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2007.02.08 Thursday

映画『アナーキスト』をめぐって

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    客 なかなか、厳しい情勢が続いているが元気かい。久しぶりに君と与太話をしようと思って遊びに来た。
    主 与太話をする元気も暇もないね。郵政民営化の是非を問う国民投票とか、ふざけたことをいって圧勝した小泉・自民党政権は、どこの国にも見向きもされないくせに、今度は“東アジア共同体”などと、虚妄なアジア・グローバリズムに踊り、浮かれまくり、まったく、あきれて言葉を失うだけだ。誰とも、くだらない話は、したくない心境だ。
    客 まあ、そういわずに、君が好きな映画の話しでもしようぜ。韓国映画『アナーキスト』を見たんだ。映画館ではなく、DVDで見たものだ。「韓流シネマフェスティバル」の一環として一週間ほど上映されただけだから、映画館で見た人はほとんどいないと思う。主演が、韓国男優四天王の一人として日本人女性ファンから圧倒的に支持されているチャン・ドンゴン。“ア”つながり(笑)で、アクション映画として観られたかもしれないな。
    主 チャン・ドンゴンなら知っている。かつての東映ヤクザ映画を彷彿させるような映画『友へ・チング』(監督クァク・キョンテク、2001年)で好演していたからね。韓国映画が本当に勢いがあり、面白いとわたしが思ったのは、この映画が切っ掛けだった。ヨン様ブームとかなんとか、薄っぺらなラブ・ストーリーもので韓国映画やドラマがもてはやされているけれど、はやり、ハード(もちろん、恋愛も含めて)なものの方が、映画としては断然、いいに決まっている。“セカチュー”とか“踊るナントカ”などに観客が集中してしまう日本映画の停滞した状況と比較してみれば、確かに、韓国映画に勢いがあることは認めざるをえない。南北分断という難しい政治的テーマを、鮮烈な映画に仕立てた『ブラザーフッド』(監督カン・ジェギュ、2004年)の役どころも作品の出来栄えと共に、なかなかよかったしね。『殺人の追憶』(監督ポン・ジュノ、2003年)とか、『オールド・ボーイ』(監督パク・チャヌク、2003年)、『大統領の理髪師』(監督イム・チャンサン、2004年)といった力作を見ると、最近の日本映画は緩くて見る気にならない。
    客 君が、韓国映画に着目していたなんて知らなかった。実は、何年か前に映画雑誌で、韓国映画の新作公開のライン・ナップとして『アタック・ザ・ガス・ステーション!』(監督キム・サンジン、1999年)と並んで、『アナーキスト』があって、いったいどんな作品なんだろうと思っていたのだが、なかなか公開されなかったし、いきなりDVDが出たので驚いたというのが正直な話しなんだ。勝手にこっちは、この二本を、“テロ”つながりで捉えていたわけだ(確か、この時の『アタック――』の邦題はもっと過激なタイトルだったように思う)。『アタック――』は、2001年に公開されて、DVDにもなっているようだが、わたしは、見ていない。“アナキスト”なのか“アナーキスト”なのかということも、やや気がかりではあるが、この映画の場合は、やはり、“アナーキスト”と伸ばした方が、作品の全篇を貫く雰囲気からも、しっくりくるといっていいと思う。それに、以前までの韓国映画は決まって、反日、抗日といった感情を主題性とは関係なく作品のなかに色濃く投影させていたわけだが、ここ数年は、あまりそういうモチーフの映画が少なくなった傾向があったようだけれど、この作品は、要するに“抗日・アナーキスト”なんだな。といっても、以前のように、怨念渦巻く情念的な抗日性というわけではない。もちろん、描かれている場所が、半島ではなく戦時下の中国・上海であったことが、いい意味で作品の質をクリアにしたと思う。
    主 聞くところによると、そのての中国映画や韓国映画によく見られる日本人役の日本語が相変わらずあやしいらしいね。かつて、中国映画『紅いコーリャン』(監督チャン・イーモウ、1987年)に感嘆したけれど、日本兵が登場するシーンで、たとだとしい日本語を発せられ、興ざめしてしまったことを覚えている。
