合いながら発展させていける関係にあります。」(139〜140P)
著者のこの提言に対して、まったく異論はない。ミリタリーバランスを競ったところで、どんな国力誇示となるのだろうかと思う。環境と九条理念を考えていけば、軍事力というものは、所詮、幻想の国家力でしかないのだと、もっと声高に主張すべき段階に、いま差し掛かっているといいたい。
(あけび書房刊・09.6.15)
(「図書新聞」09.11.7号)
地球温暖化問題が国際的レベルで本格的に討議(温室効果ガス削減を謳った京都議定書は97年12月に締約国間で議決)され出してから、十年以上経過している。この十年で、温暖化問題は進捗しただろうかといえば、各国の様々な思惑も絡み、わたしたちから見れば、明らかに停滞した状態にあるといわざるをえない。
この間、わが国でも様々な論議が、温暖化問題をめぐってなされてきた。省エネ、リサイクルの推進、本書の後半部でも詳述されている太陽光発電、風力発電、バイオ熱利用といった再生可能なエネルギーの取り組みといったことなど、温暖化防止への大きな流れがあり、一方では、CO2と温暖化の関連に疑問を提示し、そもそも温暖化に対して過剰に危機感を持つことに警鐘を鳴らす流れも出来つつある。それらを、著者は、「地球温暖化懐疑論」の横行として、厳しく批判している。
「『地球温暖化懐疑論』の著者のほとんどがこの分野の専門家でないのが特徴です。通常、科学者はすでに科学的に証明されている定説を否定したり、反論する場合、十分な証拠に基づいて慎重に論理展開するものですが、『地球温暖化懐疑論』では、いずれも都合のいいデータだけを用いたりして、自らが主張したい結論に導いている点でも共通しているようにみえます。」(24〜25P)
わたしは、科学者が出したデータだから、信用できるという立場はとらない。科学的論証に対して、非科学的な反論だからといって、反論自体を否定する論拠にはならないと思う。しかし、著者が、「地球温暖化懐疑論」は、「CO2排出抑制に抵抗している産業界」に利するものだという批判もわからなくはない。ただし、エコカーだ、省エネ家電だと大々的にCM攻勢をかけて、消費力を煽っている企業の有様をみていると、わたしでも「温暖化論」に楔を入れたくなる。エコカーにしても、省エネ家電にしても、従来通りに石油や電力消費に頼らざるをえないわけだから、甚だ矛盾した省エネ推進だといわざるをえない。結局は、コスト高を承知で、再生可能なエネルギー商品を安価に消費者に提供するぐらいのことをしないかぎり、産業界は、たんに環境問題に便乗したビジネスを進めているとしか見えないといっていい。
さて本書の最大の眼目は、書名からも類推できる通り、「軍事的国家安全保障から環境保全的人間安全保障へ」というものだ。
原発問題は、環境汚染の観点から、批判の対象とされているが、ほんらいは隠された問題があるのだ。政府や電力会社は核開発と原発はまったく次元が違うし連動性はないと主張し続けているが、科学的反証はできなくても、そんなことは誰も、真に受けるはずがない。原発の先にあるものは、核開発であり、当然、核武装であることを、わたしたちは認識しておくべきである。国際会議の会見で酩酊して財務大臣を辞任した中川昭一は、核保有論者として知られている。自民党の多数、民主党の一部議員に、九条改定、核保有を志向する論調があることは、環境危機よりも、真っ先に重大なことだとわたしなら思う。
「軍事活動は、膨大な資源とエネルギーを消費します。(略)自衛隊全体の燃料利用によって排出されるCO2はどの程度か、推定してみましょう。(略)総石油消費量2.2億トンの約0.8%に当たる約170万トンが自衛隊関連で消費されているとみていいでしょう。それだけの石油燃料から生じるCO2は530万トンにもなります。」(65〜68P)
さらに、具体例も「戦車が一時間走行するだけで……普通乗用車一年分の燃料消費」、「戦闘機が一時間飛ぶだけで……普通乗用車八年分の燃料消費」、「戦艦が一時間航海するだけで……普通乗用車二十一年分の燃料消費」などと示されている。
これに、在日米軍が消費する量と排出する量を加えてみれば、わたしたちが、日常的に積み重ねている省エネ・リサイクルへの取り組みは、まったく無意味なものと考えたくなるというものだ。
また、イラク戦争での03年3月から07年10月までの総CO2排出量は、一億4,100万トンというデータもあるという。
「軍事行動や戦争は人間の生命を脅かすと同時に、環境破壊をもたらしながら、膨大な資金を費やしています。地球温暖化を中心とする環境破壊を防止するには資金が必要ですが、軍事費を削減し、環境保全に振り向ければ、地球温暖化などに必要な資金問題は解決できるのです。(略)憲法9条を守り、その精神を世界中に広めることと、CO2の大幅削減を通じて地球環境保全を強めることは、相互に補完し合いながら発展させていける関係にあります。」(139〜140P)
著者のこの提言に対して、まったく異論はない。ミリタリーバランスを競ったところで、どんな国力誇示となるのだろうかと思う。環境と九条理念を考えていけば、軍事力というものは、所詮、幻想の国家力でしかないのだと、もっと声高に主張すべき段階に、いま差し掛かっているといいたい。
(あけび書房刊・09.6.15)