客 先日、君に勧められて読んだ樋口有介の作品、面白かったよ。柚木草平シリーズ以外のものも幾つか読んだ。最初期の作品『ぼくとぼくらの夏』や、『風少女』そして、『枯葉色グッドバイ』など、よかったな。繊細な描写に彩られた文体の良さもさることながら、登場する女性たちの像形が、実にいいと思った。村上春樹の新作『1Q84』なんかを読む暇があったら、絶対に、樋口有介作品を勧めたいな。
主 気に入ってくれて、良かったよ。ほんとうは、触れる気も起きなかったのだが、君が引き合いに出したから、敢えていっておくけど、本当に酷い作品だったな、『1Q84』は。BOOK1、BOOK2と読み進むうちに、いやな予感が湧き上がってきたのだが、案の定、BOOK3を読み終えて愕然としたね。一体、この作家が持っていた屹立した資質は何処へいってしまったんだと、憤りすら感じたよ。BOOK3が未刊だった時点で、松本健一の村上論(『村上春樹――都市小説から世界文学へ』)の書評を頼まれて、執筆した文章の最後を、「『ねじまき鳥クロニクル』の第3巻によって物語を大きく離反させて、わたし(たち)に落胆を与えてしまった村上春樹が、『1Q84』で同じ轍を踏まないことを期待するだけだ」と、締めくくったけれども、予想通り、同じ轍を踏んだことになる(笑)。離反なんていうものではなかった、この際、破綻させたと、はっきりいっておきたい。この作家は、もともと、短編や中篇に、すぐれた物語性を表出しているといっていいと思うのだけれど、『ねじまき鳥〜』にしても、『1Q〜』にしても、ダラダラした長編の作り方は、自身のこれまでの作品性の深度を相殺してしまうものだといいたいな。『ねじまき鳥〜』で、ノモンハン事件を出して、戦時下のアポリアをモチーフにしたのはいいのだが、結局、未消化のまま、いったいこの作家のスタンスはなんなんだという疑念しか湧かなかったように、『1Q84』の新左翼活動家たちが後にカルト教団を作って、武闘派と穏健派に分派してといった裏ストーリーは、連赤やオウムを彷彿とさせながらも、ノモンハン事件と同じで、まったく図式的なモチーフ設定でしかなく、なんら、作品に効果的な影響を与えていないといっていい。
客 モチーフに対して寄りかかりすぎなんだと思う。主題主義小説といういい方があるが、戦前のプロレタリア文学から、戦後の野間宏に象徴される全体小説まで、ことごとく、文学作品として駄目だったように、もっとも、そういう主題主義小説から遠いスタイルで出発したはずの村上春樹が、結局は、いつのまにか、主題主義の隘路に入ってしまったということになるね。
主 それでも、震災とオウムに喚起して書かれた連作集『神の子どもたちはみな踊る』は、まだ、よかった。その前年に、発表された『スプートニクの恋人』は、同じ長編でも、一巻に収まる量だったからか(笑)、傑作だと思うよ。『ノルウェイの森』のような陳腐な作品より遥かにいいと思うね。もう、村上春樹に関しては、これぐらいでいいよ。ところで、樋口有介についていうならば、新作『窓の外は向日葵の畑』(文芸春秋・10年7月刊)に対して、一言、いっておきたいな。若干、批判を込めて。
客 それも、読んだばかりだから、俺にいわせてくれないかな。はっきりいって、期待はずれだった。まさしく、「『ぼくと、ぼくらの夏』の著者が原点に帰って描き上げた、青春ミステリの新たなる名作」と帯文の惹句にあるように、これは、ほとんど、自己模倣作品というか、リメイク作品かと思った。それでも、独特の物語の展開は、魅力的ではあるから、それなりに読ませるのだが、唯一、いただけなかったのは、主人公の幼馴染の女の子が亡くなっているにもかかわらず、ゴーストとなって登場してしまうことだな。これは、禁じ手だよ。
主 そうだね、僕も同感だ。樋口有介ほどの作家なら、そんなオカルト小説まがいの設定にする必要はないはずなんだ。だから、どうも、二人の会話になった途端、引いてしまい、物語のなかに入っていけなくなってしまうという、中途半端な状態で読み続けることになったといっていい。
客 そういえば、君のもう一冊の、お勧め作品、貫井徳郎の『後悔と真実の色』は、なかなか読み応えがあったよ。山本周五郎賞を受賞したんだね。新作が出たようだけれど、もう読んだのかな。
主 貫井徳郎の新作『灰色の虹』(新潮社・10年10月刊)は、『後悔と真実の色』の読後感を抱きながら、期待して読んでいったのだが、かなり強引な物語展開に、やや興ざめしてしまったというのが、正直な思いだ。冤罪によって懲役六年の実刑を受けた男が、自分を無実の罪に陥れた刑事、弁護士、検事、裁判官たちを次々と復讐殺人をしていくという(目撃証人だけは、未遂に終わる)、ある種、荒唐無稽とも思われる物語設定なのだが、見方を変えれば、意欲的なモチーフといえなくもない。だが、多様視点の構成が、散漫な感じにしか受け止められず、しかも人物像形がやや冗漫に描かれ過ぎているため、物語の展開に遅滞性を感じさせたことも、確かだ。同じように、多様な視線から描出されていた『後悔……』は、ひとつの事件をめぐって、収斂されていくため、緊密性が保たれていたのとは対照的だ。そして、最も疑念に感じたのは、主人公の顔に大きな痣があるというハンデキャップを像形としていることだ。目撃証人の曖昧な発言は、その痣の判別にあるのだが、そのまま、やり過ごされて裁判が進行することの不自然さは、もちろんのこと、そのようなハンデキャップを像形にしていくことは、ある意味、樋口有介のゴーストと同じように、禁じ手を使ったようなものだ。さらにいえば、復讐するための契機として、そのような身体的ハンデキャップに起因していると類推させることは、同意できない。もっと、オーソドックスな像形だったら、目撃証人の確かさが強調されることになるから、事件の核心が崩れることになる。それが、この物語展開の強引さが露呈しまう弱点だといっていいと思う。意欲的なモチーフだっただけに、文体や構成にもう少し繊細さを加味させるべきだったなといいたい。
客 君は、もともとそんなに貫井作品に共感を持っていたわけではないから、『後悔……』を絶賛していたのは、意外な感じがしていたんだ。ここまでは、みんな、悪口になってしまったから、そろそろ、これこそは、面白いといった作品を推奨してくれないかな。
主 僕は、衝撃的な大作『警官の血』によって、十周遅れの佐々木譲愛読者となったのだが、警察小説ではないけれど、『北帰行』は面白かった。初期の作品で、『夜を急ぐ者よ』(86年刊)という傑作があるけれど、その作品を彷彿させるものがあった。率直にいえば、作品の深度としては、『夜を急ぐ者よ』の方が、断然、いいのだが。実は、『夜を急ぐ者よ』には、こんな箇所がある。