    客 『アナーキスト』の場合は、まだいい方だと思う。不自然な日本語には違いないが、判別できないわけではない。作品のなかへ、具体的に入ってみようか。脚本は、君が推奨する『オールド・ボーイ』や『JSA』(2000年)の監督でもあるパク・チャヌクが担当しているだけあって、なかなかスリリングに富んでいる。映像にも力があって、監督デビュー作品とは、とても思えない仕上がりになっている。監督の名前はユ・ヨンシク、1967年生まれとのことだ。時代は1924年、日本軍政下にある上海で、朝鮮人の抗日組織・義烈団のテロリスト・グループ五人が、物語の中心だ。日本に置き換えて1923年から24年という時制を見れば、朴烈・金子文子弾圧事件、大杉栄・伊藤野枝虐殺、難波大介事件、ギロチン社事件に照応している。上海では、1928年に東方無政府主義者連盟というアナキストの運動体が結成されたようだが、この義烈団にモデルがあるのかは、あいにく朝鮮(韓国)アナキズム運動には疎いので分からない。ただし、その連盟の中心メンバーでもある申采浩(シン・チェホ)の名が映画のなかでは、触れられているし、1919年に上海で大韓民国臨時政府を李承晩(イ・スンマン)とともにつくり、その後対立し、戦後、李勢力に暗殺されるという悲運の革命家・金九(キム・グ)は、実際に登場する。ところで、五人のキャラクターが、それぞれ実にいい。そのことが、この作品の厚みを醸し出しているといいたい。チャン・ドンゴン演ずるロシア留学生だったセルゲイは、日本軍による拷問の後遺症で、阿片づけになっているが、ニヒルで徹底した行動主義者だ。セルゲイを救出し命を救ったイ・グン(チョン・ジュノ)は、静謐な男ではあるが、理想に燃えている。五人の纏め役的であり、冷徹な理論家でもあるハン・ミョンゴン(キム・サンジュン)、激情的な行動家のトルソク(イ・ボムス)、セルゲイを慕い、アナーキストたらんと志向する年少のサング(キム・イングォン)と、一見、ばらばらの個性の集まりであるにもかかわらず、ひとつの“関係性”がかたちづくられていく。象徴的なことは、行動を起こす前に、必ず全員で写真を撮るという行為だ。その集合写真を撮るときの場面が、何度か出てくるが、どれもいい。それらは、共にあることの“関係性”を表わしているのだ。そして、セルゲイとイ・グンをめぐって、日系人の歌手・かね子(イェ・ジウォン)という女性の存在も、この映画では、重要なファクターとなっている。かね子という役名は金子文子のカネコから採っているのではと、この映画を見た知人(K・Y氏)がいっていたが、たぶん、そうだろう。それにしても、この女優がなかなかよかった。余計なことをいえば、SPEEDというグループにいたhiroに似ている。芸能通の君なら、hiroぐらい知ってるだろう。
    主 四人のなかで、一番、歌がうまかった子だね。ピンでやりはじめてからは、これといったヒット曲もなく、今はどうしているのか、さっぱり分からないな。それでも、何年か前に、阿部寛主演のテレビ・ドラマ『最後の弁護士』の主題歌は注目して聞いていたけど、ブレイクしなかったな。
    客 君にhiroなんて振るんじゃなかった。映画の方へ話は戻すぜ。組織になじめないセルゲイが、レーニンから受けた運動資金の一部をもって、逃亡。結局、組織に見つかり、処刑処分の代わりに新たな任務が下るが、遂行の後、日本軍たちに撃たれたように工作して組織によって殺される。セルゲイの恋人でもある、かね子は、その事実を知って、グンを責め立てる。失意のかね子が雨にうたれ、自死に向かうシーンが、またいい。セルゲイ、グン、かね子をめぐる物語がもっと厚く展開されていたなら、いかにも君好みの映画になっていたかもしれないなと思って見た。
    主 そういういい方は、君の偏見だな。それよりも、チャン・ドンコンは、あっさり消えてしまうのかい。なんか、看板に偽りあり、詐欺行為じゃないのか。特に女性ファンに対しては。
    客 そこが、この作品を際立たせているところだ。残された四人にしても、かね子にしても、セルゲイの“生き死に”に共感しているからこそ、共にあるわけだからな。
