CALENDER

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>

CATEGORIES

archives

2011.11.11 Friday

作品として充分な考察がされてこなかった松田優作の主演作品

0
    李 建志 著『松田優作と七人の作家たち――「探偵物語」のミステリ
    (「図書新聞」11.11.19号)

     気がついてみれば、松田優作(1949〜89)が亡くなって二十年以上経ったことになる。だが、その存在性は、希薄化されることなく、いまだ多くの人たちを惹きつけながら際立たせているといっていい。優作の人気を不動のものにしたのは、テレビドラマ『探偵物語』(1979.9〜80.4)であったことは、誰もが認めるところだと思う。ハードボイルド・タッチなシークエンスのなかにも、コミカルな場面を散りばめた一級の娯楽作品としてあったから多くの支持を受けたといえるわけだが、先行する『傷だらけの天使』(74.10〜75.3)もそうだったように、ホームドラマと称された穏当なテレビ番組の中にあって、傑出した活劇をわたしたちに見せてくれたからだといえる。二作品ともリアルタイムで欠かさず見ていたわたしにとっては、テレビドラマを漫然と見ていたというよりも、テレビ画面で映画的活劇に魅せられていたのだといいたい気がする。二つの作品に共通していえることがある。それは、演出に関して、テレビ畑の演出家ではなく、映画監督が採用されたことと、多彩な脚本家によって物語がかたちづくられたことだ。そのことによって、作品が偏重に陥ることなく、いわばリゾームのように、重層化されて魅惑溢れる世界を表出したことになる。
     『傷天』では、深作欣二、神代辰巳、工藤栄一らが演出し、脚本は、市川森一や鎌田敏夫らが担当し、『探偵物語』の演出では、村川透、西村潔、澤田幸弘、長谷部安春、加藤彰ら錚々たる映画監督たちによってなされたのだ。本書は、原案者の小鷹信光と十三人(共同脚本者も含む)の脚本家のうち複数作品を担当した六人(佐治乾、丸山昇一、那須真智子、柏原寛司、内田栄一、宮田雪)の脚本家に視線を当て、『探偵物語』の作品構造を精緻に解析していきながら、最終章に「松田優作=工藤俊作の身体」を配置して、鮮烈な松田優作像(著者の出自と優作の出自を折り重ねながらも、しかし、微妙な距離感を入れて論じられていくことによって、それはなされている)を描出している。著者が、本書のような試みを考えたのは、「松田優作のインパクトの強さゆえか、その内容よりも主演俳優のエピソードで語られることが多く、作品として充分な考察がされているとは思えない」からだと述べている。そのことには、わたしもまったく同感である。
    著者が真先に取り上げるのは、佐治乾(1929〜2001)だ。わたしにとっては、深作欣二、石井輝男、中島貞夫、工藤栄一らの作品の脚本家(本書でも触れられているが意外にも鈴木清順の初期の二作品も担当しているし、加藤泰作品も一作ある)というよりも、田中登監督『人妻集団暴行致死事件』(78年)が印象深い。この作品をわたしが見た一年後に、佐治の名を『探偵物語』の冒頭場面でクレジットされたのを見た時の驚きは、いまでも忘れられない。『探偵物語』における佐治の脚本家としての“位置”を、著者は次のように述べている。
     「円熟期にあった脚本家の彼を使って、ハードボイルドとしての『探偵物語』の方向性を確立したかったのかも知れない。ただし、実際は丸山昇一が第一話を担当し、その後も活躍することで、むしろ丸山の路線が中心となる。しかし、やはり佐治の上記(引用者註=第三話『危険を買う男』、第六話『失踪者の影』―柏原寛司との共同脚本)の二つの話は暴力組織に追いつめられ、探偵が暴力を受けるという、ハードボイルドの典型的な様相を示しており、(略)さすがベテラン脚本家というところだ。」
     もっと直截にいえば、「ハードボイルドの定石である、警察からも暴力組織からも追われる」、あるいは、そのことによって警察や暴力組織と徹底的に対峙していく「という構造」を佐治乾によって『探偵物語』の基層は確定していったのだ。
     最終話(第二十七話)「ダウンタウン・ブルース」を担当したのは宮田雪(1945〜2011)である。当時、わたしはかわぐちかいじ作品の原作者として知っていたが、本書で鈴木清順や水木しげると交流があったことを知り、驚いている。この最終話から著者は、次のような断面を見事に切り取っていく。
    「この話に登場する『街の仲間』は、宮田の世界にありがちな、『闇市』や『ドヤ街』と地続きの『幻の共和国』であるといえる。」「工藤が最後に死んだのか否か、意見が分かれるところだろう。しかし、筆者は死んでいると考える。少なくとも宮田脚本では。なぜならば、『新しい時代』に抗う主人公は、仲間を失いつつも最後まで戦い、あるいは勝利をつかむものの、最後に死んでしまうというのが宮田脚本のそれまでのあり方だったからだ。」「工藤が夢見ているのは、『街』の防衛であると同時に、『共同体再生』であるとすれば、仲間になりうる人間は暖かく迎えるはずだから。」
     ラストシーン、「街の仲間」から姿を消して復讐を完遂した工藤がビリヤード場で、仲間と出会う。「みんなに知らせるから、今晩、パーとやろう、パーと」といわれて別れた後、冒頭場面で虐めたレジの男に唐突に刺されて、壁に背をもたれる工藤=優作をカメラは捉えながら、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(宇崎竜童)の「身も心も」(77年)の歌が静かに流れていく。いまこの作品を見直して、工藤俊作の死と松田優作の死が重なって、辛かったと最後に付け加えておきたい。

    (弦書房刊・11.2.20)

    2017.11.09 Thursday

    スポンサーサイト

    0
      • -
      • -
      • -
      • -
      • -

      コメント
      コメントする