軍事費削減による地球環境保全を提言

和田 武 著『環境と平和 憲法9条を護り、地球温暖化を防止するために』
(「図書新聞」09.11.7号)

 地球温暖化問題が国際的レベルで本格的に討議(温室効果ガス削減を謳った京都議定書は97年12月に締約国間で議決)され出してから、十年以上経過している。この十年で、温暖化問題は進捗しただろうかといえば、各国の様々な思惑も絡み、わたしたちから見れば、明らかに停滞した状態にあるといわざるをえない。
 この間、わが国でも様々な論議が、温暖化問題をめぐってなされてきた。省エネ、リサイクルの推進、本書の後半部でも詳述されている太陽光発電、風力発電、バイオ熱利用といった再生可能なエネルギーの取り組みといったことなど、温暖化防止への大きな流れがあり、一方では、CO2と温暖化の関連に疑問を提示し、そもそも温暖化に対して過剰に危機感を持つことに警鐘を鳴らす流れも出来つつある。それらを、著者は、「地球温暖化懐疑論」の横行として、厳しく批判している。
 「『地球温暖化懐疑論』の著者のほとんどがこの分野の専門家でないのが特徴です。通常、科学者はすでに科学的に証明されている定説を否定したり、反論する場合、十分な証拠に基づいて慎重に論理展開するものですが、『地球温暖化懐疑論』では、いずれも都合のいいデータだけを用いたりして、自らが主張したい結論に導いている点でも共通しているようにみえます。」(24〜25P)
 わたしは、科学者が出したデータだから、信用できるという立場はとらない。科学的論証に対して、非科学的な反論だからといって、反論自体を否定する論拠にはならないと思う。しかし、著者が、「地球温暖化懐疑論」は、「CO2排出抑制に抵抗している産業界」に利するものだという批判もわからなくはない。ただし、エコカーだ、省エネ家電だと大々的にCM攻勢をかけて、消費力を煽っている企業の有様をみていると、わたしでも「温暖化論」に楔を入れたくなる。エコカーにしても、省エネ家電にしても、従来通りに石油や電力消費に頼らざるをえないわけだから、甚だ矛盾した省エネ推進だといわざるをえない。結局は、コスト高を承知で、再生可能なエネルギー商品を安価に消費者に提供するぐらいのことをしないかぎり、産業界は、たんに環境問題に便乗したビジネスを進めているとしか見えないといっていい。
 さて本書の最大の眼目は、書名からも類推できる通り、「軍事的国家安全保障から環境保全的人間安全保障へ」というものだ。
 原発問題は、環境汚染の観点から、批判の対象とされているが、ほんらいは隠された問題があるのだ。政府や電力会社は核開発と原発はまったく次元が違うし連動性はないと主張し続けているが、科学的反証はできなくても、そんなことは誰も、真に受けるはずがない。原発の先にあるものは、核開発であり、当然、核武装であることを、わたしたちは認識しておくべきである。国際会議の会見で酩酊して財務大臣を辞任した中川昭一は、核保有論者として知られている。自民党の多数、民主党の一部議員に、九条改定、核保有を志向する論調があることは、環境危機よりも、真っ先に重大なことだとわたしなら思う。
 「軍事活動は、膨大な資源とエネルギーを消費します。(略)自衛隊全体の燃料利用によって排出されるCO2はどの程度か、推定してみましょう。(略)総石油消費量2.2億トンの約0.8%に当たる約170万トンが自衛隊関連で消費されているとみていいでしょう。それだけの石油燃料から生じるCO2は530万トンにもなります。」(65〜68P)
 さらに、具体例も「戦車が一時間走行するだけで……普通乗用車一年分の燃料消費」、「戦闘機が一時間飛ぶだけで……普通乗用車八年分の燃料消費」、「戦艦が一時間航海するだけで……普通乗用車二十一年分の燃料消費」などと示されている。
 これに、在日米軍が消費する量と排出する量を加えてみれば、わたしたちが、日常的に積み重ねている省エネ・リサイクルへの取り組みは、まったく無意味なものと考えたくなるというものだ。
 また、イラク戦争での03年3月から07年10月までの総CO2排出量は、一億4,100万トンというデータもあるという。
 「軍事行動や戦争は人間の生命を脅かすと同時に、環境破壊をもたらしながら、膨大な資金を費やしています。地球温暖化を中心とする環境破壊を防止するには資金が必要ですが、軍事費を削減し、環境保全に振り向ければ、地球温暖化などに必要な資金問題は解決できるのです。(略)憲法9条を守り、その精神を世界中に広めることと、CO2の大幅削減を通じて地球環境保全を強めることは、相互に補完し合いながら発展させていける関係にあります。」(139〜140P)
 著者のこの提言に対して、まったく異論はない。ミリタリーバランスを競ったところで、どんな国力誇示となるのだろうかと思う。環境と九条理念を考えていけば、軍事力というものは、所詮、幻想の国家力でしかないのだと、もっと声高に主張すべき段階に、いま差し掛かっているといいたい。
(あけび書房刊・09.6.15)

