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久保昭男 著『物語る「棚田のむら」―中国山地「上山」の八〇〇年
(「図書新聞」16.4.2号)

 本書は、著者が生まれ育った「むら」をめぐって、横断する時間を視野に入れながら、風土と暮らしの風景を記述したものだ。場所は岡山県英田郡英田町上山(現在、美作市上山)。中山間地の百戸ほどの集落でありながら、大芦池という溜池の灌漑水によって、かつては棚田が広がっていたところだ。
 「一九八〇年代の初めのこと、二十年ぶりにこの地を踏んだわたしはがく然とした。谷川のほとりにあった水田が一か所、そしてまた一か所、葛と灌木におおわれ、山地との境も見分けられない。(略)棚田の風景に溶け込み、自然のひとコマとなって過ごした体験からすると、この変わりようは他人事とは思えなかった。(略)荒地と化した光景を前にして上山から遠去かっていた歳月がよみがえり、新たな想いが湧き上がった。――棚田はいつ拓かれたのか、むらはどのようにして出来たのか、と。」
 このように述べながら、「本にまとめようと思い立ってから十数年」経って、ようやく結実した本書には著者の渾身の想いが込められているのは、充分に理解できる。ただし、“渾身”と形容してみたが、全篇を通した印象は、情緒的な表現に陥らず、極めて俯瞰的に、しかも精緻に「上山の八〇〇年」を描出している。わたしが、あえて渾身といういい方を冠したのは、「思い入れのあまり実像を歪めること」のないように、「『棚田のむら』を対象化」しようとした著者の姿勢に共感したからなのだ。
 さらにいえば、著者にとっての個的あるいは私的な場所を採り上げていながら、「上山」という空間が、ある意味、普遍性を持って、「むら」という共同性を表象していることが、伝わってくるのだ。その中心が、「大芦池という溜池」の有様といっていい。田畑や人びとの暮らしにとって必要不可欠なものが、「水」であることは、誰もが知っていることだ。海や河川、湖の近接に暮らしているのなら、それほどの労力を必要とせずに、水利は可能となるが、「上山」のような中山間地は、そういうわけにはいかない。
 「大芦池はいつ、だれが造ったのかは分かっていない」としながらも、著者は「池造り神話」を渉猟しながら、「上山神社由緒書」を辿り、「大芦池の改修は、五世紀から九世紀のあいだ、何度か繰り返された」だろうと推論していく。そして、改修は戦後の五十七年まで断続的に続いてきたのだ。しかもその時は、村人たちの無償奉仕によってなされたという。これは、戦後期でありながら、貴重な共同体内における相互扶助の遺産だといっていい。
 「江戸時代の農地評価によると、(略)上山は『下田』にランクされている。(略)河川流域のような洪水や旱害におそわれることもないので、数百年もの長いあいだ水稲中心の農業を営んでくることができた。これは地形をいかした、溜池を中心とする灌漑システムに負うている。」
 河川の場合は、ある程度、自然に委ねることになるが、溜池は、そうはいかない。絶えず、人の手によって改修していかなければならないのだ。だから減反政策や人口減少、高齢化といったことによって、棚田を維持していくことが困難になっていくのは、避けようもないことだといえる。わたしは、昨今、よくいわれる限界集落といういい方に、反発を覚える。だからどうしたといいたいからだ。一見華やかな都市という相貌にだって、「限界性」ということが絶えず、胚胎していることを忘れてはならない。わたしたちが、人として生活していくということは、無意識のうちに限界性を超えていくことからしか、ありえないからだ。
 「二〇一〇年代を前にして、棚田再生の動きがもちあが」り、「大阪のグループが立ち上げた『英田上山棚田団』をはじめ多くの人が参加して、荒地と化した棚田の復旧にとりかか」ったそうだ。そして「野焼きを行って埋もれていた元のかたちをよみがえらせたとき、むらの人たちは二度と見ることがないと思っていた棚田の風景に息をのんだ」という。そして、そういう人たちが、あらたに「上山へ移住してきた」のは、限界というものをある意味、無化してくれたことになる。
 だが、なぜか、わたしは、「上山にはひとり暮しをする年寄が何人もいる。住み慣れた家で寝起きし、見慣れた風景と朝夕向きあうことに安らぎをおぼえるのか、足腰の立つうちはむらを出て子どもたちの世話になる人は少ない」という暮らしの風景の方に惹かれてしまうのだ。そこには、無意識の共同性(相互扶助性)へと向かう心性があるからだと思う。

(農山漁村文化協会刊・15.8.5)

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