プロ野球の低迷(ということを前提にしているが、異論がある人はいないものと思われる。たぶん)の一番の要因は、MLB(メジャーリーグ・ベースボール)が、身近なものになったことだ。わたし自身も、野茂の渡米を契機として、頻繁に放映されるようになったTV中継によってMLBの面白さを知った。なにが、面白いのか問われれば、〈アメリカ〉という場所の“寛容さ”ということに尽きると思う。選手たちも、観客たちにもそれはいえる。米国にとって、ベースボールというものは、例えていえば、日本における大相撲(あるいは柔道)のようものだといっていい。だが、日本の相撲ファンや興業の担い手たちは、一定程度の外国人力士の活躍は容認できても、立て続けての横綱、大関の誕生、幕内優勝の独占を、快く思っていないはすだ。かつて、小錦は、あからさまな外国人差別によって横綱になれなかったことを告発していたものだ。ただ、大相撲の場合は、構造的な八百長相撲が、無くならない限り、かつてのような人気を回復することは出来ないだろうが。そして、もちろん、わが国のプロ野球にしても、外国人選手たちに対して、けっして寛容性をもって接しているとは思えない。いまでこそ、王は、国民的英雄とされているが、民族的差別のなかにいたことは、事実だった。その王の年間ホームラン記録を外国人のバースが破ろうとした時、明らかな妨害工作をしたという汚点があったことを忘れてはならない。さて、“寛容さ”について述べようと思いながら、いささか脱線してしまったが、歴然とした格差社会・差別社会である〈アメリカ〉という場所が、ことベースボールに関しては、極めて、“寛容さ”を発揮していると捉えることができる。もちろん、不変の自信のようなものが、そのなかには潜在しているといえないでもないが、それでも、東アジアの片隅に位置する列島の出身者たちが、ボールパークで活躍することに対して率直に賞賛する場面を、TV画像を通して、見るにつけて、“寛容さ”を思わざるをえない。

 プロ化され、TV中継(プロ化以前は、せいぜい天皇杯が正月に中継され盛り上がった程度だった)によってより広く伝播され、日韓共催WC開催によって、野球に変ってサッカーは完全に子供たち(むろん大人たちも)にとって一番の人気スポーツになった。大衆酒場で、相撲中継や野球中継を見ながら、にわか評論家になって盛り上がるといったことは、遠い昔の出来事になってしまったようだ(少なくとも、サッカー中継で評論家的視線で楽しく見ることは難しい)。確かに、野球に比べたら、サッカーの世界的な普及率は高い。しかし、どうもわたしは、サッカー・ゲームに感情を移入することができない。なぜだろう。個別的に選手個人の魅力というものを考える時、サッカー選手は、なにか画一的な感じがしてならないのだ。それは、試合の戦術化にあると思う。フォーメーションといって、三つの役割分担の選手配置を1−2−3−4とか、2−4−4とかをあらかじめ決めて行うことに釈然としないからだ。野球の打順や守備位置と似て非なるものなのだ。いや、いまここでいいたいのは、サッカーに対する疑念ではない。なぜ、かくも野球人気が低迷しているかということなのだが。サッカー人気が高まるにつれて、野球人気が下降気味である以上、やはり、サッカーについてなにがしかのことをいわずにいられないのだが、ここでは、これぐらいにして、このあと本論に入っていこうと思う。

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