    ところで、運動は急速に停滞を強いられ、団の方針として、広州に拠点移し、テロ活動は休止して、大規模な組織的運動を進めようとする団の幹部が、残った四人のもとに説得にやってくる。それに対して、彼らは、「無政府共産を理想社会」として実現するためにも、依然、テロも辞さないと主張して、団から見放されることになる。臨時政府下にあって左派勢力を担い前衛組織として緩やかな社会主義革命を志向していく組織幹部たちと、次第に苛烈な行動に傾斜していくテロリスト・グループのアナキストたちとが対立していく様を、美しくそして悲しみに満ちながら、鮮烈に描写していく後半部の映像は感動的ですらあった。団と訣別して、独自に行動をとることになって、イ・グンが、年少のメンバー、サングに海岸で佇みながら優しく語りかける場面がある。「アナーキーの語源は、ギリシャ語でアナルキアあるいはアナルコス、船長を失くした船乗りたち」という意味であることを教える。組織から見捨てられた自分たちを擬して述べているわけだが、秀逸なシーンだ。
    主 なるほど。君のいまの説明でふと思い出しことがある。戦後俳句最大の収穫の一つといわれている高柳重信の作品がある。「船焼き捨てし/船長は/泳ぐかな」というものだ。アナーキーの語源の「船長」と、この作品の「船長」には、大きな異和がある。また、アナーキーの語源の「船長」と「船乗りたち」との関係を分岐して考えたり、月並な前衛・後衛といった図式でみるのは、浅薄だ。ましてや、重信の句の場合、では、「船乗りたち」は、どうしたのだろうと勘繰れば、作品の見通しを誤ることになる。もちろん、「船」というメタファーが醸成してしまうイメージがそもそも、問題なのだ。率直に言って、難解俳句の象徴としていわれている重信の“船長の句”を、アナーキーの語源に照応させて捉えてみれば、おもしろいとわたしは思うがどうだろう。「船長を失くした船乗りたち」といえば、なにか、「船乗りたち」が、途方にくれて、迷っているというイメージになって、わたしは、あまり好きではない。「船長を失くし」ても、「船乗りたち」は、「船」を動かすことは出来るはずだし、迷走することなく、“航海”していくべきなのだ。とすれば、「船長」が、みずから「船焼き捨て」て、“泳ぐ”ことの方が、はるかにラディカルな行為だといわねばならないだろう。この「船長」には、「船乗りたち」も含んでいると考えたい。「船乗りたち」ひとりひとりが「船長」となって、“泳いでいく”と見た方が、スリリングだ。では、“焼き捨て”られた“船”は、なにを意味するのか、それは、読み手が自分の問題に重ね合わせて捉えればいいのだ。
    客 ご高説は、ありがたいが、ここで君と俳句論を交わしていると先に進めないので、映画の方へ、戻させてもらうよ。最後のテロ行動に向かう前、ハンが「俺たちが今やろうとしていることは、俺たちの理想だろうか」とグンに聞く。それに対して、「今を生きている俺たちに、そんなことは関係ない。重要なのは、俺たちが共にいることだ。理想や夢については、事が終わった後に話そう。」とグンは、応答する。そうなんだ、「重要なのは、俺たちが共にいることだ」というくだりが、感動的だと思わないか。原題の英語表記が、「The Anarchists」と複数形なんだな。ここが、この映画の主題だといってもいい。一人一人が立っていて、なにかを共同にやるということ。だから、何度もいうようだが、セルゲイの先行する死は、共にあることの象徴なんだな。ただ一人、生き残ったサングは、李政権が成立した後の挫折と悔恨のなかにあって、過去を振り返るかたちで、しかも彼のナレーションによって映画が進められていくことにも、そのことの思いは込められているといえる。
    主 アンジェイ・ワイダの『灰とダイヤモンド』(1958年)が、戦後の挫折と悔恨を見事に活写したのと似ているな。戦いが、終わってみれば、微妙な差異を発生させるものだという典型的なことが、人間と組織体の問題としていつも横たわっているわけだ。しかし、君の解説を聞いていると、この映画『アナーキスト』のテロリストたちは、まるで大正ギロチン社の中浜や古田たちのように思えてならない。変なリアリズム映画や、主題にもたれかかる映画はだめだが、活劇や物語性をもったものなら、こういうモチーフでも感動を与えるという証左かもしれない。こうなれば、ぜひ、鈴木清順さんに、ギロチン社事件をモチーフにした念願の、映画『疾風怒濤』を実現して欲しいと思うのは、わたしばかりではないだろう。

