川口祐二 著『明平さんの首――出会いの風景
(「図書新聞」15.6.27号)

 著者は、巻末に付された履歴によれば、「70年代初め、いち早く、漁村から合成洗剤をなくすことを提唱。そのさきがけとなって実践運動を展開」し、「日本の漁村を歩き、特に女性の戦前、戦中の暮らしを記録する仕事を続けて」きたという。『島へ、岸辺へ』、『漁村異聞』、『光る海、渚の暮らし』、『潮風の道』、『女たちの海』(いずれもドメス出版刊)といった著書を並べてみただけで、著者の仕事の大きさを窺い知ることができるような気がする。
 本書の「あとがき」には、次のように記されている。
 「八〇歳を過ぎて、死に急ぐわけではないが、身辺整理をしなければという気持ちになった。今回のエッセイ集は、そんなことから編んだもの。今まであちこちに書いた小文の中で、これだけは残しておきたいと思うものを選んで一冊とした。」
 そして、作家・杉浦明平(1913〜2001)との交流について書かれた文章、三篇をその中心に据え、漁村をめぐる文章群が包みこむようなかたちで本書は構成されている。書名の「明平さんの首」とは、杉浦明平のために、生前、彫刻家・岩田実が作ったブロンズ像のことを指している。それにしてもと思う。そのブロンズ像の写真を表紙カバーに配置された本書を見て、わたしは、懐かしい名前に直ぐに惹きつけられてしまったといっていい。けっして、熱心な読者ではなかったが、わたしがかつて渉猟してきた書物の周辺、特に高橋和巳をめぐって、度々、その名前が現出してくる存在だったからだ。
 書名と同じ表題の「明平さんの首」という文章は、95年6月9日、「渥美半島の漁港、福江の町の古くからある旅館」で行われた杉浦明平の誕生会のことが活写される。前月に六〇年かけて完成させた大著『ミケランジェロの手紙』(翻訳版)の出版記念会も兼ねることになる。「集まる者は三〇人あまりで、中には名古屋から駆けつけた人も何人かいる。西からは私が一人、大半は地元の人たち」で、「明平さんの人柄に引きつけられて集まってくる」のだという。この会の時に「座敷の床の間に」飾られている「明平さんのブロンズ像」を著者たちは初めて見ることになる。
 「すばらしい首である。右横向きの顔に品格がただよっている。眼が鋭いと思った。」
 やがて、会の翌日、この「首」を著者たちが、明平さんの自宅へ運ぶことになる。旅館の二階から重い「首」を運び出す様子は、ブロンズ像であるにもかかわらず敬慕の念が滲み出ているように描出されていく。
 漁村にまつわる文章群は、どれも、著者の「海」への愛惜感が溢れていて沁みてくる。幾つかの言葉たちを引いてみたい。
 「海は漁業者の場とだけしか考えがちだが、決してそうではなく、『里海』としての視点が必要な時代になってきている。」「『海は人間の多様な営みを映す』といわれる。人間の暮らしを映す鏡である。海という鏡を照らすも曇らすも人間次第。『里海』として、すべての人びとが関わっていく、そのようなグローバルな視点が、今求められている。」「マダイはおいしいといわれますが、何はともあれ、母なる海が汚れていてはいけない、ということに尽きます。刺身として食べるということからも、海の水がきれいというのが基本です。漁場の安全が消費者の安心につながるのです。環境が資源だ、ということです。」「いずれにしてもおいしいスジアオノリが育つためには、清冽な流れが基本です。清冽な川の流れというのは、なんの抵抗もなく素足で入れる川、といえばよいでしょう。そのような川はそこに住む人が力を合わせて守っていく、環境づくりのための住民意識が、今求められています。」
 これらの言葉を放つ著者の視線は、普通に生きて暮らす地平からのものだ。声高になにかを主張するのではなく、自然なる声で発しているから、わたしには、名伏しがたい感動を喚起するのだ。「里海」といわれ、そうだ、そういう捉え方があっていいのだと思うし、「母なる海」といういい方もそうだ。そして、「刺身として食べる」というのは、「海の水がきれい」でなければならないという当たり前のことに思い至る。「なんの抵抗もなく素足で入れる」、「清冽な川」といういい方には、わたしたちの生きて在ることの根源を指し示していくかのようだ。3.11以後の現在にあって、その当たり前、普通であるべきことが、揺らいでいることに、わたしたちは、もう一度、考えていくべきだと思う。本書を読み終えて、あらためて考えたことだ。

(ドメス出版・発売 15.1.24)

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