東谷貞夫との〈通交〉――秀行書「野垂れ死に」に誘われて

 いま、思い返してみると、不思議な機縁から始まっている。越田秀男さんから、仕事関係の人たちと出している雑誌として、『風の森』の第三号だったか、第四号を戴いた時、そこに、かつて、JCA出版から刊行された『ドストエフスキーの亡霊』の著者、伯爵・神山宏の名前を見つけ、驚きとともに、懐かしさを抱いたことが、わたしと東谷さんが知り合う、そもそもの始まりといっていい。越田さんいわく、神山さんは、知らないが、発行人の東谷さんから誘われて、『風の森』に書くことになったのだと。縁とは続くものだ、その後、ほとんど時間を置かずに、わたしが、「図書新聞」の書評の仕事で、伯爵・神山宏氏の著書『パリの酒場・リヴィエール』(07年・審美社刊)を担当することになる。三人で新宿・紀伊國屋書店本店の前で待ち合わせして会ったのは、書評が掲載されて直ぐ後だったように思う。わたしの印象では、ビジネス的世界を苛烈に泳ぐような人には見えない、どこか無垢で、関係性の垣根を無化したいと希求しているような熱情を胚胎しているよう人のように思えた。そもそも、東谷さんが、『風の森』をどんな思いで始めたのか、確認しあうことをすることなく、誘われるままに第六号から参加した。第十号が出た後、『文芸思潮』(35号)という雑誌に、東谷さんは次のような文章を寄せている。

 「文学と社会あるいは文学と人間などは迷妄の視点であって、頭の中のイメージをどのように文章化するかが問題なのです。自分に似合った文章を創り上げ、つまり言葉の職人に徹することによってはじめて個性が生まれてくるのではないでしょうか。昔の作家はひたすら原稿用紙に向かい、言葉の宇宙をさまよっていたのです。文学の社会的意義などは後付けの屁理屈にしかすぎません。マスコミは文学や絵画をひとつの文化事象として捉えていますが、そこに安住するのは敗北です。/文芸誌・風の森は精神の梁山泊であり、他者の視線に惑わされず、みずからの夢を追い、それが唯一の現実になっています。その手応えが未知のエネルギーを誘発し、道なき道を切り開き、そこには文体というものが生きています。文章による表現はすべて文体に収斂し、精神と躯体の意匠なのです。」

 わたし自身、文章的な場所に、何十年も関わってきたが、東谷さんのように、「文章による表現」について、真摯に思いを巡らしたことはなかった。わたしは、いつも、どこか急き立てられるようにして、発語してきたといっていいからだ。「文体」を「精神と躯体の意匠」であるとする東谷さんの考え方は、わたしを啓発したことは確かである。そして、わたしに対しては、長めの評論(いつかは、小説をと、希望されていたかもしれないが、それに応えることは出来なかったことが悔やまれる)を提案され、いっさい制約を気にする必要のないかたちで書かせていただいた。
 第一次『風の森』(一号〜十五号)は、あえていえば、三期に分けられると思う。東谷さんが、会社経営から離れる前までの五号までを第一期とすれば、第二期は短い期間ではあるが、六号から七号までとなり、発行所をJCA出版とし、印刷所も変え、表紙も一新した八号からが第三期となる。六号を出した後、新宿区西早稲田に『風の森』編集室を開設する。自宅のある王子駅の一つ先の栄町駅から、都電荒川線に乗って、終着駅の早稲田駅で降りると、それほど歩かずに編集室に行けるということが、いいのだと東谷さんは強調していた。また、長らく会社勤めをしていたし、自宅で伯爵・神山宏としての文章表現はできないというのが、彼の説明だったような気がするのだが、わたしにとっては、都電に乗って仕事場へ行くという、実に羨ましい生活スタイルだと思ったものだ。
 一度だけ、櫻井幸男さん、越田さんとともに、開設間もない頃、その編集室を訪れたことがある(七号の表紙裏にそのことに触れ、東谷さんは、08年9月4日と記している)。わたしは、その時、壁に立て掛けて置いてあった猝鄂發貉爐豊瓩判颪れた藤澤秀行の書に強い印象を受けた。わたしは、囲碁は嗜む程度しかやらないし、囲碁界のことも、それほど詳しいわけではないが、丁度、NHKテレビのドキュメント番組「無頼の遺言〜棋士・藤沢秀行と妻モト」の再放送を見ていたので、秀行の生き様に共感を抱いていたこともあり、“野垂れ死に”の言葉に強く惹かれてしまったということになる。七号の表紙裏にその書を背景に集合写真が掲載されている。キャプションとして、「名誉棋聖・藤澤秀行の手になる書『野垂れ死に』を前に、いずれの面々も、野垂れ死に覚悟で『風の森』に命をかける……か¡?」と書かれてある。まるで、東谷さんは、わたしたちを『風の森』という世界へ道行に誘っていこうとしているかのように、わたしには、思えた。しかし、こうしていま、その書について思い巡らしていると、東谷さんの「死」のことが、その書と重ね合わせられるかのように感じられてしまい、悲しい思いを抑えることができない。
以後、『風の森』が出る度に、新宿のサントリーバーに集まって、歓談したものだった。東谷さんに、『風の森』の書き手を紹介して欲しいといわれ、いろいろ逡巡しながらも、遠矢徹彦さんと下沼英由さんを誘い、結果、東谷さんは、ふたりと密に交流することになったようで、そのことは、よかったと安堵している。
 わたしは、自分で、文章を書くことに対して、特別の思いを抱いたことはない。日々の自分の有様のなかの行為の一つでしかないと考えている。それは、小説や詩歌、俳句といった表現ではなく、いわば、散文的な場所で書いているからだろうといわれそうだが、そうではない。わたしは、人と話す、歌を唄う、楽器をかなでる、散歩する、食事をする、猫とじゃれあう、といったそれらのことと、なにか文章を書きとめることとは、すべて等価だと思っているからだ。東谷さんは、それとは、幾分、違う角度を持って「文章による表現」に拘泥していたように思う。人と人が結びつく契機は、なにかを表現しようという思いがあって、初めて連結していくものであるはずだと考えていたのではないか。そして、そのことによって、共同性というものが、かたちづくられていくはずだと希求していたような気がする。やや大げさにいうならば、自ら興した会社も、『風の森』も、東谷さんにとって、理想の共同体というイメージを抱いていたのではないのかと、わたしには思われてならない。
 3.11以後の、暗澹たる気持ちをみんなが湛えていた時、東谷さんから、メールが来た。15号が出た後、集まっていないので、不謹慎といわれるかもしれないが、花見に行きませんかというものだった。八王子に住んでいる遠矢さんと、我孫子の越田さんにとって、中間なのかどうか、わからないまま、井の頭公園の花見行となった。茶屋でビールとつまみを食べながらの歓談。東谷さんの楽しいそうな顔は、いまでも忘れられない。尋ねたところ、何人かで行く花見というものをほとんどしたことがないといっていた。井の頭公園の桜を見つめる東谷さんの表情は、なんの曇りもない、晴れやかなものだった。

(「風の森」第二次第二号・通巻第十七号・13.12.30)

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