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2012.01.27 Friday

戦争詩以前、以後と横断させながら、三好達治の詩的言語世界を照射する

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    溝口 章 著『三好達治論――詩の言語とは何か』
    (「図書新聞」12.2.4号)

     周知のように三好達治は、『四季』派を代表する詩人である。わたしはこれまで、『四季』派の詩人たちを個別に、共感してきたわけではなかったが、『四季』派的抒情といわれる詩世界には、深い関心を抱いてきた。保田與重郎に惹かれ、いわゆる日本浪漫派をめぐって思考を巡らしていった時、『四季』派の詩人たちとの通交を知って、いくらか親近感を持ったことが、端緒だった。保田がそうだったように、十五年戦争時における詩人たちの情況への近接は、膨大な数の戦争詩を発表した高村光太郎と三好達治に象徴化されると思う。だからといって、わたしは、戦争推進者、戦争賛美者として、単純に弾劾しようとは考えない。彼らが、なぜ、時局へと取り込まれていったのか、あるいはそのように見られていったのかという基層を論及していくことによってしか、戦争を支えた思想や感性の深部の切開へと到達することはできないと思っていたからだ。
     本書が、三好の戦争詩をめぐる論及から始めていることに、わたしは、まず注目した。むろん、著者もまた、表層的に捉えていくわけではない。戦争詩以前、戦争詩以後と横断させながら、三好達治の詩的言語世界を照射して、達治詩の深奥をわたしたちに開示して見せてくれている。例えば、「詩壇十年記」という昭和十二年に発表した文章に触れて、著者は次のように読み解いていく。

     「三好は、ここであるべき詩の理想を真っ向から語っている。現代の詩語が成しえた『心理描写の詩的表現』を『進歩的表現』として一応は評価しながらも、その次元を超えた究極の詩を理想として求めていた。(略)即ち『詩歌の生命とも呼ぶべき』『気韻』と『暗示性』、更には『人の心を高める』『詩品の高貴さ』を有する詩であった。」「三好が文語にこだわったというよりは、口語に敢えてこだわらなかったからであろう。三好は、そのようにして、詩を殊更に現代にあわせることなく、むしろ、古今に通じる詩想の普遍を求めてそれをよしとしたようだ。」「詩人の主体は、様々な変位、変容があるとしても、結局は一つだと考える以上、そこの所を明かすしかない。勿論、そうは言っても、三好の膨大な戦争詩集を読むこと自体、なんといういとわしいことだろうか。私は、すでに幾度か試みて、遂に苛立ち放擲した。」(「 詩魂とフォルム」)

     著者の丹念な論述をさらに引いてみたい欲求を敢えて抑えることにする。わたしが、ここで問題としたいのは、「詩歌の生命」ということと文語と口語の関係ということになる。このことが、三好の戦争詩とそれに続く戦後直ぐの亡国を憂える詩群の位相の深奥に切迫する手立てとなるはずだ。著者は、戦後の詩群を歴史への悲歌、感傷と見做す。確かに、そうなのだが、わたしには、どうにも、三好達治の詩性といったことが、詩作品を通しては捉えにくいものとしてあるような気がする。萩原葉子の『天上の花』を持ち出すまでもなく、三好の女性に対するアンビバレンツな動態は、そのまま、詩世界へも敷衍できるのではないかと、わたしには思えてならないのだ。わたしなら、第一詩集『測量船』に対する自己否定といい、戦争詩への自省や悔恨を吐露することなく、亡国を悲嘆しながら天皇への戦争責任を表出する三好達治の有様に、「いとわしさ」と「苛立ち」を感じずにはいられない。

     「達治の戦争詩は、近代日本の矛盾と重圧を罪科のようにその空虚な『空』に取りこんで、次々と古語の惑乱に陥った。それが、帝国主義的な近代の戦争を、〈大和の国〉〈神州〉の戦争と錯覚させる詩の道に通じていた。」「『なつかしい日本』の表題にひかれて読みながら、天皇退位の道義論へと誘われるばかりで、肝心のものが何故かはぐらかされてしまう。日本のどこがなつかしいのか。どこに愛着を覚えているのかに、このエッセイはまともに応えていない。それとも、退位による道義貫徹が果す天皇中心の文化国家がそれだというのだろうか。(略)三好の頭の中に描かれた理想像が、それだとすれば、三好は、現実にないものをなつかしんでいることになる。」(「 詩の言語とは何か」)

     陸軍士官学校中退(二・二六事件で刑死した西田税と同期であり友人であった)後、三高、東京帝大仏文科を卒業した達治は、当然ながら西欧的知の洗礼を受けて、やがて秀逸な第一詩集を著す。「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。/次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」と表現した詩人が、「神州のますらをすぐりあだの拠るわたのかぎりをおほひたたかふ」と歌う時、「詩歌の生命」とは、どこに偏在するというのだろうか。わたしは、思う。詩の理想や詩の普遍というものは、何処にもないという地平から出発して詩的言語を紡ぎ出すことこそが、やがて理想や普遍というものを超えた世界を獲得していくことになるはずだといいたい。「現実にない」理想や普遍を希求すればするほどに、アンビバレンツな境域に落ち込んでしまうことになるからだ。

    (土曜美術社出版販売刊・11.12.30)


    2017.11.09 Thursday

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