〈恐怖〉と〈異形〉の狭間に                                 ――『人はなぜ恐怖するのか?』、『妖怪を科学する!』を読みながら

 『人はなぜ恐怖するのか?』の著者は、“お化け屋敷”のプロデューサーである。自身が関わった“お化け屋敷”のプランニングのプロセスを紹介しながら、“お化け屋敷”に魅せられる観客の深層を分析していく。
 「恐怖には伝染する作用がある。/災害や事故が集団を見舞った場合、隣の人の恐怖心が自分に伝染して、冷静さを失ってしまうことがある。自分1人だったら恐怖に打ち勝つ冷静さを保つことができるのかもしれないが、『恐怖の伝染』によって集団パニックの一部として化してしまう。」(50P)
 確かに、恐怖心というものは、共同性をかたちづくっていくものだ。例えば、ひとつの噂話が伝播される時、快活な話題よりも、恐怖心を喚起する話題の方が伝播しやすいといえる。象徴的にいえば、“都市伝説”なるものが、そうだ。恐怖というものに対して避けたいという心理と好奇の思いを、錯綜させる力が内在しているからかもしれない。怖いもの見たさといういい方があるが、“お化け屋敷”の観客は、まさしくそうだといえる。しかし、作られたモノ、恣意的なモノであればこそ、そこにある恐怖は、果たしてほんとうの意味で恐怖といえるのかどうかという疑念が湧かないではない。にもかかわらず、観る人たちは、恐怖する。その不可解さを、わたしには、なかなか理解しにくいものがある。
 落語に「一眼国」という噺がある。見世物小屋を出している小屋主のところで六部(巡礼者)が、世話になり、そのお返しとして、「江戸から北方百里あまりのところにあるという一眼国」のことを教える。小屋主は、いさんでその一眼国をめざし、辿り着き、珍しい顔をした子供を見つけて、連れて帰ろうとしたら、仲間に捕まり、役人の前に引き出され裁きを受けることになる。役人に顔を上げろといわれて、小屋主が上げると、役人は、眼が二つもある珍しい顔をしているから、早速、見世物小屋にでも出しておけと命ずる。小屋主が、周りを見渡すと全員一つ眼顔であったというものだ。わたしは、初めてこの噺を先代・正蔵の録音テープで聞いた時の、驚きというか、恐怖感というよりも、いいようのない戦慄感を未だに忘れないでいる。見世物小屋の小屋主が、一眼国に入り込んで、異類とみなされて見世物小屋に出されてしまうというオチは、確かに、落語ならではのものだ。しかし、ここにある世界は、境界の不在に対する驚きと恐怖というものなのだ。こちら側とあちら側が、境目なく認識される時、人は誰しも、いいようのない不安感を掻き立てられことになる。それは、「生」と「死」が混在した様態といえばいいだろうか。
 「幽霊を見たとき、私たちが信じている『私たちが存在している』という考え方が揺らいでくる。なぜなら、存在しないはずの者が目の前にいるのだから。/幽霊の存在により、明確だったはずの『生きていること』と『死んでいること』の境界線が曖昧になるという恐怖。あらゆる社会で、幽霊が恐れられる理由はここにあるのではないだろうか。」(126P)
 幽霊、お化け、妖怪(一つ目)、異類(異形なるもの)、と並べてみた時、果たしてほんとうに、境界というものがあるのだろうかという思いを、わたしは抑えることができない。例えば、暗闇のなか、突如、目の前に得体の知れない何者かが立っているのが見えて、思わず驚きの声を発したところ、僅かに射してくる光を頼りによく見れば、鏡に写っている自分自身だったということがあるはずだ。わたしたちと異形なるものを隔てているものは、いうなれば、そのようなことなのではないかという気がする。
 『妖怪を科学する!』は、妖怪といわれるものを「本当にいる種」として、「生物学の視点でとらえ」るという分子生物学者による快著だ。
 カッパ、付喪神(つくもがみ)、ぬけ首、ろくろ首、輪入道、のっぺらぼう、人面瘡と馴染みの妖怪たちが、生態学的な対象となっていく。注目すべきは、カッパや付喪神に関して、著者は植物的な特徴を見出していることだ。
 「実は、皿下嚢体上皮細胞(引用者註・カッパの頭部皿下内部のことを著者はそのように称していて、『貧相な食生活』にもかかわらず、爆発的な力を発揮できる理由を以下に説明していく)には動物にはない特徴的な構造体があって、それがこの問題を解決しているのではないか、と僕は想像する。/それは『葉緑体』だ。/植物は通常、その細胞内の細胞小器官である葉緑体で光合成を行っている。植物が『生産者』といわれるのは、光合成を行い、自分自身で栄養分である炭水化物をつくることができるからだ。/それと同様のシステムが、カッパの皿下嚢体上皮細胞にもあるのではないか。」(32P)
 「発想を飛躍させると、ここでの下駄や草履は完全に無生物だったのではなく、きっとわずかに生き残っていた植物細胞があって、そこから付喪神という新たな生物が誕生したのだ、と想像できる。(略)植物由来の器物が、目、鼻、口、そして手足などがある動物的な妖怪へどうして変化できるのかという点だ。(略)その可能性を追求するためには、動物特有のものと思われている遺伝子が、植物にも存在する事例を精査することが重要だ。」(49〜51P)
 妖怪なるもの、異形なるものが、人間の観念による想像物であったとしても、なんらかの実体あるものと混在したかたちが、変容したものだという推察を、わたしならしてみたい。人類のその進化過程のなかで、動物的器官と植物的器官を内在させて時間を積み重ねてきたと推断したのは、『胎児の世界』の著者・三木成夫であった。胎児が母の胎内にある期間は、まるで、異形なるものから、ヒトらしい形態へと進化していく過程に照応する。わたしたちに、目、鼻、口、そして手足が付いているから人間であるという定立は、そもそも、生物の進化過程や突然変異過程を考えれば、なにも確証あることではないのだ。
 恐怖なるもの、異形なるものと、わたしたちとの間は、連結した関係であると考える時、多様な差異、差別の様態を、異化しうる方途へと繋がるのではないかというのが、差し当って、この二著を読んで、喚起されたわたしの感想である。

五味弘文 著『人はなぜ恐怖するのか?』
メディアファクトリー刊・09.6.11・46判・152P・定価[本体900円(税別)]
武村政春 著『妖怪を科学する!』
メディアファクトリー刊・09.7.7・46判・176P・定価[本体900円(税別)]   

現在の欧米対西アジアの構図を解析する視線

太田敬子 著『ジハードの町タルスース――イスラーム世界とキリスト教世界の狭間』
(「図書新聞」09.10.24号)