    【監督ユ・ヨンシク、脚本パク・チャヌク、撮影キム・ウンテク、出演チャン・ドンゴン、チョン・ジュノ、イェ・ジウォン他、2000年・韓国映画・カラー・ビスタサイズ・109分、日本公開・2005年4月16日〜22日、5月25日・DVD発売】

    [付記]この稿を起こした後、『日本アナキズム運動人名事典』(ぱる出版・刊)の「申采浩(シン・チェホ)」の項目を見た。「22年金元鳳が率いていた義烈団に顧問として加入。23年義烈団宣言である『朝鮮革命宣言』を作成(朴烈・金子文子の予審調書に資料として全文が翻訳され添付されている)。」(亀田博・記)とあった。映画の義烈団は、ここで記されている義烈団をモデルにしているといっていいかもしれない。映画のなかで、臨時政府の左派勢力の中心メンバーとして申の他に、李東輝(イ・ドンヒ)、金元鳳(キム・ウォンポン)の名前を挙げていた。金は、朝鮮戦争後、北に渡り、重要閣僚を歴任していったようだ。

    (「アナキズム」7号・06年3月)

    2007.02.01 Thursday

    映画『LEFT ALONE』が射程に入れるもの

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       映画『LEFT ALONE』のチラシにこんな惹句が書かれていた。
       「1968年とは、どのような年だったのか?革命、暴力、闘争の圧倒的な転回点を語る複数の声。そして、いまなお左側を歩くことの孤独…。」
       なるほど、左側を歩くことは孤独なのかと思わず、感嘆しながら、その字句を追ってしまった。だが、この映画に登場する人たちを見て、それが映像という皮膜がかかっていることを承知のうえだとしても、「孤独」感はわたしにはまったく感じられなかったといっていい。自分が、学生運動を選んだのはある種のセルフサクリファイスだったと喜々(と見えた)として語る西部邁や、鎌田哲哉が真摯に問いかけても、吉本―花田論争を勝ち負けだけでしか皮相に語るしかない絓秀実、高校生時代に山村工作隊に参加したことを、まるで武装共産党時代の唯一の歴史的証言者のように、滔々と語る松田政男、三十数年前、わたしには信奉していた吉本のことも含め六〇安保闘争を熱く語ってくれた柄谷行人は、他人事のように何を言いたいのか不分明なまま訥々と語るところを見せられて、この映画には、正直、物悲しさしか感じられなかった。
       わたしがそもそもこの映画に関心を向けたのは1968年生まれの井土紀州監督が、異和や親和も含めて、“ある”時代(歴史ではない)をどう映像として切り取って見せてくれるのだろうかということだった。もうひとつ理由がある。かつて「映画芸術No.392」(2000.6)誌上で、座談会「事件から〈遠く離れて〉」に参加した井土紀州の紹介文として「1968年三重県生まれ。法政大学ではアナキスト研究会。94年よりピンク映画のシナリオを手がけ始める。代表作は『雷魚』(略)」というのを目にしていたからだ(アナキズムではなくアナキスト研究会となっていたのは、編集部の間違いのようだ。