……君との放談も、久しぶりだけど、なにか情況的な話題でもあるのかな。3.11以後、内・外とともに、閉塞的な情況が続いているところで、東京オリンピック開催なんて、浮かれている場合ではないといいたい気がするけど、そうは思わないかい。
――君は、いつも、そういう話題で話したがるけど、たまには、落ち着いて来し方行く末のことでも考えてみた方がいいぜ。もう、いい歳なんだから。
……それは、君の方だって同じじゃないか。そういえば、君がかつて好きだった藤圭子(1951〜2013)が〈自死〉して、落ち込んでいるのじゃないかと心配していたよ。好きな歌手といえば、いつだったか、君が小学生から中学生の頃、坂本九(1941〜85)と植木等(1926〜2007)が好きだったというのを聞いて、意外な感じがして驚いたものだったけど、今年(2013年)は、坂本九が歌った「上を向いて歩こう」が、「SUKIYAKI」としてタイトルを変えて全米ヒットチャート誌の『ビルボード』のトップテンになって50年たったようだね。それにしても、50年というのは、歴史的な時間といっていいな。メモリアルイアーということで、様々なイベントやCD、DVDが発売されるという現象が起こっていたようだが、世田谷文学館で開かれた『上を向いて歩こう展』(13.4.20〜6.30)も、そうした企画のひとつだったけど、もしかしたら、君は行ったのかな。
――実は、行ったんだ(笑)。あらためて、その頃、自分が抱いていた関心の方位は、結局、いまの自分の有様をかたちづくっているのだなと、率直に感じられたといっていいね。なぜ、あれほど坂本九に、あるいは永六輔(1933〜)、中村八大(1931〜92)による楽曲に魅せられたのだろうかということを、振りかえってみれば、詞のもっている力、メロディーが突き動かす感性といったものを、初めて、子ども心に無意識のうちに感じられたからだと思う。たぶん、その感じ方は、いまでも、あまり変わっていないはずだ。当時(六十年代)は、流行歌に触れる、聴くということは、ほとんど演歌(歌謡曲)的世界に浸るしかない時代の中で、洋楽を聴く契機もないままに接して、感応したのが、和製ポップス系といわれるものだったように思う。記憶を辿ってみれば、ダニー飯田とパラダイスキングのリードボーカリストとして『悲しき六十才』がリリースされたのが60年8月で、『ステキなタイミング』は60年10月だ。六〇年ということは、つまり安保闘争時で、わたしは小学五年生だった。何も意味もわからずに、“アンポハンタイ、キシ、ヤメロ”のシュプレヒコールを真似て友達と遊んだ記憶は微かに、残っている。地方で暮し、しかも、ラジオでしか音楽を聴くしかなかったから、パラキン時代の坂本九に共感したのが、リアルタイムだったかどうか、定かではないけれど、ともかく、独特の歌唱は強く印象に残っていて、橋幸夫(1943〜)の歌よりは、遥かに親近感を抱いていたのは確かだった。わが家にテレビが設置されたのは、61年だったからね。ちなみに、橋のデヴュー曲『潮来笠』が60年7月(九のデヴュー曲シングルは前年に発売)と、『悲しき六十才』とほぼ同時期だったことは、いま考えてみると、面白い機縁だったと思う。『九ちゃんのズンタタッタ』(61.3)、『九ちゃん音頭』(61.10)など、いわば、コミカルな歌に魅せられたのは、少年期としては、当然のような気がするけれど、後年、植木等が好きになって、映画はもとより、そのキャラクターにかなり傾倒したことを考えてみれば、〈笑〉というものに自分が、なぜそれほどまでに嵌っていたのか、いまにして思えば、よくわからないところがあるな。
……九にしても、植木にしても、〈笑〉を表現として内包していたタレントだったとしても、その内奥は、真摯さというか、真面目さというか、そういう面があったからじゃないか。植木の歌で、バラード風に唄いはじめ、途中からコミカルなメロディーへと移行させる歌があるが、唄う技術を考えれば、かなりのものだといっていいと思うし、九の歌の本領は、『一人ぼっちの二人』(62.11)や、『見上げてごらん夜の星を』(63.5)、『サヨナラ東京』(64.7)にあるからね。そういえば、競作となった『東京五輪音頭』(作詞・宮田隆、作曲・古賀政男、64.1)という愚作より、『サヨナラ東京』は、はるかにいい歌だったな。さすが六輔、八大コンビの歌だ。要するに、君は、子ども心に、真面目そうなタレントが好きなだけだったんだよ。君自身、転校も多く、あまり友人もできないでいたから、九や植木のような存在に共感したんだな。
――おいおい、君にそんな精神分析的なことをされたくはないね。そういえば、テレビの番組も、『夢であいましょう』(NHK・61.4〜66.4)や『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ系・61.6〜72.10、76年から第二期というものがあったようだが、未見。後年、俳句に関心を抱いて秋元不死男という俳人を知ったのだが、息子の秋元近史が『シャボン玉』のプロデューサーだった。近史は82年に自死)が好きだったなあ。
……折角なんだから、君の坂本九論を聞かせて欲しいな。
――そんな大げさなことはしたくはないけれど、年少時の坂本九遍歴めいたことは語れるかもしれない。確かに、『上を向いて歩こう』は、わたしに坂本九を決定づけた歌ではあったけれど、一番好きだったのは、『一人ぼっちの二人』だったな。坂本九、吉永小百合・主演、監督・舛田利雄、脚本・熊井啓、江崎実生の日活映画『ひとりぼっちの二人だが』(62.11公開)の主題歌としてつくられたものだ。もちろん、当時、ほぼ、リアルタイム(地方では多少、遅れて公開されているはずだ)で見ている。