 「ジハード」は、「聖戦」という訳語をもつ、イスラーム原理主義者の過激テロを総称するものとして理解されているが、イスラーム世界においては、長い歴史のなかで培われてきた信仰の表象としてある。本書は、時間を遡及させて、「ジハード」の祖形を描出し、現在の混迷するイスラーム対キリスト教世界、あるいは対ユダヤ世界の深層を切開する方途を示している。
 著者によれば、「ジハード」とは、「『努力する』という動詞から派生した言葉で『神のために自己を犠牲にして戦うこと』、『イスラームの拡大とその防衛のための戦い』を意味する」といい、さらに、次の様に述べている。
 「世界を『イスラームの家(ムスリムの支配領域)』と『戦争の家(異教徒の支配領域)』に分けて捉える世界観の発達に伴い、イスラームの誕生から約二〜三世紀の間に学者達によって理論化された。ちなみにコーランにはこのような二分法的世界観は記されていない。(略)本来ジハードは国家の指揮下に行われるべきものであり、個人レベルでのジハードはあくまで例外である。(略)アルカーイダなどのイスラーム過激派といわれる人々は、テロリズムをジハードとして正当化する根拠として、アラビア半島、イラク、パレスチナなどのムスリムの領域が、アメリカやイスラエルによって攻撃・占領されていると見なし、『郷土防衛のため』にすべてのムスリムにはそれに抵抗するためのジハードに従事する個人的義務が発生していると主張する。」(「はじめに」)
 わたしの考えでは、イスラームの理念の中には、独特の共同体(国家)観が潜在している。つまり、個々の信仰の収斂がイスラーム共同体の理想的なかたちの構築へと繋がるという強固な信念とでもいうべきものといってもいい。そこでは、個と共同体は、常に同値であり、一体なのだ。イスラーム理念では、個人的義務は、すなわち共同体的義務でもあるとする差異のないものとして存在していると見なすことができる。ジハードが、本来、共同体的な要請でなされるとしても、そこでは、個人が共同体に殉じるという契機がなければ、行いえないことであって、その限りでは、ジハード行為の根源は個的発露に負っているというべきである。それは、著者が、「初期イスラーム時代において、『本来の』ジハードを推進した軍の中核をなしていたのは、(略)ムスリム正規兵であった。彼らに加えて、ジハードには多くの志願兵が参加していた。(略)時を経るにつれて、宗教的情熱によって自発的に異教徒との戦闘に参加し、殉教者となることを目指すような『信仰の戦士』が志願兵の中で大きな位置を占めるようになっていった」(「同前」)と述べているように、今日まで連綿と続いてきた“信のかたち”であると捉えることができる。
 さて、本書の眼目、八世紀末から十世紀半ばまでジハードの町としてあったタルスース(現在、トルコ共和国、中南部にある人口二十三万人ほどの都市で、聖パウロ生誕の地として知られている)をめぐる歴史的記述において、著者が、めぐらす思考する方位は、「境界域(スグール)」ということになる。
 「異教徒の領域に隣接するイスラーム領域の『辺境』を、ムスリムは『スグール』と呼」び、その「境界域は『天国と救済につながる通過領域』という意味」を持っていたという。キリスト教を国教とするビザンツ朝(ビザンツ帝国とも東ローマ帝国とも称される)と対峙する領域は、まさしく、「イスラームの拡大とその防衛のため」に、タルスースを要塞都市、軍事都市化する必然を持っていたということである。
 著者が、本書で提示する、「辺境」、「境界」、そして「境界域」という問題は、現在の欧米(キリスト教、ユダヤ世界)対西アジア(イスラーム)という構図を解析するための示唆的な視線だといえる。
 「イスラーム領域内部の政治的領域区分は変わりやすく、国境線によって明確に線的に意識されるようなものでもなかった。(略)一般のムスリムは、これらの政治的境界よりも、イスラームの理念に基づいて、異教徒の領域と境を接する場を『境界』として認識していたといえよう。」(「第四章 タルスースの歴史が語るもの」)
 イスラエル、パレスチナ地域の問題を考えてみればいい。そもそも強引にパレスチナ地域にユダヤ世界が侵入してきたのは、明快な事実なのだ。だからこそ、和平協議に基づいて、イスラエルとパレスチナ自治区の間に停戦領域や人為的な境界線を設定すればいいという問題ではないのだ。「境界域」があるから、「拡大とその防衛のため」のジハードが喚起される以上、欧米によるパレスチナへの圧力は、なんら意味をなさないといっていい。現実的な問題として、イスラエル側が、「境界域」からの撤退と後退を率先してなすべきだと、わたしは考える。
 「タルスースはムスムリの心の中で、ジハードの町、特別な宗教的意味を持つ境界域の町として伝説化されていった」(「同前」)と、本書の最後で著者が述べていることは、感慨深い。
(刀水書房刊・09.8.2)

物語詩といってもいい貌をもった詩集           ―――――――鮮烈なる「生」を喚起する膂力

堀田展造 著『ガラスの犬【犬語の研究】』
(「図書新聞」09.9.19号)

 異貌なる詩集名が、様々なイメージを喚起させる。それは、当然、構成にもいえることだ。「余白」という章立てが巻頭に配され、そこには「鏡面において」と題された詩篇があり、「第一章」から「第六章」までは、通し番号を付した二〇の詩篇が収められていて、全体を俯瞰していえば、長編詩もしくは連作詩のようでもあり、あるいは物語詩といってもいい貌を本詩集は、もっている。
 解説文もしくは「跋」文のようなものとして付されたであろう英文学者の近藤耕人による、「透明人間の視る異界」と明記された一文で、著者から送られてきた写真集『境界』を手がかりに、機縁と写真作品のモチーフに触れながら、「堀田展造は亡霊という透明人間(ガラスの犬)となって雨や霧や雪の街を、三脚も二脚もない目だけで歩きながら、亡霊のコミュニケーションの可能性を考え、『犬語』なるものを思いついて快感を覚える。感情のない、自意識もない、ガラス窓(レンズ=目)の感覚から吠える(語る)犬語(堀田展造の詩語=死語)は人に聞こえず、理解されず、したがって自分は傷つかない」と述べられている。
 ルビを多用する、この詩集の作者は、確かに、「〈私〉は肉体のない死者(ガラスの犬)のように/夜の寡黙の背骨に滑り込む」(「2 痙攣する のように」・註=一部ゴシック体)と詩篇に記述する。
 あるいはまた、「〈私〉は太古から生きてきた慣れた死者 のように/水底の回転扉を押す」(「3 水の中の水の」・註=一部ゴシック体)というアンビバレンツな詩語も放っている。近藤が指摘するように、「亡霊という透明人間(ガラスの犬)」が彷徨する夢幻空間が、この作者の活写する詩篇には潜在しているといっていいかもしれない。だが、わたしは、幾らか角度を変えて、この詩篇の前に立ってみたい欲求を抑えることができない。
 この詩集全体を俯瞰して、物語詩のような貌を持っていると述べたが、もう少し踏み込んでいうならば、そのようないい方があるとして、舞台劇詩のようにわたしは感受した。
 「13 闇の水(註=一部ゴシック体)」と題された詩篇の第一連は、次の様に記される。
 「〈死を暴く目覚めは永遠にやってこない ここは犬が青白い光に誘われ迷い込んだ劇場/だ 演者になっているとは知らない夢見心地の観客よ/そうそう 恐ろしい疑惑も暴かれることはない/断崖に立つ 冷酷な死のドラマ 佳境の舞台であればこそ〉」
 そして、最終連の一行目は、「光る死骸と 死骸の光像(シーツ)」だ。
 劇中の台詞のような強い発語が緊密に詩語全体をかたちづくっていて、しかも詩語のイメージは、際立って象徴性を含有しているため、「死」を巡る光彩は、悲惨さや無惨さとは遠い場所へと連れ出す力を放っている。それは、「光る死骸」と「死骸の光像」という見事に対称性をもった詩語の一連が、「死」を普遍の時間性をもったものとして表出させているからだ。なぜこれほどまでに、「死」や「死者」、「死骸」に作者は拘泥するのだろうか。
 ここからは、いくらか強引ないい方になるのだが、詩篇のなかでの独特のルビの多用に、わたしは、作者の切なる思いが見える気がする。つまり「犬語」とは、言葉(詩語)や発語の深奥に湛えているイマジネーションを通交させたいということを意味しているのであり、それは、同時にイメージの共有、コミュニケート(「死」を「生」へと異化)するということでもあるのだ。このことは近藤が、指摘する「亡霊のコミュニケーションの可能性」ということに通底するわけだが、もはや、その段階では、亡霊でもない、犬でもない、舞台の演者でもない、生身の作者の「声」ということになる。つまり、「切れ切れの瞬間(トートロジー)」、「一切の時間(スキャンダル)」、「氷刻の帷(クロニクル)」、「飛び去る羽(ことば)」、「空虚(ミイラ)」、「氷の鈴音(シロフオン)」、「不眠の夢(トートロジー)」、「恍惚の石(いぬご)」、「夢見る眼玉(たまねぎ)」、「割れた顔面(カオス)」、「まなざし(ナイフ)」といった、これらのルビをともなった詩語は、作者の内なる「声」なのだ。とすれば、「犬になれ 犬になれ犬になれ犬になれ」(「5 空虚の岸辺」・註=すべてゴシック体表記)とは、「死」や「死者」、「死骸」を異化させて鮮烈なる「生」を喚起する膂力をもつ詩語であるとみなすことができるはずだ。だから、「ガラスの犬」に、“「生」を喚起する膂力”という“ルビ”を、わたしならふりたいと思う。
(七月堂刊・09.7.1)