その前に出た「足立正生」特集号では、荒井晴彦の問いに、「僕は、八〇年代後半に大学生だった訳ですが、最初は法政のアナキズム研究会にいて、諸々の事情からシアター・ゼロという自主上映組織に行って、映画に関わり始めたんです。(略)周りにいた新左翼オタクのような人に『新左翼理論全史』『新左翼運動全史』通称赤本・青本を読まされるような環境だった。」と述べている)。井土のプロフィールとして、その後、なぜかこの「アナキズム研究会」というものが、除去されていく。いまは、そのことを問うまい。ただ、わたしが、映画『LEFT ALONE』(わたしが、見たのは「1」のみで、「2」は未見)に、実はある種の期待感をもったのは、そんな井土の履歴に興味を引かれていたからだ。
       だが、予期していた通り井土の視線はひたすら絓秀実に伴走するように、動いていく。冒頭と終景は、絓が講師として関わっている早大の地下サークルスペース強制撤去の闘争(2001年7月)模様を延々映していく。音楽に合わせながら愉しげに踊る絓。大学側となにやら柵越えで揉めている様が不分明な画像として長々と続く。特に、この冒頭場面を、絓や井土は1968革命(そういういい方自体、自己誇示の論理でしかない)と地続きなものだと主張したいのだろうか。もしそうだとしたら、わたしはそれを、受け入れるわけにはいかない。
       さて、映画は、それぞれのインタビュー実写場面の連結に、なぜか、唐突に花田清輝やベンヤミンの言辞が引かれながら、進んでいく。語るのは、絓であり、松田であり、鎌田、西部、柄谷である。この映画の上映に際し、サブ・テキストとして『LEFT ALONE―持続するニューレフトの「68年革命」』(明石書店)が刊行されている。インタビューは、映画で割愛された部分を再現して編集されている。以下、この書籍版『LEFT ALONE』(ただし、鎌田が、追記のなかで柄谷行人を批判していたため、絓と鎌田の対談は収録からはずされている)を出典として論述していく。
       絓は、井土の「『68年革命』というのがここしばらくの絓さんのモチーフになっていますが、今なぜ68年なのか」という問いに対して、「当時から自分自身が全然変わってないな、というのを改めて考えるんですね。(略)結局変わっていない、ということが、改めて自分のなかのモチーフとして浮上してきたということが一番大きいですね(略)僕もある意味その中に加わってもいた運動体で、69年の第二次早大闘争のときに反戦連合という組織があるんですが、その一部が三ム主義―『無秩序、無思想、無セッソウ』―の『ナンセンス・ドジカル』を掲げていたんですね。(略)そうしたことを、どう持続していくかというのが、69年以降の僕のモチーフみたいなもんですね。」と語る。わたしは、絓に脳天気という言葉を献辞したい。彼の継ぎ接ぎだらけの論稿の実態は、このような感性の上で成り立ったているものなのだ。彼の著書『革命的な、あまりに革命的な』や本書の巻末に配した年表のどちらにも1966年10月19日の項目はこうなっている。
       「ベトナム反戦直接行動委員会(松田政男ら、アナキスト系)、武器生産の中止を要求して田無の日特金属工場へ突入」
