西村賢太 著『瘡瘢旅行』
(「図書新聞」10.1.16号)

 前著『小銭をかぞえる』から、ほぼ一年ぶり、著者にとって五冊目の作品集である。これまでの作品同様、本書もまた西村賢太が放出する世界は、濃密過ぎるほど濃密に、男と女の葛藤劇を描出している。そして、そこでは、利己的で、偏執的で、粘着的な嫉妬心を過剰に言葉の内奥に潜めながら、しばしば暴力的な行為へと突き進んでしまう「貫多」あるいは「私」が、「秋恵」もしくは「女」への直接的な「愛」を、露出していく。それはまるで、二人の男女が、泥濘のなかをただただ執拗なまでに歩き続けているようなものだといいたくなる。
 それでも、この作家が持つ膂力によって、微妙な心理劇として、男と女の関係性をひとつの普遍的な位相へと高めているのだ。そしてさらにいえば、救いようのない態様を露呈させながらも、男女間における繊細な感性とでもいえるものが、わたしたちに、ある種の安堵感のようなものを与えてくれるといってもいい。
 本書には三編の物語が発表順に収められている。「廃疾かかえて」は、突然、秋恵の携帯電話に女友達の久美子から掛かってきたことを契機に、思わぬ方向へと展開していく物語だ。誰一人として友達のいない貫多は、秋恵と久美子を友人関係であると、素直に認知したくないという頑迷さを抱いていく。久美子が秋恵に借金をして返さないままでいるということも、素直になれない根拠でもあった。そういう貫多は、非業な死を遂げた戦前期の作家・藤澤翅い遼弩緜鏤劼鮗称し、個人編集による『藤澤翅ち棺検戮隆行企図のために、秋恵の実家から三百万円借りたまま、返済せず、しかもまだ一巻も刊行していないという状態なのだ。久美子と会って、やや意気消沈して帰宅した秋恵に対し、貫多は執拗に追及する。借金を返してくれなくても、食事代を自分が立て替えたとしても、秋恵にとって久美子との邂逅は、ある意味、貫多との息苦しい場所からのひと時の慰安であるのだ。貫多は、なおも諦めずに久美子から借金を取り立てることを夢想して、この一編は閉じていく。
 「膿汁の流れ」では、秋恵の祖母が緊急入院したため、見舞いのために故郷に帰った秋恵の不在の二週間の貫多の様を描いていくものだ。ここでは貫多自身の祖母に関することや、家を出てなんとか糊塗を凌いだ頃を回想する描写があり、これまでの作品にはなかった情感を湛えている。
 「先般約四半世紀ぶりに祖母の墓前に立ったと云うのも、つまるところは、かの私小説作家の年回忌で能登に向かおうとした折に目的の飛行機便に乗り遅れ、その次便を待つ間の単なる閑潰しみたようなものだったのだが、そのとき目にした墓石は予想だにしなかった荒廃ぶりを示しており、(略)ひどくうら寂しいものであった(略)。とは云え、今更貫多なぞがその祖母に対しては、何んら供養じみた真似をする資格も権利も皆無であるに違いない。」
 本当は、自らをこのように捉えられる貫多が、こと秋恵に対しては、「失う事態にでも陥ったならば、少なくとも精神的には二度の立ち直りを計れぬ予感がする」にもかかわらず、「持って生まれた横柄な地金をあらわし」ては、苛めてしまうのだ。
 書名となっている「瘡瘢旅行」は、二編の間に配置されて、人称は「私」と「女」である。“瘡瘢”とは、あまり見られない言葉だが、“きずあと”という意味になる。「女は私に対していつからか、と云ってもそれはごく最近からには違いないのだが、しかしその端緒になったのは一体いつ頃のことからなのか、妙に他人行儀な接しかたをするようになって」きたところから物語は始まる。送られてきた名古屋のデパートで開催される即売展用の古書目録に、未見の藤澤翅い涼作掲載誌を見つけ、直接求めるために岐阜の古書店へと女と一緒に出かけていくことになる。この日帰りの旅程の様態が、実に細やかに、しかも極めて偏執的に描かれていくのだが、わたしは、この作家の新たな段階を指し示すものとなっていると捉えてみたいのだ。窓際には座りたい、煙草を吸いたいといって、縦に並んで二人は席を取る。しかし、乗車後、女は禁煙の自由席へ移動してしまう。「なら、はなっからおまえは指定席なんか取んなきゃよかったのに」と悪態をついても、女は意を返さない。古書店に着いて、店主と交渉するもうまくいかなかった。女はいう。
 「あなたは他の運は全部ダメだけど、翅け燭世韻狼せち悪いぐらいに持ってるんだから、大丈夫だよ」
 「でも、やっぱあたしは一緒に来る必要がなかったね。なんか、なんのためにこんなとこまできたかわかないんよ。(略)」
 「……元気だしなよ。大丈夫だよ、案外あの雑誌で騒いでるのって、この世であなたひとりだけかもしれないよ。他に注文するお客がいなかったら、間違いなくあなたのものになるじゃない」
 女が男を励ます意味で述べる言葉の内奥には、どこか距離感のようなものを漂わせている。全編、男の凶暴性を削ぎ落とすかのような、女のスタンスは、これまでの作品にはなかった描き方だ。帰宅後、古書店から売買承諾のファックスが来ていて、男は、女に「おう、早く風呂に入ってこいよ。で、上ったら早速祝杯を上げようじゃねえか」という。
 「雀躍して燥ぐ私を、作り笑いも浮かべずにどうでもいいような、投げやりな目付きで眺めていた女は、やがて立ち上がると無言で居間の外に出ていった。」
 そして、この後、「あとから思うと、すでに女はこの時期、パートで知り合った優男と親密な間柄になりかけていたものらしい。そしてこのときが、これより約三箇月後にその男のところへ逃げ去った女との、最後の遠出となったのである」という記述を続けてこの物語を終えている。これまでの作中の男女は、どんなことがあっても、また関係性を紡いでいくように描かれていた。しかし、この一編は、明らかに、別離を告知している。男(貫多)と女(秋恵)の関係は、本当に終焉を迎えてしまうのだろうか。わたしは、率直にいって、次の展開を期待しないではいられない。こうして、西村賢太が放出する世界に魅せられてしまった自分を確認することになる。

(講談社刊・09.8.26)

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