 「幸せは僕のもの/僕達二人のもの/だから二人で 手をつなごう//愛されているのに 淋しい僕/愛しているのに 悲しい僕/一人ぼっちの二人//幸せな朝がきたように/悲しい夜が来る時がある/その時の為に 手をつなごう//愛されているのに 淋しい僕/愛しているのに 悲しい僕/一人ぼっちの二人//楽しげな 笑顔もいつかは/涙がキラリと光るもの/誰もがみんなで 手をつなごう//愛されているのに 淋しい僕/愛しているのに 悲しい僕/一人ぼっちの二人」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)

 最初の三連は、普通に男女の有様を示すいい方だといってもいいけれど、次の三連が、凄い。「愛されているのに 淋しい僕」、「愛しているのに 悲しい僕」、そして、「一人ぼっちの二人」というセンシブルな詞は、まさしく、対幻想の本源を衝いているといっていいと思う。永六輔の詞には、『上を向いて歩こう』もそうだが、「ひとりぽっち」、「涙」、「悲しみ」といった言葉が、頻出する。普通に詞の言葉として並べてみれば、皮相な感じになりそうなのだが、そこに、中村八大のメロディーがのることによって、言葉に奥行きが出てくるから不思議だと思う。つまり、後に登場するシンガーソングライターたちや、演歌の作詞者に共通する、詞それ自体にメロディーのようなものが付託されているのとは違い、永六輔や、『悲しき六十才』、『九ちゃんのズンタタッタ』、『明日があるさ』の歌の作詞をした青島幸男(1932〜2006)の詞は、曲をのせることで、言葉が動態化していく面白さがあるような気がするね。『明日があるさ』(63.12)は、わたしの好きな歌のひとつであるけれども、近年、CMソングや3.11以後の応援歌(当然、替え歌で。ただ、歌のタイトルだけ戴いて、曲に陳腐な歌詞を付けるのは、楽曲に対する冒涜だと思う)になってしまい、まったく別の歌のように遠くへ行ってしまったので、ここで、わたしは、本来の場所へと奪還しようと思う。

 「いつもの駅で いつも逢う/セーラー服の お下げ髪/もうくる頃 もうくる頃/今日も 待ちぼうけ/明日がある 明日がある 明日があるさ//ぬれてるあの娘 コウモリへ/さそってあげよと 待っている/声かけよう 声かけよう/だまって見てる 僕/明日がある 明日がある 明日があるさ//今日こそはと 待ちうけて/うしろ姿を ついて行く/あの角まで あの角まで/今日はもう ヤメタ//明日がある 明日がある 明日があるさ//思いきって ダイヤルを/ふるえる指で 回したよ/ベルがなるよ ベルがなるよ/出るまで待てぬ 僕/明日がある 明日がある 明日があるさ//はじめて行った 喫茶店/たった一言 好きですと/ここまで出て ここまで出て/とうとう言えぬ 僕/明日がある 明日がある 明日があるさ//明日があるさ 明日(あす)がある/若い僕には 夢がある/いつかきっと いつかきっと/わかってくれるだろう/明日がある 明日がある 明日があるさ」(作詞・青島幸男、作曲・中村八大)

 未来に希望を持った明るい歌だと思われるとしたら、この歌の宿運のなさを思わずにはいられない。なんといっても、イノセントな恋歌だから、いいのだ。どうして、そのように、受容し続けないのだろうかと、わたしは、暗澹たる思いになる。ストーカー殺人が横行する現在、「声かけよう 声かけよう/だまって見てる 僕」や、「今日こそはと 待ちうけて/うしろ姿を ついて行く/あの角まで あの角まで/今日はもう ヤメタ」というスタンスこそ、男と女の関係性の淡さ、あるいは、男の女性に対する無垢性を凝縮したものなのだということに気づくべきだし、そのことこそ、人と人が知り合う初源のかたちだと思いたい。つまり、関係性とは淡さがあって、初めてそこにひとつの結び付きの端緒というものが発生すると思うからだ。性急に関係性を構築するということは、権力(例えば、男は女より優位であるという幻想による一方的行動)というものを行使していくことと変わらない行為だといっていい。この歌の「夢」は、大それたものではない、好きな人と一緒になることだといっているだけなのだ。苦難の場所から離脱することとか、偉くなるとか、そんな都合のいいことや陳腐なことを意味しているわけではない。ましてや、震災復興といったことを希求するようなことではなく、もっと、地べたの関係性に対する熱い思いがメタファー化されているといいたいね。
……確かに、君がいうように、この『明日があるさ』は、随分、カヴァーされているけど、『上を向いて歩こう』と違って、かなり歪曲されていると俺も思っている。だいたいにして、吉本興業の芸人たちや、ウルフルズによって軽いタッチで歌われてしまうと、「明日」という意味が、かなり違うように聞こえてしまう。俺は、トータス松本はキライじゃないけど、せめてロック魂を忘れずにカヴァーして欲しかったな。例えば、清志郎の『上を向いて歩こう』のカヴァーのように。
――そうだね。僕もそう思うよ。ウルフルズが、会社が何とかなんて、駄目だよなと思う。清志郎の、“日本の有名なロックン・ロール”といって歌う『上を向いて歩こう』は、泣けるね。坂本九への最高のリスペクトだと思うよ。ところで、わたしは、まったく知らなかったのだが、坂本九は、69年6月に『蝶々』というシングル・レコードを出したという。それが、放送禁止歌となったため、歌うのを封印したことについて、九は、次のように述べていた。

