上野芳久著『田中恭吉―生命の詩画―』

 田中恭吉(1892〜1915)は、萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』(1917年刊)に収められた挿画で知られる版画家であるが、詩(歌)人でもあったことを知る人は、それほど多くはないと思われる。本書は、二十三年という短い時間を生きぬいた田中恭吉の足跡を辿りながら、その「詩画の世界」を著者の渾身の膂力によって丹念に照射したものであり、田中恭吉に焦点を当てた初の評伝であり評論集ということになる。
 いま、わたしの手元に、『恩地孝四郎 色と形の詩人』という300頁を超える書物がある。恩地の作品としてこの本のなかに、萩原朔太郎著『月に吠える』初版と第2版の書影が掲載されていて、「23歳で早世した親友の田中恭吉の意志を継いで恩地孝四郎が装丁を完成させた」と記されている。
 この、朔太郎、恩地、田中という関係性に、埴谷雄高の言ではないが、あたかも“精神のリレー”、あるいは、わたしなりに敷衍していうならば、精神の共同性なるものを、感受することができる。本書もまた、当然、三人の関係を基軸に、論述されていくことになる。
 恭吉は、和歌山から上京し、東京美術学校に入学する。やがて恩地との交友が始まり、竹久夢二との親交も深めていく。そして、恩地、藤森静雄とともに自摺私輯雑誌『月映』を創刊。木版画や短歌、詩を発表する。本書に収載されている作品(表紙絵ならびに口絵が四点)をみれば、ムンクの影響を見て取れるとともに、自らの身体性(存在性)に対する不安感のようなもの潜在させていて、痛々しい。

 「田中恭吉は、主観の高揚を形象化するといった象徴主義を、大正初期の日本において極限的につきつめていった数少ない表現者の一人である。その意味において、大正初期の美術界においても象徴的な意味として、存在として浮き出ている。思想的には恩地とともに、白樺派ヒューマニズムの影響下にあったと思われるが、真に共鳴を示したのは朔太郎らに見られる内部意識の緊迫とした世界に対してであり、その意味では表現主義に近いといえる。(略)二十三歳という、あまりにも若い歳で夭折したこの表現者が、時代を越えて心を撃つのは、『生命感覚』ともいうべき、芸術の尊大な要素を深く捉えかえしていたからに他ならない。恭吉の場合、それが生々しく画像に出たために、衝撃を与えつづけているのだろう。」(72〜73P)

 夭折した表現者だからというのではない、表現することの切実さということを考えていけば、「生命感覚」というものは、表現者であるならば当然、胚胎していてしかるべきなのである。例えば、本書の口絵にあり、『月に吠える』の挿画としても使われた、「悔恨第一」(1915年作)というペン画は、痛切な哀感を漂わせながらも、流線のモチーフの有様が、必死に生きて在ることの証明のように胸を打ちつけてくる。

 「(略)出会いは、朔太郎が恩地を介して、恭吉に自分の詩集の装幀を依頼するというように発展していった。とはいえ恭吉は、当時すでに和歌山に療養のため帰っており、直接に出会うことはついになく、恭吉は自らの装画による詩集を手にすることもなく去ったのであった。朔太郎にとって、恭吉との出会いは、ひとつの事件であったにちがいない。」(92P)

 「朔太郎は当初『月に吠える』を田中恭吉との詩画集として考えていた」(「あとがき」)という。「恭吉との出会いは、ひとつの事件であった」ことを思えば、恭吉の画群がなければ、『月に吠える』の詩篇は編まれることはなかったかもしれない。

 「詩と絵の、不気味なまでの対応は、この詩人と画家の出会いが、底知れぬ交換と対応をもった関係であることをうかがわせる。(略)朔太郎が恭吉の絵を、恭吉が朔太郎の詩を、多分に意識して書いたのかと、おしはかってみたくなるほどだが、内部必然的に描かれるひとりひとりの世界が、共鳴されていく人間の精神の営みの深さに、あらためておどろくのである。」(94P)

 「底知れぬ交換と対応」といい、「内部必然的に描かれるひとりひとりの世界が、共鳴されていく人間の精神の営みの深さ」を詩表現や絵画表現にだけに限定しうることではない。むしろ、この時代における表現の共同性とでもいうべき位相として、わたしなら捉えてみたい気がする。もちろん、この場合の共同性とは、個々それぞれが表現者として際立っていることを前提とする。つまり、こういうことだ。

 「詩と版画、もしくは絵画が相乗的にその創作を高めあい、刺激しあって、明治から大正期にかけてのひとつの時代的な現象ともなったことは忘れられないことである。そのなかには西洋的な美意識の流入や、装本という作業のなかで、美術家も詩人も、そこにひとつの芸術的な所産を共有しようとしていたのである。いずれのジャンルをも超えて、詩、もしくは詩的というものが、美意識の希求において究極的なものとして渇望されていたと言うこともできる。」(161〜162P)

 そうなのだ。「渇望」ということこそ、恭吉を、恩地を、さらには朔太郎を表現行為へと向かわせる契機としてあったといえるはずだ。そして、表現というものは、絶えず、社会や時代的制約から自由であらねばならなかったといっていい。つまり、「渇望としての自由を実現しようとする」のが表現するということの本意であるならば、「自由への危機感が行為の発端」となって「作品を生み出す動機」(172P)となっていくのである。だからこそ、朔太郎の詩群も恭吉の痛切なる画群も、いまだに、鮮烈な感覚を放っているのだ。それを、著者が「生命感覚」と捉えていると、わたしには思われる。
                                            
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七月堂刊・11.1.30・A5判・202P・定価[本体3000円+税]

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