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エレン・ウォール 著、穴水由紀子 訳
『世界の大河で何が起きているのか―河川の開発と分断がもたらす環境への影響
(「図書新聞」16.1.30号)

 川(河川)というものは、わたしたちの暮らしのなかに、当たり前のようにして、ひとつの風景となって在り続けている。ある時は、河岸に咲き誇る草花に癒されたり、川の流れに不思議な喚起力を感じながら、自然が持つ豊かさを見出したりする。さらには、これまで水資源として重要な役割を果たしてきたことや、舟の往来などに、想いを馳せることになる。
 人々が、川の周辺で暮らすようになるのは、ある意味、必然的なことだといえる。しかし、それは、同時に、川がもたらす自然力を損なわせていくことにもなっていく。いわば、アンビバレンツな関係が、人と川の間には横たわっているといっていい。
 河川研究者であり、コロラド州立大学地球科学部教授でもある著者が著わした本書は、2011年にアメリカで刊行されたものだ。各大陸を流れる世界の大河(アマゾン川、オビ川、ナイル川、ドナウ川、ガンジス川、ミシシッピ川、マレー・ダーリング川、コンゴ川、長江、マッケンジー川)を採り上げ、その時間的変遷、環境的な問題と、現在的な情況をふまえながら、未知への視線を孕ませながら論及した提言によって構成している。そして、それぞれの大河が抱え持つ難題は、けっして個別的なものではなく、わたしたちが、多様に生きていく未来社会への警鐘を含んでいることに、読後、深い感慨を、わたしは抱いたといっていい。
  「本書では、人間が川に押しつける変化がいかに川を劣化させ、ひいては、川を頼りに生きるあらゆる生物をいかに疲弊させうるかを探っていこうと思う。」「世界各地の河川がもたらす不可欠な恩恵(サービス)と資源を享受してきたにもかかわらず、人間の活動はおおかたの大河の流域を疲弊させてきた。」
 著者は、このような書き出しで本書を進めていく。そして、圧倒的な流域面積(世界第一位、長さはナイル川に次いで二位)を持つアマゾン川にたいしては、「人間によって流域のダイナミックスが変わりつつあることは残念とはいえ、(略)その程度が限定的であるという点で、特異な存在で」あり、「世界の大河の多くが、ダムが建設されたり、取水されたり、汚染されたりする前はどのように機能していたのかを垣間見せてくれる」と述べながらも、「しかし今や、この流域は歴史的臨界点に近づいている」と断言していく。もちろん、わたしたちは、「歴史的臨界点」というものを必然的なこととして受けとめていくのではなく、「川の生態系すべての運命が、人間の手のうちにある」ことを真摯に考えていくべきなのである。
 いわば、アマゾン川の現在性を起点としながら、例えば、オビ川やドナウ川の現況を見てみれば、その切実なることが理解できるといっていい。オビ川は、スターリン体制の負の遺産とでもいうべきものが、危機的な様態を引き寄せている。核開発による放射性物質の汚染、石油・天然ガス開発による汚染と、二重三重の人間的欲望によって、大河の「死」を招来させようとしている。
 ヨハン・シュトラウスの「美しき碧きドナウ」で知られているドナウ川は、流域が十八カ国に及んでいるため、政治的な体制によって、川への管理意識の差異が様々なかたちで表れてきたといえる。ダム建設、氾濫を防ぐという目的だけに建設されていく河岸工事、その結果としての最悪な状態から、それでも、「河畔一帯で複雑さと河畔生態系の持続可能性を失っていた過去から、未来に向かってまさに今、変わろうとしている」と述べていることに、一筋の通路を見出すことができるかもしれない。
 わたしたちにとって、揚子江と読んだ方が馴染み深いかもしれない長江は、いうなれば、オビ川の再現のような状態を呈している。改革開放といいながら、政治システムは共産党指導部による専制的支配があり、経済システムは資本制システムを援用しながらも、その実、統制経済であり、階級差の拡大は開く一方の中国(北京政府)は、巨大ダムの建設に邁進している。長江の命運は、オビ川以上の悲惨なかたちになることは、目に見えているはずだ。
 「地球とその生態系のすべてが、この地球(ほし)をめぐる一本の川を形作っている。物質とエネルギーは、地下水、海洋、氷河、湖沼、大気、そして生物の身体の間を絶えずめぐっているのだ。川はこれらの水域と水域を結びつけ、移動と交換のための通路を作る。川は大陸から海洋に向かって風化した岩石を絶え間なく運搬し、みずから地形を変えながら、その土地のなかの低い場所を占有し、流域で発生したあらゆるものをひとつにまとめている。」
 この一文の後に、著者は、「水の持つ根源的な力」と述べている。わたしは、「水」を「人」といいかえたい欲求を抑えることができない。そうすると、「一本の川」というものは、「人」と「人」が行き交う場所であり、関係性を有する空間といってもいい。大河を想像できない、わが列島の住民は、それでも、親近の漂う小さな川であっても、そこにわたしたちとおなじ息遣いの空間があることを想起していくべきだといいたいと思う。

(一灯舎刊・15.11.25)

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