 「放送禁止、こんな言葉があることさえ忘れていました。/歌というものは自由なものである筈なのに、歌を取り上げる権力があるとは、しかも“蝶々”の場合は、替え歌の歌詞が悪く、広まっていると言う理由。メロディーに対して、すでに猥歌の歌詞がついているもので歌詞を替えて放送には出せないというA級要注意歌謡曲の指定――正直言ってショックでした。/色々の手をつくし、この警告を取り下げて貰えないだろうか、又、何故放送禁止なのかと食い下がりました。/しかし、この放送禁止を解くまではいきませんでした。/歌手が歌を取り上げられる、この苦しみはとても、筆では書き表せません。/考えて、考えて、この歌を歌うのをやめました。」(『坂本九 上を向いて歩こう』96〜97P・日本図書センター、01.9刊)

 なるせ・みよこという歌手が、先行して歌った『蝶々』の歌詞が、猥歌とされたことによる波及だったようだ。たかだか、四十数年前のことだといえばいいのだろうか、遠い昔のことといえばいいのか、しかし、いまでも、あらゆる場所で禁忌がある以上、九のこのような悲痛の発言は、重いなあと感じる。九の放送禁止問題が発生していた頃、わたしにとっては、その三ヶ月後にデヴューシングル『新宿の女』を発売した藤圭子へ思いを馳せていくことになるから、いま、不思議な感慨を抱いてしまうね。最後に、わたしが、最も好きな『サヨナラ東京』という歌に触れてみたいと思う。

 「サヨナラ東京 サヨナラ恋の夜/はじめて逢った なつかしあの日/ふりむけば 街の灯遠く/行くてには こどくな明日/サヨナラ東京 サヨナラ泣かないで/涙でにじむ サヨナラ東京//サヨナラ東京 サヨナラやさし人/別れの言葉 くちづけにがく/今一人 この街を去る/もとめあった 心と心/サヨナラ東京 サヨナラわすれじと/涙で唄う サヨナラ東京」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)

 「サヨナラ」とカタカナであるところが、ユニークなのだが、当時、わたしは、東京オリンピックに来た外国人を意識した、カタカナの「サヨナラ」だと思っていたし、B面(いまは、カップリング曲というらしいが)の、『君が好き』は、世界各国の言葉で「君が好き」と唄っていく歌であったから、なんとなく、曲の成り立ちにも、すっきりしない感じを抱いていたものだ。今回、世田谷文学館で『坂本九 アニバーサリ―・アルバム 689コンプリート』(11.10)というCDを買い求めたのだが、そのライナーノートにオトナの歌謡曲・娯楽映画研究家という肩書の佐藤正明が、『サヨナラ東京』について、次のように書いていたので、引用してみる。

 「1964(昭和39)年は東京オリンピックに沸き立っていた。60年安保後には、外国からお客様を迎えるためとして、東京の大改造が行われ、それを『街殺し』と称する人もいた。『サヨナラ東京』は、時代の晴れがましさに背を向けるような、切なく淋しいセンチメンタルな歌である。当時、上京するということが『上昇志向の発露』であり、東京を後にするということは『挫折の象徴』でもあった。上京したけれど、志半ばで故郷に戻っていく若者も多かったのだ。」

 なかなか明晰な文章だと思う。ただし、この歌に、「上京したけれど、志半ばで故郷に戻っていく若者」を仮託するのは、やや無理があるような気がする。やはり、変わりゆく「街並」、変容に呑み込まれていく「人々」への哀感とする見方のほうが、この歌の深層に、より届くような気がするね。そして、わたしにとって、いまだに、この歌に共感し続けられているのは、この歌がある意味普遍性を持っているからだと思っている。つまり、64年時の東京オリンピックによる変貌だけでなく、わたしたちは、それ以後も絶えまなく続く、社会の膨張化に歯止めをかけられず、旧き良きものが、解体されていくことを強いられてきたといっていいからなんだ。そのことへ、僅かに抵抗する言葉として「サヨナラ」があると、思いたいな。

(「風の森」第二次第二号・通巻第十七号・13.12.30)

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