       いつからベ反委が、松田に領導されていたというのだろうか。これは、彼ら(絓や柄谷や井土)にとって、「スターリン批判以降の全般を取り上げる場合、どう考えても松田さんしかいない」と絓にいわしめるほど、松田政男が歴史的に屹立していることを意味しているようだ。
       絓が自己自身を演繹していくのは、勝手だ。だが、未知の読者たちに捏造した歴史を押し付けるべきではない。
       絓の柄谷への次ぎの様な問い掛けもそうだ。
       「柄谷さんは東京大学の駒場の学生の頃、社学同でやっておられたわけで、やっぱり犲匈愼浦瞳アピール瓩覆鵑を見ても、ある種アナーキズムに対する親和性・シンパシーみたいなものを一方ではお持ちになっていたわけですよね。」という絓の発言に柄谷は応答する。引用するのも苦々しいが、こうだ。
       「(略)1961年に社学同を再建したころ、人から『あなたの考えはアナーキズムに似てますよ』と言われたことがあった。あれは誰だっけなあ…平凡社にいた人(引用者註=絓が大澤正道と合いの手を入れる)そう。それで、大澤さんの本を読んだことがありますよ。確かに似ていた。似ていたけど、この人なんか嫌な奴だなあと思った(笑い)(略)アナーキズムについて考えるようになったのはむしろ最近、2000年頃からだと思うんです。(略)アナーキズムというのは、ひとつのきっちりとした政治思想として、というよりも経済思想としてあるわけです。」
       この対談は2001年12月だから、まだNAMは機能していたかもしれない。ご都合主義とはこういうことをいうのだ。プルードンを訳知り顔に都合よく援用してNAMなるあやしげな集団を立ち上げた柄谷ならではのご高説だ。「アナーキズムというのは、ひとつのきっちりとした政治思想として、というよりも経済思想としてあるわけです」と、いまでも確信しているなら、その論拠を聞いてみたいものだ。
       このように、述べながらわたしはいったい誰に何のためにこうした消耗な憤りを向けているのだろうかと思ってしまう。わたしはなにも、柄谷や松田や絓たちをためにする批判をしたいのではない。この映画『LEFT ALONE』のように、あるいは、柄谷たちの高邁な言説を真実(あるいは事象として事実)のように感受されてしまうことを危惧するだけなのだ。
       わたしが、未見の「2」では、あの津村喬が登場するらしい。最近、絓は70年7・7華青闘の集会に関して、ことあるごとに、その重大性を強調しているようだ。入管法をめぐる党派間のヘゲモニー争いを糊塗するために、既に形骸化していた全国全共闘を主宰者としたこの集会によって侵略戦争加担問題や差別問題が露呈したのは、後付の論証でしかない。日本のニューレフトはこの時、総懺悔したとか、日本の思想上、決定的なターニングポイントだったと、声高にフレームアップしようとする絓は、7・7集会の仕掛け人だったらしい津村を迎えて、松田以上の歓待ぶりを示している。
       ふたたび、わたしは、1968年生れの井土紀州に視線を向けたい。井土たちにとって、60年や70年は古文書のような出来事なのだ。証言者に何かを期待してはいけない。自らでテキストにあたり、類推していくことの方が、仮に誤った認識に到達したとしても、そのほうがはるかに意味のあることだということをいっておきたい。