残忍な行為に走る可能性を私たちの誰もが秘めている

長 有紀枝 著『スレブレニツァ ― あるジェノサイドをめぐる考察』
(「図書新聞」09.7.4号)

 旧ユーゴスラビアといえば、戦後のヨーロッパにおける独自の社会主義政策を推し進めたチトー主義を、わたしたちなら想起するはずだ。ソ連(スターリン主義)と一線を画し、民族融和を提唱し、多様な民族連合体を領導していったことは、一定の評価を与えていいと思う。だが、80年のチトー死去後、早々に連邦内に軋みが生じ、91年のソ連をはじめとする東欧の社会主義政権崩壊に連動していくかのように、旧ユーゴも解体・分裂し、民族国家群を発生させていった。
 旧ユーゴは、セルビアから分離独立したコソボをとりあえず別枠として考えて、連邦内の六共和国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア)がそのままのかたちで独立国家として分立していったわけだが、それぞれの共和国内には複雑に錯綜した民族・言語・宗教の問題が横たわっていた(特に、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国では、ムスムリ人、セルビア人、クロアチア人、モンテネグロ人が遍在している)。
 九〇年代の旧ユーゴ問題を象徴的にいえば“ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争”や“コソボ紛争”であり、激しい内戦状態としての場所という視線を国際社会から投じられていた。95年7月、国連によって「安全地帯」に指定され、オランダ軍が配備していたにもかかわらず、「ラトゥコ・ムラディチ率いるボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人民共和国軍(VRS)の攻撃にあっけなく陥落した」「ボスニア東部の人口4万あまりの小都市スレブレニツァ」で、和平交渉を進めていながらも、「その後約10日間に、ムスリム人男性約7,500名が行方不明となり、そのうち6,000名が処刑され」るという事態が起きたのだ。後に、この「旧ユーゴ紛争の中でも、最大規模の集団殺害事件」は、国連旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)によって、「初のジェノサイド罪適用事件と」された(3〜4P)。
 本書の著者は、当時、NGO「難民を助ける会」の一員として、スレブレニツァ・ジェノサイドの現場近くで活動していた。やがて、「人間としての贖罪の意識と自責の念、そして長年、喉の奥にひっかかってどうしても取れない、小骨のような、棘をとるために始まった作業」(359P)が、本書として結実していったといえる。
 わたしは、著者に導かれるままに、「ジェノサイド」をめぐる言説や、「スレブレニツァ・ジェノサイド」の詳細な時空間の描出に接して、いくつか沸きあがってくる感慨を抑えることができなかった。そもそも、ポーランド人法学者ラファエル・レムキン(1900〜59)が提唱した「ジェノサイド」という概念は、「1946年の国連総会決議96によって、国際法上の犯罪として認知され、1948年のジェノサイド条約として結実してい」(47P)ったわけだが、「国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を集団それ自体として破壊する意図をもって行われる(略)行為」とするジェノサイド条約の規定の仕方というものは、極めて狭義の意味あいを有しているといわざるをえない。だからこそ著者自身は、ジェノサイド概念のほんらい持つ深遠な意義の所在を求めて、スレブレニツァ事例を提示し分析していったともいえる。
 ICTYが、ムラディチ将軍(逃亡中)やクルスティチ将軍らをジェノサイド実行部隊の責任者として裁断したところで、スレブレニツァ事例が明白になっていくわけではない。著者は、大量虐殺の目的に様々な疑念(無差別大量殺害ではなく、兵士も含む男性だけを対象としていることなど)を差し入れながら、複合的な要因なるものを挙げている。つまり、セルビア人によるムスムリ人の追放という「民族浄化」、92〜93年にかけてスレブレニツァ地域でなされたムスムリ人によるセルビア人攻撃に対する憎悪と復讐心、そして、ムラディチ将軍のNATO軍や米軍の動向に対する異様なまでの反発などだ。ICTYは、もっとも国際社会に受け入れやすい「民族浄化」という位相を示したに過ぎない。
 確かにジェノサイドは、強者が弱者に対して一方的に行う行為である。しかし、強者や弱者、あるいは正義と不正義といった捉え方は、いつでも転倒されてしまうものなのだ。そういう意味でいえば、わたしは、イスラエル=パレスチナ紛争というものを、必ずしも、パレスチナ側のテロを無条件で是認するわけではないが、明らかにイスラエルによるパレスチナ人に対するジェノサイドだと思っている。
 著者は、ジェノサイド実行前のムラディチ将軍と会見している。その時の印象を記憶の中に留めながら、次の様に言葉を重ねていく。
 「(略)喉の奥の棘は未だに、ひっかかったまま、とれる気配はない。今でも、どうして、あのムラディチ将軍が、スレブレニツァ・ジェノサイドを引き起こしたのか、私には本当のところはわからない。(略)ムラディチ将軍やクルスティチ将軍をはじめとする職業軍人たちが、特異な精神構造をもつ、異常な人間集団とは思えない。(略)ムラディチをはじめとするスレブレニツァの実行者たちの極めて人間的な面に触れたからこそ、私たち人間は、だれでもムラディチやクルスティチになりうるのだと、そうした恐怖があるからこそ、棘はささったままなのだと思う。」(375P)
 「特異な精神構造」を持っている者や「異常な人間集団」だけが、残忍な行為にはしっていくわけではない。「私たち人間は、だれでもムラディチやクルスティチになりうるのだと」いう視線に立ってこそ、理不尽な戦争行為や残虐な行為の淵源を突き破りうる方途に繋がっていくはずだと、わたしもまた考えている一人だ。
(東信堂刊・09.1.30)

