小宮山量平 著『私の大学 テキスト版1  映画は《私の大学》でした』
(「図書新聞」12.12.15号)

 著者は、児童書の出版社として知られている理論社の創業者である。12年4月、95歳で亡くなった。「編集後記」によると本書は、06年から09年の三年間(89歳から92歳の時期に当たる)に雑誌に連載されたものをまとめたものだそうだ。青春期から戦時下、そして戦後という時間性の中で語られる映画作品群は、自身の自伝的意味合いを持ちながらも、ひとつの映画史にもなっている。これは、著者が、映画を“わたしの大学である”というように、「映画芸術」というものに対して深い共感を有してきたからだ。
 著者に関して、もうひとつ付言しておかなければならないことがある。それは、47年5月から53年7月(第21号)まで、季刊『理論』を発刊し続けたことだ。季刊『理論』は、日本共産党の影響下にあった民主主義科学者協会の哲学部会機関誌『理論』(47年2月創刊)とは、まったく別のものである。当時、「民科の『理論』がマルクス主義の正統で、季刊のほうは、異端とはいわないまでも傍流とされていて」、「その最大の原因はおそらく、季刊の執筆者には非共産党員が多かったことと、とくに杉本栄一(および小泉明)が近代経済学とマルクス主義経済学との『切磋琢磨』を主張したことにあった」(水田洋「季刊『理論』のころ」)からだという。また、杉本は小宮山の東京商科大学専門部時代の恩師であったと水田は述べている。60年安保闘争以前の、いわば新左翼思想萌芽期に、季刊『理論』は、重要な役割を果たしていたことになる。著者の映画への視線は、だから、ある意味、わたしたちを取り巻く「世界」への対抗的精神を胚胎することになる。例えば、次のように。
 「私たちはいつしか、あらゆる芸術をエンターテインメントとして、余りに安っぽく貶めることに馴れきってしまったようです。(略)深い迷宮へと落ち込み、政治の世界は暗愚な裸の王様の支配する世界となり果てました。経済の世界も労働そのものが極限まで貶められ、ほんものの仕事への評価は消滅しようとしつつあります。/もしかすると二十世紀の原動力ともなった映画芸術が、その本来の使命を恢復するため、今こそ回帰の時代を迎えつつあるのかも知れません。試みに手許の和英辞典で回帰と引いてみて下さい。私もこのトシになって知ったのですが、回帰することそのものが革命=レボリューションなのです。」
 映画『どん底』に関する言及から始まって、著者が青春期を送った神田神保町の素描を綴って本論へと入っていき、「映画の始まりは喜劇」として、チャップリンの世界を辿っていく。当然、ファシズムに対抗したチャップリン像を浮かび上がらせていくわけだが、いうまでもなく、チャップリン作品は、サイレント映画である。「動く映像」として画期的な芸術であった映画の初期から親しんだ著者は、「『無声映画』として楽しむ愛好心が育っており、そんな愛好心によって映像文化の世界は思いがけないほどの『芸術性』を確立していた」と述べていく。だから、やがて、映画の世界は、「音」が入り、「色」が付いていく、そのプロセスをひとつひとつの段階として感受していくことを著者は鑑賞眼の基層に置いているのだ。本書に接して、わたしは、段階ということを、再認識すべきこととして、気づかされたと、いっておきたい。
 「思えば映画史をかえりみて名作と数え得る多くの作品は、納得のモノクロ作品のなつかしさで、墨絵のようによみがえる例が多いのです。(略)人間の奥底に影のように潜在して、優れた純文学作品めいた歴史的な語り伝えに輝きを示している艶やかな作品は少なくありません。」「木下恵介監督が既に明察していたように、単にカラーでありさえすれば映画のリアリティが深まるという訳ではありません。」
 迫力ある音響と色彩豊かな3D画面での映画が登場する時代に生まれ育って、映画とはそういうものだと思う世代の人々にとって、著者のこのような考えは、アナクロニズムとして退けられてしまうかもしれない。だが、映画を映画館で観るということは、ほんらい小さな共同体で充足感を抱くことだと言いかえてもいい。だから、わたしは、例え、観客が数人しかいなくても、小さな共同体で共感しあうことの切実さを、大事にしたいと、いつも考え、一人ひとりが共感する映画作品を持つことは、最高に贅沢なことだと思っている。
 「『若い芸術』の百年の歴史には、誰しもが『私のベストテン』とでも呼びたくなるような精神史の映像が刻み込まれています」と著者は述べ、本書で、AとBという「二筋の」、「私のベストテン」を挙げている。どれも、戦前期に封切られている二十本である。そしてそれらは、著者が、十代から二十代の時期にあたる作品群である。確かに、わたしにも、「精神史の映像が刻み込まれてい」て、直ぐにでも、ベストテンを挙げることができるが、著者と同じ様に、十代から二十代の時期に見た作品によって占められていることに気づく。わたしもまた、実際の大学より、映画の方が、まぎれもなく大学だったと、いま、あらためて思っている。

(こぶし書房刊・12.7.12)

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皆川勤さま、初めまして。こぶし書房の西井雅彦と申します。このたびは弊社刊、小宮山量平さんの『映画は《私の大学》でした』をとりあげ、書評して下さいましてありがとうございました。もし可能でしたらば、弊社のホームページからリンクを張ることを許可していただけませんでしょうか。





   

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