 「『「行きたまえ、きみはその人のためにおくれ、その人のために全てのものより先にいそぐ」知ってる?』
『隆明ですね。お好きだったんですか』
『六法だけが愛読書じゃないのよ。こう見えてもね。その子、裁判のことは知ってるんでしょう?』
『言ってません。まだ一緒に御苑を歩く程度の仲なんです』」

 主人公と弁護士との会話だ。詳細は省くけれど、ディテールに同時代性を感じさせながらも、いい意味でのモチーフの昇華がなされていて、物語の展開に不自然さやわざとらしさがないぶん、男女の間に沸き立つ硬質の抒情性が際立っていくといっていい。だから、吉本隆明の詩の一節が、引かれてもけっして不自然ではなく、作品の厚みが増していく効果があるといえる。これこそが、作家の膂力によるものだ。そして、いま、僕が毎回、楽しみにしているのが、「小説新潮」に10年5月号から連載している、『警官の条件』だ。しかも、この作品は『警官の血』の続編なんだ。まだ、物語は佳境に入っていないので、今後どんな展開をしていくのか、楽しみでならないね。完結した時に、また、あらためて『警官の条件』に触れることにするよ。
客 いつも、君にだけ勧められて、心苦しいので、俺から、お勧めを一冊。佐藤正午の『彼女について知ることのすべて』(95年刊)は、読後、いろいろなこと考えさせてくれる作品だった。もちろん、ミステリー的要素も充分にある。近作では、『アンダーリポート』(07年刊)もよかったな。
主 佐藤正午は、『ジャンプ』(2000年刊)は、読んだよ。『永遠の1/2』(84年刊)や『リボルバー』(85年刊)は、未読だけれども、映画化された作品は観た。それぞれ根岸吉太郎と藤田敏八(最後の監督作品となってしまったが)によるものだった。映画作品としてはどちらも秀逸だった。今度、読んでみるよ。
客 この次も、大いに盛り上がることを期待しているよ。

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