噺家・三遊亭生之助師匠との〈通交〉               ――寄席の世界に魅せられて・番外編

 噺家(落語家と称してもいいが、あえて、ハナシカとする)という存在は、わたしにとって、ラジオやテレビ、CD(CT)などを通して、身近なものであっても、多くの芸人(あるいは芸能人)と同じで、実像としては遠い存在としてあった。わたしは、六代目・三遊亭圓生が好きで、一度だけライブに出かけている。真打乱造に反撥して落語協会を脱退したため、ホール落語を余儀なくされていた時で、亡くなる一年ほど前のことである。圓生が亡くなった後、カセットテープ版全集(「圓生百席」のセレクト版)のようなものを購入し、たまに聴く程度に、落語とは接していたが、熱心な落語ファンといえるほどには、関心を向けていたわけではなかった。
 一人の友人の〈死〉が、始まりであった。友人が亡くなって一年ほど経って、友人の奥さんを囲んでの歓談を何人かの仲間で催した。その時、旧知の友人の一人が、噺家さんと私的に交流していることを聞いたのだ。たまたま落語の話になって、わたしが、圓生のことを話題にしたからだったのかは、もう覚えてはいない。その旧知の友人が、親しくしていたのは、圓生一門だった三遊亭生之助師匠だった(実をいえば、その時まで、生之助師匠のことは、まったく知らなかった)。いまから、四年ほど前のことだ。そのことを契機として、旧知の友人に誘われて、初めて寄席という場所へ行くことになる。この時、初めて、遠い存在としてあった噺家たち、芸人たちの世界が、寄席という場所を通して、より身近なものになったといっていい。普段から、演劇や音楽ライブなどに出掛けることがほとんどないわたしにとって、なによりも、新鮮な体験であったし、また、未知の多くの演者たちを知って、寄席の世界、演芸の世界の奥深さを知ったといえる。やがて、友人とともに、生之助師匠と何度かお会いし歓談するという貴重な〈通交〉が、重ねられていく。
 そもそも、わたしが関わっていくことになった〈通交〉には、いまにして思えば、やや不純な動機があったのだ。圓生落語に共感していたわたしとしては、圓生の直弟子でもあった生之助師匠から、圓生のことについて、いろいろ聞いてみたいということがあり、できれば、それを活字化してまとめることはできないだろうかと考えたのだ。生之助師匠の了解を得ながら、何度か、ふたりでインタビューすることになった。とりあえず、僅かばかりの分量だったが、草稿を生之助師匠にみてもらったこともあったのだが、わたしの怠慢で、作業は、停滞したままになっている。
 とはいえ、生之助師匠の話は、わたしたちにとっては、実に刺激に満ちたものだった。師・圓生に対する敬愛に溢れた言葉の数々を聞いているだけで、感動し、満ち足りた気分になったものだ。また、同時代の名人といわれた噺家たちのエピソードも、微に入り細に渡り話してくれた。それにしても、生之助師匠の記憶力の良さには、驚くばかりであった。
 わたしたちにとってなによりも僥倖だったことは、生之助師匠が誠実な人柄であったことに尽きるように思う。噺家あるいは芸人という存在は、なにか個性が売り物で、あくの強い人が多いようなイメージがある。しかし、師・圓生がよくいっていたという“芸は、人である”ということを、矜持のようにして生之助師匠が、語っていたことに、それは象徴される。
 昨年の2月と11月に、わたしたちは、『落語独演会・三遊亭生之助を聴く会』を開くことができた。友人の熱い思いと、彼の友人・知人たちの無償の協力によって、会は盛況であったし、CD・DVD化できたことは、なによりも、生之助師匠に幾らかの“返礼”が、できたかなと思っている。五年前の病気が、昨年末に再発したのだが、生之助師匠は頑張っておられたから、かならず回復するはずだとわたしたちは、思っていたし、願ってもいた。だが、今年の5月初めに三回目の独演会を開く予定だったが、生之助師匠の要望で断念せざるをえなかった。生之助師匠が済まながっていたことに、わたしたちは、恐縮するばかりであった。今年の秋に、師・圓生のDVD全集が出る予定のようなのだが、それまでは、死ねないと笑いながら話していた生之助師匠の顔が、忘れられない。繊細な雰囲気を漂わせる生之助師匠だが、実にエネルギッシュな方であったことも、付け加えて置くべきかもしれない。
 クラシック音楽ファンでもある生之助師匠と、もう少し、音楽の話をしておきたかったなと、いまにして思っているのだが、それはもう叶わないことになってしまった。
 高座や独演会では、凛として噺される生之助師匠、わたしたちと会う時は、いつもレコード店の手提げ袋を持ちながら、飄々とした佇まいをされる生之助さん、どちらの姿とも、もう会えないのかと思えば、言葉が出てこない。

……………………………………………………………………………………………………
※三遊亭生之助氏は、09年5月22日午後9時に亡くなられた。享年73。5月28日通夜、5月29日には告別式が、代々幡斎場にて行われた。

中国をめぐる東アジアの近現代史を明快に活写

青木裕司・片山まさゆき 著
『ナレッジエンタ読本16 中国がわからない!【サクサク現代史!アジア激闘編】』
(「図書新聞」09.6.6号)