      (「アナキズム」6号・05年6月)



      2007.02.01 Thursday

      物語の虚構あるいは反虚構―映画『またの日の知華』を見る

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         原一男といえば、『ゆきゆきて、神軍』(1987)や、『全身小説家』(1994)といった映画作品に代表されるように、ドキュメンタリー手法を駆使した作品の監督で知られている。そして、十年ぶりの原の新作は初めての“劇映画”だという。ドキュメンタリー映画と劇映画の違いを、なにに求めることができるだろうか。誰でもが想起することは、ノンフィクションとフィクションの差異ということに違いない。しかし、わたしならそこに、なにか狭間のような領域を措定したい。そして、物語の虚構あるいは反虚構ということについて、考えてみたくなる。
         映像の世界は、活字や音楽よりもはるかに喚起する力を内在している。フィクション(ヴァーチュアリティ)がノンフィクション(リアリティ)へ、あるいはノンフィクションがフィクションへと移行可能な領域というものが常にある。ドキュメンタリー手法を駆使した映画作品だから、そこにノンフィクション的世界(あるいは、現実的世界)だけが描出されているとは限らない。むしろ、反虚構でありながら虚構性に満ちている場合もあるのだ。それが、映像が内包している力ともいえる。原たちが、なぜ、あえて“劇映画”というカテゴリーを強調し、それまでの作品群との差異化を提示するのか、実は、わたしにはよく理解できないのだ。この、『またの日の知華』を見た後でも、それは、変わらなかったといっていい(劇映画には、脚本といういわば設計図のようなものがあり、撮影作業は、それに添って進められるわけだから、ある意味、波乱や予定外のこと、ハプニングが起きにくいとはいえるが、しかし、脚本どおり映像化がなされるのだったら、監督は不要だということになる)。
         吉本隆明をして、「薄力」の社会相にたいし、鬱積する思いを対峙させた「強力」映画であり、「衝迫力と場面把握の周到さにとても感銘をうけた」(「『ゆきゆきて、神軍』その他」)といわしめた『ゆきゆきて、神軍』は、〈現実(事実)〉を〈現実(事実)〉として描出したわけでも、ノンフィクション映画という位相を提示していたわけでもない。それは、原が抱えているモチーフの必然性が執拗なカメラワークと頑強な問題意識を視線に生起させていたからこそ、衝撃的な映像観を見るものに与えたのだ。もちろんそれは、『極私的エロス・恋歌1974』(1974)や、癌闘病のなか〈死〉へと向かっていく井上光晴を徹底して捉えていく『全身小説家』にもいえることだ。何度でもいおう。それは、ドキュメンタリー手法だから可能にしたと、皮相にいいたくはない。もちろん、手法による効果は、認めてもよい。だが、原が突き進む迫真的視線が、そのような映像的力を表出したのだといっていい。
         こうして、わたしは劇映画としての『またの日の知華』という作品のなかへ立ち入ることになる。ほんとうはこれまでの履歴を排して(不可能なことに違いない)、原一男による第一回(劇映画)作品として、見ていくべきなのかもしれない。
         かつて、吉田喜重に『告白的女優論』(1971)という作品があった。『またの日の知華』は、原一男版(あるいは、プロデューサー・脚本家の小林佐智子版といってもいい)『告白的女優論』だといってもいい。〈女優〉とはなにか。それは、必ずしも〈女性〉とはなにかと問うことではない。〈男優〉とはなにかと問うことは、例えば、昨今の韓国映画・TVドラマブームで韓国男優が注目されたり、わたしたちの世代でいえば、かつて東映ヤクザ映画群のなかで光彩を放っていた男優たちに着目するといったかたちがあったが、これはある意味、直截的に〈男性〉性へと到達していく事態だといっていい。わたしの考えでは、〈女優(厳密にいえばこうなる。女性が演ずる物語上の女性人物)〉は、劇性(物語性)を獲得することによって、観念としての〈男性―女性〉性を衝き破りうるものだと思う。こうもいえる。〈女優〉が演ずる存在性は、生と性そして死へいたる道筋として、まるごとわたしを撃つものだ。〈男優(男性)〉は、谷川雁的にいえば、たかだか、“瞬間の王”でしかない。
