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2015.05.02 Saturday

山本作兵衛の「肯定」のまなざし                  ――炭鉱をめぐる多彩な表現が収載されている二冊

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    有馬 学、マイケル・ピアソン、福本 寛、田中直樹、
    菊畑茂久馬 著『山本作兵衛と日本の近代』
    コロナ・ブックス編集部 編『山本作兵衛と炭鉱の記録』
    (「図書新聞」15.5.9号)

     山本作兵衛(1892〜1984)は、福岡県で生まれる。父が炭坑夫であったため、「入坑する父母を手伝い、家族ともどもヤマを転々と」し、「高等小学校への進学をあきらめ」炭坑夫となり、以後、筑豊の炭鉱で炭坑夫や鍛冶工で働き続けた。55年、閉山で解雇された後、資材警備員や宿直員をしながら、「子孫に炭鉱の姿を描き残すため」絵筆を取るようになり、「亡くなるまでに残した記録画は一〇〇〇点を超えると言われ」ている。そして、筑豊の炭鉱の歴史を絵筆によって伝える貴重な記録として「田川市と福岡県立大学が所蔵する記録画五八九点、日記や雑記帳など計六九七点が、二〇一一」年に、国内では初の「ユネスコ世界記憶遺産に登録され」(『山本作兵衛と炭鉱の記録』、以下、『炭鉱の記録』と記し、『山本作兵衛と日本の近代』は、『日本の近代』とする)る。
     石炭産業は、一八世紀、イギリスの産業革命の勃興とともに大きな役割を担うことになる。しかし、その後、石油エネルギーによって、その位置は大きく後退していく。59〜60年にかけての三池争議に象徴されるように、石炭産業の経営悪化が人員整理などの合理化を進めていくなかで、炭鉱の閉山が加速されていった。その結果、炭鉱によって支えられてきた市町村が、閉山によって、行政体として立ちいかなくなるという事態を招来していった。日本の炭鉱は地層構造的に過酷な工事を強いられるため、その労働条件は、極めて劣悪であった。軍事大国として欧米諸国と対峙していく基盤形成のためにも石炭産業は大きな意義を持っていたわけだが、同時に、そこで働く多くの人々に経済的保障を与えていたことは、確かなことでもある。だからこそ、作兵衛の記録画というのは、働く人々の姿が直截に写し出されているとともに、炭鉱が位置付けられてきた歴史をも投影されていると見做されてきたといっていい。
     「山本作兵衛さんの絵画が非常に幅広い対象を描き、それが炭坑夫の共同体の世界を描いている点に私は非常に感銘を受けています。外部の人間がよそ者の目で見たのではなく、炭坑夫という、その直接の体験をした人間が描いているところがすばらしいわけですが、決して過去を美化するような描き方ではありません。いいことも悪いことも全部含めて描いています。そして私の目から見ても、筑豊の現在の共同体の人々が持っている率直な気質、足が地に着いた生き方や非常に我慢強い性格、そういったものも含めて描かれていると思います。現在も筑豊の人たちが誇りに思っているようなものを表しているのが山本作兵衛さんの絵であり、その物的な証拠になっているのではないかと思います。」(マイケル・ピアソン「山本作兵衛―世界記憶遺産と世界遺産をつなぐもの」―『日本の近代』)
     『炭鉱の記録』には、作兵衛の「絵」を中心に、炭鉱労働経験者による「内」からの作品と画家が描いた「外」から作品、そして、「写真」や「ポスター」など、炭鉱をめぐる多彩な表現が収載されている。原田大鳳の「絵巻」は、過酷な労働という雰囲気は感じられず、どこか郷愁感のようなものが横断している。山近剛太郎の「絵」は、鋭い筆致と暗い色彩が、ある種のリアリズムを醸し出しているが、モチーフと描き手との距離感を見ないわけにはいかない。作兵衛の「絵」は、けっして巧さを感じさせるわけではないが、ナイーブな描線と描かれた人々の表情の画一性に記録するという強い意志が漂っていて、それが、深い感銘を与えることになる。ピアソンが指摘するように、共同体への共鳴が作兵衛の中に絵を描くときに湧き上がってくるからではないかと思えてくる。
     「かつて、負の遺産でしかなかった(略)エネルギー革命による石炭産業の崩壊以後、あるいはそれ以前についてでも、暴力的な支配、あるいは極端な労働者への抑圧、そういったものを中心に筑豊を語る語り方というのがあったと思います。そういうかつて負の遺産でしかなかった石炭や炭鉱に対して、新たな視線、まなざしというものが、近年現われてきているような気がします。」「私はそこに作兵衛さんの絵の特徴としての『肯定』ということを見たいんですね。作兵衛さんの絵は菊畑(引用者註=上野英信とともに一早く評価し、山本作兵衛の一番弟子を自称する美術家・菊畑茂久馬)さんが早くに指摘されたように、(略)筑豊がもう根底から解体されていく真っ只中で、その現場で描かれた。つまり作兵衛さんにとっては、まさに負の遺産を目の前に置かれたような状況で描かれたんですね。作兵衛さんの絵にはそうした事情に対する怒りや告発、あるいは悲しみやあきらめといった感覚とは違うところがあるように思えてなりません。それを私は、負の遺産に向けた、すべてを了解したうえで包み込む『肯定』のまなざし、というふうに考えてみたいわけです。」(有馬学「結びにかえて――〈方法〉としての山本作兵衛」―『日本の近代』)
     ここでいう、「肯定」のまなざしは、自分が生きてきたことへの「肯定」ということに他ならないと思う。作兵衛の「絵」は、親たちや自分、仲間たちが炭坑夫として筑豊という共同体の中で生きてきたことへの「肯定」のまなざしがあるから、「記録」を越えた表現として、わたしたちの感性を突き動かすのだといっていいはずだ。

    『山本作兵衛と日本の近代』(弦書房・14.8.8刊)
    『山本作兵衛と炭鉱の記録』(平凡社・14.12.19刊)


    2017.12.06 Wednesday

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