 常套句的ないい方になるが、わたしたちにとって中国(北京政府)は、近くて遠い国である。何年か前までは、韓国がそうであった。もう一つの中国(台湾)はといえば、わが国と国交は断絶しているが、大陸中国に比べれば、様々な交流が盛んなだけに親近感はあるといえる。
 北京オリンピック開催前に、食品汚染疑惑やチベット弾圧があり、中国への不信感は、募るばかりだった。本書の表題ではないが、「中国がわからない」というのが、わたしたちの率直な思いのはずだ。だが、それは、中国の側も同じで、八十年近く前のわが国のアジアへの覇権主義政策の実行によって惹き起こした十五年戦争に対して不信の思いは未だに消えていないはずだ。
 本書は、時として私観によって恣意的なものへと変容させられやすい「歴史事象」を、河合塾世界史講師・青木裕司の巧みで簡潔、そして極めて抑制の効いた記述によって、明快に中国をめぐっての東アジア近現代史を活写している。また、八十年代、『ぎゅわんぶらぁ自己中心派』、『スーパーヅガン』といったギャグやパロディタッチの作品で麻雀漫画に新たな地平を切り開いた片山まさゆきの漫画による風刺的解説もわかりやすく、各章の最後に付された二人の対談も、未知の読者を誘(いざな)うように、懇切に語られていく。
 本書の開巻は、一八九四年に起きた、いわゆる日清戦争からの記述だ。そして長らく続いた満州族支配による清朝時代の終焉と共に、列強分割統治の時代に入り、日清、日露戦争を経て、わが国の満州統治でそれは、極まっていく。
 「日本は、遼東半島南部の租借権をロシアから引き継ぎ、またこの地にある旅順・大連から満州の長春に至る鉄道の施設権、並びに周辺の鉱山の利権を手に入れた。(略)南満州鉄道株式会社、通称『満鉄』である。半官半民の出資で運営された、当時世界最大の企業体であった。」(19P)
 この「満鉄」では、「当時の急行列車が『ひかり』で、準急(快速)が『のぞみ』。現在、東海道・山陽新幹線を走っている列車と同じ名前だ」と、安東・奉天間の時刻表を併載して注釈を付している。このことは意外にもあまり知られていないのではないだろうか。もちろんわたし自身も初めて知ったことだ。「ひかり」は、昭和三十年代に、九州で走る準急、急行の愛称に使われていたようだが、確か、新幹線の列車名は公募で決まったはずなのに、この偶然性には、なにか意図的なものが働いているのではないかと勘ぐりたくなる。当然のことだが、戦前への回帰、憧憬は、危険な方位へと向かっていく可能性を示すことになる。満州帝国の是非論は、いまだ燻っている問題だけに、このことを些末なこととして、一笑するわけにはいかない。
 現今の中国(北京政府)は、経済的高揚とともに、アメリカと肩を並べる意気込みで巨大化を図っている。アフリカへの政治的・経済的侵攻は、既に「帝国主義的」だとヨーロッパの論壇からは指摘されだしているのだ。この大国意識、覇権主義は、チベット支配も含めて、大陸中国生来のものだということを、本書の二人の対談から、わたしは結びつけて考えることができた。
 
 青木「2千年以上も昔、始皇帝と武帝は圧倒的な力で中国全域を抑えて、中央集権体制を確立したんですね。それが中国支配のモデルになりました。中国には『秦皇漢武』という言葉があります。秦の始皇帝と漢の武帝が理想なんですよ。男たるもの、漢人たるもの、彼らのようにがっちりと天下統一をしたい!という思想がある。」(略)
 片山「国家の理想が、天下統一のように『大きさ』に向かうからおかしくなると思うんです。小さい地域で、豊かで楽しくて、すばらしい価値観をもった国をつくろうという指導者がなぜ現れなかったんだろう。」(56〜57P)

 「秦皇漢武」という言葉によって、ひたすら「大きさ」を求めていく中国(北京政府)というものの「像」は、極めて明快だ。われわれは悠久四千年(王権体制成立後)の国家体系を持続させているのだという自負が、大国(帝国)意識として、現在、様々な位相で発露されている。中国を含め、アジア諸国と良好な関係性を築くべきだと著者たちはいう。確かに、そうに違いない。
 だが、わたしは、現在の膨張する中国国家の相貌は、戦前のわが国の相貌と鏡のようなものだとみている。わが国の保守派政治家たちは、中国の拡大化する「力」に対して、わが国も「力」を誇示すべきだなどと能天気なことをいっているが、わたしたちが、目指す「友好」の先は、北京政府に群がる人たちではなく、なによりもまず、中国大陸で普通に生活している人たちなのだということを認識すべきだと思う。
(メディアファクトリー刊・09.1.31)

詩集『悪い神』を読む

 まっさきに、装本(刻印のような題字とフランス装)と、詩集の表題に惹かれた。ペーパーナイフを使って、切り開いたなかから、詩人の「声」が、聴こえてきた。

 「光、光、/光の暴力がおまへを犯す、//けれど世界は変らなかつた、/おまへが啞の光につらぬかれ、歓喜に顫へてゐたあひだにも、//〈なぜならおまへは悪い神を信仰したからだ〉//そんな聲が聞えた気がした、」(「悪い神」)

 鮮烈な表題に、どんな換喩が込められているのだろうかと思い、表題詩に視線を向けてみた。わたしならば、“良い神”か“悪い神”かといった二元論的な発想はない、“神というものはすべからく悪だ”ということしか、イメージできないでいる。しかし、この詩人は、ある意味、寛大だといえる。もちろん、この寛大さの奥には、“変わらない世界”に対して熱い憤怒の“切っ先”がかまえられている。それでも、この詩人の憤怒には静かなる倫理性が内在していて、“切っ先”が天蓋を突き破ることを抑えているのだ。「光の暴力がおまへを犯す」、あるいは「啞の光」という詩語に象徴されるように、そこでは、極めて抑制された倫理というものを、わたしなら受けとめたくなる。それは、「なぜならおまへは悪い神を信仰したからだ」という言辞が、「なぜなら」という言葉を置いたことによって、静かなる倫理性といったことを、潜在させているからだ。

 「さはれ、さはあれ! と、きみは、/………/だから、だから! と、きみは書きつけ、/まだ行ける場所があるさ、と、きみは、」(「だから、だから、」)

 ひとつひとつの読点の隙間から、この詩人の「息遣い」が、聴こえてきそうだ。
 詩の言葉は、どこへ向かうことができるのだろうかと、問い掛けてみる。語りかけることの困難さは、詩の言葉であれ、伝達の言葉であれ、それは同じだと思う。言葉とは伝達の、つまり関係性の淡さを感受することの入り口なのだが、発語した瞬間、拒絶されることもありうる。それでも、語りかける方位というものは、あるのだろうか。この詩篇の詩人は、しかし、“まだ行ける場所があるさ”と発語する自分を受けとめている。

 「渋谷円山町のラブホテルの階段を/炎上する夕暮れの逆光に背を射られて/ひとり降りて行く少女/………/少女を待ってゐるのは誰なのか/少女をこヽへ連れて来たものは何なのか/………/渋谷円山町のラブホテルの階段を降りて行く少女//ひとりの場所へ/だれも共感することのない場所へ/大きな暗い穴の向うへ」(「渋谷円山町のラブホテルの階段を降りて行く少女」)