         映画『またの日の知華』は、〈知華〉という一人の女性を年代ごとに四人の〈女優〉が演ずる物語である。『ゆきゆきて、神軍』や、『全身小説家』で、奥崎や井上以外で圧倒的に印象深い登場人物といえば、アナキスト老・大島英三郎であり、埴谷雄高だろう。そして今作品で、そのふたりに匹敵する存在感を与えたのは、あえていえば渡辺真起子であり、金久美子であった(あとのふたり、吉本多香美と桃井かおりは、パフォーマンス性の力量のなさは承知していたが、他の二人の〈知華〉という存在と乖離しているとしか思えなかった。キャスティングの失敗であることは当然としても、これは、劇映画として監督・演出家の怠慢か、妥協の結果だとしかいいようがない)。渡辺や金(この作品が遺作になった)が、特筆するほど際立っていたのではない。吉本(石川淳志監督の第一回作品『樹の上の草魚』が初主演映画だった―石川は原に比べたら遥かに吉本を強いていたと思う)や桃井の物語全体のバランスを崩す有様が、ふたりをせり上がらせたにすぎないのだ。
         わたしは、この映画で、原が『極私的エロス・恋歌1974』の総括をしたかったのではないかと思っている。だから、〈劇〉映画にしたかったのではないか。皮膜をかけた緩やかな私的映画ではない、まさに極私的としかいいようがない原と女性との、ひたすら内閉していく世界を執拗に描出した『極私的エロス・恋歌1974』は、映画監督原の膂力の源泉だといえる。だが、それは〈私〉というものを回収できず、そこへ置き去りにしたことでもあったはずだ。
         原は、『知華』で、〈女優〉たちの背後に〈風景〉を置いた。これはある種の原における鎮魂と懺悔の表象かもしれない。百八つの蝋燭を点けてまわる神事、手筒花火、そしていつも海。いや、原が拘泥した〈風景〉がまだある。時代設定を六〇年から七〇年代後半にして、そこで切り取られる〈実写〉は、六〇年安保闘争のデモであり、六九年東大安田講堂闘争であり、七二年連赤あさま山荘銃撃戦であり、七四年三菱重工爆破の映像(特に、手筒花火とのオーバーラップは圧巻である)だけなのだ。
         しかし、時間の連鎖は、回収できない。いつだって今の自分を責め立てるものだ。原が描いた(あるいは描こうとした)、〈知華〉は今に立っていることの重きを、その存在性にかける女性としてあったはずだ。だから悔恨や鎮魂、懺悔は意味がない。〈知華〉の息子が登場するエピローグは、物語のうえでも不要だったということだ。桃井演ずる四人目の〈知華〉が、男女の宿運的な事件死に至ったとしても、それは、“死ねば死にきり”でしかない。
         最後に、こういおう。〈知華〉はわたし(たち)自身の生きていくことのメタファーのはずだ。漂流し、生き続けていくならば、そこになにがしかの〈華〉を知り、それを希求していくことになるはずだ。もちろん、なにがしかの〈華〉もまたメタファーでしかないのだが、あえてそれを換喩していくことが、ほんとうは必要なことなのではないかと。

        (「アナキズム」6号・05年6月)



        2006.11.22 Wednesday

        R・アルトマン追悼

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           アメリカの映画監督、ロバート・アルトマンが20日、亡くなった。81歳だった。代表作の『M★A★S★H』(70年)や『ナッシュビル』(75年)をリアルタイムで見たわけではない。70年前後のわたしの映画遍歴は、日本映画中心(加藤泰、鈴木清順など)であり、数少ない外国映画は今にして思えば恥ずかしいが、ゴタールやヴィスコンティやパゾリーニだった。正直にいえば、わたしは遅れてやってきたアルトマン・ファンである。『ザ・プレイヤー』(92年)と、『ショート・カッツ』(94年)に圧倒され、なぜか再上映されていた『ロング・グットバイ』(73年)を映画館で見て、この傑作原作小説を見事にアレンジした力量に深く感動したものだった。以来、遡って旧作を見、先年の『バレエ・カンパニー』(03年)まで新作はすべて映画館で見てきた。ほとんど、映画館に行くことのなくなったわたしだが、監督名で必ず映画館に新作を見に行こうと思っていた、現在、唯一の監督だった。
           未公開新作(遺作)『ア・プレイリー・ホーム・コンパニオン』の公開が待たれる。

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