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前川整洋 著『巨匠探究――ゲーテ・ゴッホ・ピカソ
(「図書新聞」16.7.16号)

 わたしは、「巨匠」や「巨人」(例えば、「思想界の巨人」というように)と称して、影響を受けた先人を捉えたことがないので、書名を見て、一瞬、逡巡してしまったといっていい。だが、読み終えて感じたことは、著者の丹念な論及と解析によって、「巨匠といえども、才能にまかせて降って湧いたように作品ができ上がったのではない。才能を厳しく磨くだけではなく、境遇や歴史の潮流との相互作用から才能は育まれ、作品へと開花したのだ」(「はじめに」)ということを率直に了解することになる。著者は、伝記的位相と作品世界を巧みに交錯させながら、そこへ繊細に視線を射し入れて、それぞれの〈像〉を浮き上がらせている。だから、本書によって、わたしが、思い込んでいたゲーテに対する偏見は見事に解体され、青春期から共感していたゴッホとピカソへの親愛性をあらためて確認できたといえる。
 わたしは、「詩、小説、戯曲さらに科学上の発見、政治家としての実績と、業績は多岐にわたっている」と著者が述べていくゲーテの「偉業」に対して、いつも不分明さのようなものを抱いてきた。それは、例えば、ワイマール公国のアウグスト公からの強い要請で宮廷政治家として長年活動しながら、精力的に創作活動をする膂力の源泉はどこにあるのか理解できなかったからだともいえる。
 「宮廷社会の視野の狭さ、発展性の欠如を見極めながら、当時の社会通念や宗教の教義に没入したようなスタンスはとらず、自然科学にも則った世界観を推し進めている。(略)混迷する社会において欲望や失望にさ迷う人びとは限りなく多いが、ゲーテ作品には自然界の深淵さが流し込まれていて、迷いを打開する手引きが暗示されている。というより、迷いを昇華するための思想と理想追求のエネルギーを、ゲーテはもたらしている。そのエネルギーの向かう先は、自然への畏敬と文化芸術をベースにした世界の合一でなくてはならない、と感じとれる。」
 「当時の社会通念や宗教の教義に没入したようなスタンスはとら」なかったということは、ゲーテに「キリスト教だけが宗教なのでは」ないという開明性があり、「イスラムの文化や思想への理解を言明し」ていて、それが、『西東詩集』という抵抗詩集へと結実していったと述べている。このようにゲーテを捉えていく著者の論及は、そのまま、宮廷政治家から、『色彩論』、『ファウスト』を著わしていくゲーテの膂力の源泉を顕在化させているといっていい。
 絵画作品を論じる場合、文章による創作作品とは違い、図録や画集に掲載された作品と実際の作品とは同じではないという障壁をどうするかという問題がある。だから、本書の著者は、展覧会で観た作品の印象に基づいて、極力論及していく。その姿勢のなかに、わたしは、著者が考える「探究」することの意義を見出さざるをえない。
 「ゴッホ展で誰もが最も期待しているのは、『夜のカフェテラス』(略)であるはずだ。(略)人垣の間から部分的にしか見えていなくても、輝きをはなっている。どうにか最前列に立てた。アルルの街中の狭い通りのカフェテラス、そのベランダを煌々と照らしているガス灯の明かり。(略)人々にとっては見慣れた灯かりであるが、闇を照らし、温もりのある天空を出現させている。」
 「『ゲルニカ』はパリ万国博のスペイン館に展示された。それはピカソによる社会活動の金字塔となった。/この絵は平面的に描かれていて、映像的な悲惨さや残忍さを表現しているのではない。象徴性や寓意性で戦争とは何かを差し出している。さまざまな解釈がなされてきたのであるが、(略)解釈は鑑賞者に委ねられているといった方がよい。(略)『ゲルニカ』の全体的なイメージは、私には、行き場のない亡霊の徘徊のように見えたが、犠牲を無駄にすることなく新らしい世界へ踏み出そうとする意志も込められているのである。」
 まるで、読み手を実際の作品を観ているかのように誘っていく著者の「夜のカフェテラス」鑑賞は、そのまま、「ゴッホの絵に美の極致を見る人もいれば、理想郷をイメージする人やコスモロジーを感じる人もいる。鑑賞者それぞれの人生観、世界観、自然観との呼応からさまざまな耀きを見せてくれる」と述べていくことに繋がり、ゴッホ〈像〉を鮮烈に紡ぎだしていく。さらには、「ゲルニカ」への開かれた視線によって、「誰が見てもピカソとわかる作品の耀きは、耀きを失うことはない」として、「巨匠」であることの本質をピカソ〈像〉として提示していく。
 こうして、本書が、まぎれもなく、「巨匠」への鮮鋭なる「探究」の書であることを、わたしたちに示しているといっていい。

(図書新聞刊・16.4.30)

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