 「悪い神」の次に配置された、この詩篇に、集中、わたしはもっとも、感応したといっていい。ただたんにラブホテルと表記されていたなら、どんなイメージを持つだろうか。若者たちで溢れかえる渋谷という雑踏、その場所に隣接して乱立する円山町のラブホテル街は、だからこそ、不思議な感慨をわたしたちにもたらす。そして、“少女”たちが、ラブホテル街から立ち現れても、異和感がないという、その光景を、わたしたちは感知することになる。しかし、この詩人は、静かなる倫理の場所から、この少女(たち)を見据えている。“ラブホテルの階段を降りて行く少女”にとって、“ひとりの場所”や、“だれも共感することのない場所”は、“大きな暗い穴”であることを、告知する。
 だが、それは、少女だけに纏いついていることだろうかと、この詩篇に啓発されて、わたしは自問してみる。
 円山町のラブホテル街だけではない、ましてや渋谷という雑踏だけでもない、わたしたちが、いま現在すまう“世界”そのものが、“大きな暗い穴”なのではないかと、思えてくるような気がするのだ。

 本書は、著者にとって第五詩集となるようだ。「附記」には、こうある。

 「この集は七月堂の前社主 木村栄治氏の手で送り出される。氏は不治の病との闘ひのさ中にあり、余命の永からんこと、やり残された仕事を遂げられんことを祈つてやまない。想へば七〇年代より氏の姿勢から学ぶ機会は数知れず、感謝の言葉もない。/この集が氏の仕事の掉尾を飾る一つとして、ふさはしからんことを、そのやうなものとして、読者に届けられること願ふ。」

 本詩集には、「夏はてゝ―句会手帖から」と題して、著者の俳句作品が収載されている。そのなかから、数句、引いてこの稿を閉じることにする。

  葉櫻の葉に籠りたる火花かな
  獄にゐる友と眺めし敗荷かな
  苦悩てふ宇宙のありて初時雨
  それぞれの杭に佇ちゐる晦日鴨
  その冬の惨(イタ)みおほきを愛しをり

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築山登美夫 著『詩集 悪い神』
七月堂刊・09.3.10・46判変形・88P・定価[本体2200円+税]

「両立型への志向性」ということへの視線

遠山 淳・中村生雄・佐藤弘夫 編『日本文化論キーワード』
(「図書新聞」09.5.30号)

 「日本文化」といういい方は、よくなされているのだが、果たして、その意味するところを的確に捉え提示しうるかといえば、これが、甚だしく難渋なことだといっていい。そもそも、「日本」もしくは、「日本人」とは何かと問うことですら、その応答は、極めて曖昧なものとなっていかざるをえない。要するに、「日本」という総称自体、網野善彦にならっていえば、七世紀末から、八世紀初頭にかけて、「ヤマトの支配層」たちが、「王の称号を『大王』から『天皇』に変えた」ことに淵源するのだから、「日本」人という「民族」名称は、パラドキシカルに満ちているといわざるをえないのだ。
 「行動モデルを文化と呼ぶならば、文化は人間集団の無意識のレベルまでをも支配していると考えなければならない。ここで言う文化とは、上層文化とか伝統文化とかと呼ばれる知的洗練度の高い文化に対して、基層文化と呼ばれることが多い、日常の行動様式や価値観を指す文化である。伝統文化と区別して、遍在文化と呼ぶこともできよう。文化・社会のどの極面をも支配している文化であり、ユビキタスな(どこにでも存在する)関係を言う。」(「はじめに」)
 このように、「文化」という概念を規定する編者たちの視線は、「日本文化の通時的特性を『両立型への志向性』」と捉えていく。このことによって、通常に見られる「キーワード」事典とは、一線を画したものとなっている。
 全5章・125項目を概覧しただけでも、そのことは明白だ。第1章「日本文化のキーワード」では、「両立型コミュニケーション――『アレもコレも』」、「腹と腰――心の中心と身体の中心」、「日本語のリズム(2)――5音と7音をめぐって」、「天皇と幕府・政府――権威と権力」、「憲法第9条――『自衛』すべきものは何か?」、「第2の開国――グローバリゼーションと日本人」などの項目に惹きつけられる。
 そして、「『はい』と『いいえ』――『肯定と否定』のグラデーション」の項目では、「西洋語に比べて、日本語には否定表現が少ない」し、「日本人は、否定に比べて、同意・肯定表現はかなり大袈裟に表現する」と指摘する。また、「『太平洋』戦争――『終戦』と『敗戦』」という項目では、「日本では『さきの戦争』は、同様に漠然とした『あの戦争』として語られることが多い。いつからいつまでを指し、誰を相手の、どんな戦争であったか、どう呼ぶのか合意が得られていないのである」と述べられていく。確かにそうだ。わたし自身は、満州事変を起点として中国侵略戦争、日米開戦をトータルに示す「十五年戦争」を援用することが、多い。教科書的には、「太平洋戦争」として教えられてきたし、「さきの戦争」といえば、対アメリカとの戦争としての意味あいが強くなり、中国への侵略ということが、希薄になっていく。だから最近では、「アジア太平洋戦争」という名称が、一般的になったといっていいかもしれない。しかし、一方、依然として、最近の自衛隊幕僚長の「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価している」から、侵略戦争ではないという妄言まで含めて、「誰を相手の、どんな戦争であったか、どう呼ぶのか合意が得られ」ないまま、まさしく、ここでもまた「両立型への志向性」というものを象徴することになる。
 第2章「古典を通して『日本』を読む」は、『古事記』、『万葉集』、『源氏物語』と並んで、『立正安国論』、『自然真営道』、『東海道四谷怪談』などが採り上げられている。
 わたしが、本書のなかで最も着目したのは、第3章「日本文化はどう論じられてきたか」であった。ここでは明治期以降の諸著作、雑誌を通して詳述する。和辻哲郎『風土』、柳田國男『海上の道』、江上波夫『騎馬民族国家』、丸山眞男『日本の思想』などとともに、雑誌『思想の科学』、吉本隆明『共同幻想論』、網野善彦『「日本」とは何か』が、採り上げられていることに、編者たちの多角的な問い掛けを見る思いだ。
 第4章は「日本文化論はイデオロギーか」、第5章が「外から見た『日本』」という章題として、さらに、外延的な論及を例示している。西川長夫『国境の越え方』を採り上げた項目(「第4章」)では、「『文化』という単位を『国境』によって区切ることはできない」という「視点は、歴史研究であっても現代思想の分野であっても、『文化』を扱う領域において、いわば自明の前提となった」と解説する。
 「現在、どの国にも国旗があり国歌があるのが当たり前というのと同じ感覚で、どの国にもその国独自の文化があるはずだと考えられるようになったと言える。しかし、『日の丸』『君が代』を国旗・国歌とする決定に納得しない人がいるように、特定の現象を選別してそれが『日本文化』だと言われても、それに承服できない人が出てきても当然だろう。日本の場合、旧植民地出身の『在日』の人々、明治になって日本の版図に組み込まれたアイヌの人々の場合を考えれば、なおさらのことだ。」
 「文化」をイデオロギー全般に矮小化するつもりはないが、国旗・国歌を信奉するという感性と「国民文化」としての表象へ傾斜していくことは、やはりリンクしているのだ。オリンピックや、サッカー・ワールドカップ、野球のWCに熱狂する様態も、「文化」のひとつの事象としてみるならば、そういうことがいえる。「文化」というものは、例えどんなに小さな、狭いものであっても、そこにひとつの共同性(関係性)が形成されることによって、発生しうるものだという考えをわたしは、抱いている。
 だから、本書があまたのキーワード本より際立たせている特色は、「日本文化論」としながらも、いつのまにか「日本」というものの幻像を剥ぎ取ってしまっているからだと、わたしはいいたい気がする。
(有斐閣刊・09.3.30)

