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2016.12.17 Saturday

歴史の深層を切開していく著者の鮮鋭さが際立つ                       ――「歴史を俯瞰する」視線の切実さ

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    白石成二 著
    『教養としての日本史―古代の歴史から日本の今を見る[上・下巻]

    (「図書新聞」16.12.24号)

     総頁数が千頁を超える大著を前にし、圧倒されながらも、まず一瞬、考えてしまったのは、書名に冠した犇詰椶箸靴騰瓩箸いΩ斥佞世辰拭狠里箸靴騰瓩發修Δ世そのようないい方をされると、わたしは、直ぐに、犇詰椨瓩筬狠劉瓩鮨箸砲弔韻燭らといって、たいしたことはないんだといいたくなってくるからだ。しかし、ここでの犇詰椨瓩砲蓮表層的な装いから最も遠くにある、自らで考え思考していくことの意味が含まれていることを著者の次のような視線によって理解することになる。
     「本来歴史とは、歴史家に固有な問題意識と基準によって方向づけられた意欲的な選択の行為であるが、それが忘れられ、今日に至っている。現在の様々な問題についても『現代史が専門ではない』として目をそらすわけにはいかない。(略)歴史家の網野善彦氏は、歴史学の現状が個別分散化の傾向が強くなっていることを憂いながら、個別研究の前提として全体の歴史をどのように考えているかという見方が必要であるという。だから『すべての歴史家が通史を書くべきである』と指摘しているが、そこには網野氏がかつて高校の歴史教師として自らが日本の通史を教えてきた背景があると思われる。網野氏の著書が歴史研究者だけでなく、多くの一般読者にも受け入れられたのは、歴史を俯瞰する『史観』を提供していたからだと思われる。」(「序論」)
     「史観」といえば、なにやらイデオロギーの色彩があるかのように思えるが、それは違う。網野が戦後、いわゆる歴史学界のなかに身を置いたころ、マルクス主義史学が主流であった。そこでどのようにして自由に思考していくかという格闘によって、独自の網野史学を構築していったからだ。著者が網野を援用して述べる、「歴史を俯瞰する」という視線こそ、研究者たちだけの問題ではなく、わたしたち自身にも切実なこととして考えていくべきことなのだ。
     だからこそというべきか、著者によって編まれる狷本史疔椶蓮独自の世界を展開している。全七編に分け、それぞれ以下の表題を付している。「第一編 宗教・思想」、「第二編 衣食住の歴史」、「第三編 年中行事」、「第四編 古代の人物評伝」、「第五編 動物たちの歴史」、「第六編 社会生活・社会問題」、「第七編 日本人の心性と日本人論」というようにである。
     第一編では、仏教や神道における受容の時間性を辿りながら、「靖国」へと論及していく。
     「戦死者の多くは家の墓や仏壇で祭られるだけでなく、各都道府県単位の護国神社で祭られ、さらには靖国神社で祭られるという多重祭祀である。普通の死者は家の墓に入れば、それで終了となるという単一祭祀である。戦死者に対し多重祭祀が自動的に行われていることに私たちはほとんど自覚していない。(略)いとも簡単に人が神になるとする精神性は、それが個人や神祭りに限定されるのであれば別に問題ではない。(略)招魂慰霊の儀礼によって創り出される神々は、その創出も祭祀も解釈も、その時々の人間の利害関係によって平和祈願のみならず、戦意高揚や戦勝祈願や戦死美化などの意味づけが無限に拡大されていく宿命にあるのであり、その特徴をしっかり認識しておく必要があるのである。」
     「靖国」問題を、著者のように述べるならば、たぶん、多くの人は素直に理解できるのではないかと思う。わたしは、「多重祭祀」ということにこそ、重大な矛盾を孕んでいると考える。例え戦地に行ったからといって、一人ひとりの死は、個的な死であって、国家の一員であるという位置づけで国家祭祀のなかに取り込むことには、無理があるといっていい。ましてや、戦地での死者の多くは、食糧難や劣悪な環境の中に置かれたための病死であることを思えば、見殺しにした国家によって、「戦死美化」なんかにされたくはないはずだ。
     「『日本書紀』という書物は大変やっかいな歴史書である。それは史実を公正な立場でしるしたものではないから」(「第四編」)だという確かな視線の先に、歴史の深層を切開していく著者の鮮鋭さが際立っていく。
     「そもそも人の年を満年齢で数えるようになったのは、アジア・太平洋戦争後のことで、たかだか七十年余の歴史しかない。(略)数え年を廃止し満年齢とすることは、実は国家の有様に関わる大きな問題が背景にあった。(略)中国の方式を天皇制の導入と共に取り入れ、独自の元号を作り、毎年の元旦に朝賀の儀式が行われた。したがって正月の元日は単なる年の始まりではなく、天皇によって定められた暦の元日であり、(略)天皇の下にある者は皆この日に年を重ねたから、元旦は日本人全員の誕生日だったのである。(略)つまり数え年は天皇を主権者とする国家の仕組みの中に位置づけられていたのである。」(「第六編」)
     数え年が満年齢へと移行していく問題と元旦(元日)の位置づけをめぐって、天皇制を浮き彫りにさせながら展開していく著者の思考の有様に共感したい。例えば、かつてわたしに、元旦に餅を雑煮にして食することは、天皇制に関わることだと教えてくれたのは、村上一郎であった。わたしたちは、長年に渡って続いてきた正月の風習を、日々生活していることの連続性のなかに見出す限り、天皇制が作り出したものかどうかなど、関係はないといっていいかもしれない。だが、居心地のいい関係性が、なにかの契機によって、醜悪で頑強な集団性に転化してしまうことを忘れてはならないのだ。
     「歴史はナショナリズムと密接な関係がある。自国を等身大以上に美化しようとする傾向や手軽な物言いは人の心をくすぐる。それは今も変わらない。しかしそれは自分たちが『見たい歴史』に他ならない。その心地良さの裏側には排除と対立が見え隠れするが、『教養としての日本史』はその対極にある共生と融和を目指すものである。共生と融和の歴史を多くの人が『教養』として共有するならば、ささやかでも今の社会に資することができるかもしれない。」(「第七編」)
     著者が、「心地良さの裏側には排除と対立が」潜在していると指摘していることを、切実なこととして考えていくべきだと思う。そして歴史の網の目を、自分自身の眼を通して解きほぐしていくべきなのである。

    (創風社出版刊・16.9.25)

    2017.12.06 Wednesday

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