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2009.05.20 Wednesday

追悼・忌野清志郎

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     90年の初夏に見た相米慎二監督作品『東京上空いらっしゃいませ』は、わたしのなかで相米映画ベスト作品だと思っている(相米ファンの多くから異論が出ることを承知の上で、さらにもう一本『ラブホテル』を加えた二本がわたしの相米映画ベスト・ツーだ)。「死」をめぐる不思議な物語をもったこの作品は、牧瀬里穂の清冽な存在感とともに、幾つかのバリエーションで流れるテーマ曲「帰れない二人」が、実にいいのだ。この歌を、井上陽水が唄っていたことは知っていた(73年刊・アルバム『氷の世界』収録)のだが、陽水にあまり好感を抱いていなかったわたしにとって、それまでは、それほど印象深く思ったことがない楽曲でしかなかった。憂歌団の木村充揮のバージョンが特にこのなかでは秀でていた。エンド・クレジットで、「帰れない二人」の作詞作曲が陽水と清志郎の共作だったことを知って、驚いたと同時に、その少し前に読んでいた連野城太郎著『GOTTA(ガッタ)!忌野清志郎』(89年刊・角川文庫)で、二人がお互いのアパートを行き来しながら(たぶん)、共作したエピソードが綴られていたことを思い出したのである。それが、この曲だったのかと、納得したことを覚えている。

     思ったよりも 夜露は冷たく/二人の声もふるえていました/「僕は君を」と言いかけた時/街の灯が消えました/もう星は帰ろうとしてる/帰れない二人を残して//街は静かに眠り続けて/口ぐせの様な夢を見ている/結んだ手と手のぬくもりだけが/とてもたしかに見えたのに/もう夢は急がされている/帰れない二人を残して//もう星は帰ろうとしてる/帰れない二人を残して

     なんとも、イノセントなセンチメンタリズムといったものが言葉のなかに充満している詩だと思う。「『僕は君を』と言いかけた時街の灯が消えました/もう星は帰ろうとしてる/帰れない二人を残して」というフレーズは、陽水というよりも、清志郎的世界だなと思った。清志郎バージョンだけの「帰れない二人」はあるのだろうかと思い、探して見たが、分からなかった。『RC SUCCESSION  THE KING OF LIVE』(1983年)という ライブ盤がある。そのエンディング曲「Yubiwa O Hametai」(この熱唱と演奏がまた凄い、12分52秒だ。80年に発売された『RHAPSODY』のオープニング曲「YO-O-KOSO」に匹敵する)が、「帰れない二人」のアレンジ・ヴァージョンだった。「帰れない二人」よりも、もっと直接的に、さらに苛烈に、「愛」を訴えかけている歌になっている。

     きみとOh oh oh oh oh oh/はめたいのさ/きみだけと いつまでも いつまでも/はめたいのさ/ぼくを 愛して/ささやいて/きみを抱くときに/きみとOh oh oh oh oh oh/はめたいのさ/指輪を いつまでも いつも いつも いつも いつも/はめたいのさ/ぼくには きみが/よくわかる/よくわかる/目を閉じても きみが/見える/離れているときも/きみとOh oh oh oh oh oh/はめたいのさ/きみだけと/きみだけと いつまでも/いつも/はめたいのさ/もしも こんな夜に 外に/ほうり出されても 眠るところさえ/見あたらなくなっても/そばにきみがいれば/そばにきみがいれば/そばにきみがいれば/そばにきみがいれば 何も/変わりはしないさ 何も/ぼくは何も怖くない 何も/ぼくは何も怖くない 何も/ぼくは何も怖くない 何も//そうさ ぼくは寒くない 何も/もう 何も/もう/もう

     すごい詩だと思う。この詩にあの切ない〈声〉が、重なっていくのだ。「そばにきみがいれば 何も/変わりはしないさ 何も/ぼくは何も怖くない 何も」「そうさ ぼくは寒くない 何も」という言葉は、わたしに過剰な発語は、関係性を視えなくさせるだけだと伝えてくれるのだ。「何も怖くない」の次にくる「ぼくは寒くない」という直接性が、深いイメージを湛える。清志郎は、ステージで観客に向かって、なんの外連もなく「愛」という言葉を発する。観客もそれに応えていくというように、独特の関係性を醸し出しているし、それが、多くの人に清志郎が支持されている所以だと思う。だが、わたしは、結婚もし、子供もいる私人としての清志郎と、世界に対して熱い憤怒を投げ掛け、「愛」を発語していく清志郎に対して、率直性を感受すると同時に、どこかアンビバレンツな思いを払拭することができないでいることに気がついてしまうのだ。そのことを、言葉として連ねるには、もう少し時間が必要かもしれない。
     ただこれだけは、いえるはずだ。RC SUCCESSIONとしての活動が続けられなくなった後、様々なコラボレーションを清志郎は、やっている。しかし、RC SUCCESSIONこそが自分の立ち位置なのだということを誰よりも知っていたのは、清志郎自身だと思う。
     だからこそ、RC SUCCESSIONは、清志郎にとって「愛のかたち」であり、「愛」を率直に発語できるかたちなのである。
     いま、『RHAPSODY』を聴きながら、この文章を記している。生き急いだ人だったなと、思う。まだまだ、あの〈声〉を聴き続けていたかった。

     五月はいつも悲しい。高橋和巳が亡くなったのは、1971年5月3日だった。寺山修司が亡くなったのも5月で、1983年5月4日。そして、わが清志郎は、2009年5月2日午前0時51分、旅立ちの途についた。享年58。

    2017.08.03 Thursday

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      コメント
      >> 90年の初夏に見た相米慎二監督作品『東京上空いらっしゃいませ』は、わたしのなかで相米映画ベスト作品だと思っている(相米ファンの多くから異論が出ることを承知の上で、さらにもう一本『ラブホテル』を加えた二本がわたしの相米映画ベスト・ツーだ)

      全くの同感です(もっとも私は、「光る女」と「あ、春」の2本が未見ですので、あくまでも見た中での注釈がつきますが)。「帰れない二人」は、初めて陽水のアルバム「氷の世界」を聞いて以来、大好きな曲です。
      • 魔笛
      • 2013/03/16 9:29 AM
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