追悼・忌野清志郎

 90年の初夏に見た相米慎二監督作品『東京上空いらっしゃいませ』は、わたしのなかで相米映画ベスト作品だと思っている(相米ファンの多くから異論が出ることを承知の上で、さらにもう一本『ラブホテル』を加えた二本がわたしの相米映画ベスト・ツーだ)。「死」をめぐる不思議な物語をもったこの作品は、牧瀬里穂の清冽な存在感とともに、幾つかのバリエーションで流れるテーマ曲「帰れない二人」が、実にいいのだ。この歌を、井上陽水が唄っていたことは知っていた(73年刊・アルバム『氷の世界』収録)のだが、陽水にあまり好感を抱いていなかったわたしにとって、それまでは、それほど印象深く思ったことがない楽曲でしかなかった。憂歌団の木村充揮のバージョンが特にこのなかでは秀でていた。エンド・クレジットで、「帰れない二人」の作詞作曲が陽水と清志郎の共作だったことを知って、驚いたと同時に、その少し前に読んでいた連野城太郎著『GOTTA(ガッタ)!忌野清志郎』(89年刊・角川文庫)で、二人がお互いのアパートを行き来しながら(たぶん)、共作したエピソードが綴られていたことを思い出したのである。それが、この曲だったのかと、納得したことを覚えている。

 思ったよりも 夜露は冷たく/二人の声もふるえていました/「僕は君を」と言いかけた時/街の灯が消えました/もう星は帰ろうとしてる/帰れない二人を残して//街は静かに眠り続けて/口ぐせの様な夢を見ている/結んだ手と手のぬくもりだけが/とてもたしかに見えたのに/もう夢は急がされている/帰れない二人を残して//もう星は帰ろうとしてる/帰れない二人を残して

 なんとも、イノセントなセンチメンタリズムといったものが言葉のなかに充満している詩だと思う。「『僕は君を』と言いかけた時街の灯が消えました/もう星は帰ろうとしてる/帰れない二人を残して」というフレーズは、陽水というよりも、清志郎的世界だなと思った。清志郎バージョンだけの「帰れない二人」はあるのだろうかと思い、探して見たが、分からなかった。『RC SUCCESSION  THE KING OF LIVE』(1983年)という ライブ盤がある。そのエンディング曲「Yubiwa O Hametai」(この熱唱と演奏がまた凄い、12分52秒だ。80年に発売された『RHAPSODY』のオープニング曲「YO-O-KOSO」に匹敵する)が、「帰れない二人」のアレンジ・ヴァージョンだった。「帰れない二人」よりも、もっと直接的に、さらに苛烈に、「愛」を訴えかけている歌になっている。

 きみとOh oh oh oh oh oh/はめたいのさ/きみだけと いつまでも いつまでも/はめたいのさ/ぼくを 愛して/ささやいて/きみを抱くときに/きみとOh oh oh oh oh oh/はめたいのさ/指輪を いつまでも いつも いつも いつも いつも/はめたいのさ/ぼくには きみが/よくわかる/よくわかる/目を閉じても きみが/見える/離れているときも/きみとOh oh oh oh oh oh/はめたいのさ/きみだけと/きみだけと いつまでも/いつも/はめたいのさ/もしも こんな夜に 外に/ほうり出されても 眠るところさえ/見あたらなくなっても/そばにきみがいれば/そばにきみがいれば/そばにきみがいれば/そばにきみがいれば 何も/変わりはしないさ 何も/ぼくは何も怖くない 何も/ぼくは何も怖くない 何も/ぼくは何も怖くない 何も//そうさ ぼくは寒くない 何も/もう 何も/もう/もう

 すごい詩だと思う。この詩にあの切ない〈声〉が、重なっていくのだ。「そばにきみがいれば 何も/変わりはしないさ 何も/ぼくは何も怖くない 何も」「そうさ ぼくは寒くない 何も」という言葉は、わたしに過剰な発語は、関係性を視えなくさせるだけだと伝えてくれるのだ。「何も怖くない」の次にくる「ぼくは寒くない」という直接性が、深いイメージを湛える。清志郎は、ステージで観客に向かって、なんの外連もなく「愛」という言葉を発する。観客もそれに応えていくというように、独特の関係性を醸し出しているし、それが、多くの人に清志郎が支持されている所以だと思う。だが、わたしは、結婚もし、子供もいる私人としての清志郎と、世界に対して熱い憤怒を投げ掛け、「愛」を発語していく清志郎に対して、率直性を感受すると同時に、どこかアンビバレンツな思いを払拭することができないでいることに気がついてしまうのだ。そのことを、言葉として連ねるには、もう少し時間が必要かもしれない。
 ただこれだけは、いえるはずだ。RC SUCCESSIONとしての活動が続けられなくなった後、様々なコラボレーションを清志郎は、やっている。しかし、RC SUCCESSIONこそが自分の立ち位置なのだということを誰よりも知っていたのは、清志郎自身だと思う。
 だからこそ、RC SUCCESSIONは、清志郎にとって「愛のかたち」であり、「愛」を率直に発語できるかたちなのである。
 いま、『RHAPSODY』を聴きながら、この文章を記している。生き急いだ人だったなと、思う。まだまだ、あの〈声〉を聴き続けていたかった。

 五月はいつも悲しい。高橋和巳が亡くなったのは、1971年5月3日だった。寺山修司が亡くなったのも5月で、1983年5月4日。そして、わが清志郎は、2009年5月2日午前0時51分、旅立ちの途についた。享年58。