専修大学経営学部森本ゼミナール・編
『大学生、限界集落へ行く――「情報システム」による南魚沼市辻又活性化プロジェクト

(「図書新聞」17.3.11号)

 本書は、専修大学森本祥一ゼミの大学院生を含む十三名の学生たちが、新潟県南魚沼市にある世帯数15(うち高齢者世帯は4)、住民数が43人(いずれも2015年6月時点)の辻又集落において地域活性化を模索すべく活動した二年間(2014年6月から16年2月)にわたる記録集である。経営学部に参集する学生たちだけあって、マーケティングの知識をもとに「情報システム」という考え方によって活動していったことになる。本書に分け入って行く前に、わたしなりの、限界集落といういい方に対する疑念を述べてみたい。
 集落(村落)の人口が減少し、住民の高齢化が進み、やがて集落(村落)の存続が難しくなることを、〈限界〉という言葉で形容することに、行政側の思惑が潜在しているように感じられて同意できないのだ。
 なによりも村落共同体が、明治近代化過程を経て衰退していくことになったことを、まず認識すべきである。それは、敗戦期を経て、戦後復興というかたちで進められた高度経済成長下で、さらに加速されていったといえる。幾つか象徴的な事例を挙げてみる。ダム建設の推進で、ダム湖に消えた集落が、どれだけあったかを考えるべきなのだ。あの成田空港建設においても、農家の土地を簒奪し、集落(村落)を解体させていったことも、付け加えるべきかもしれない。極めつけは、平成の大合併だ。村という最小単位の自治性を解体して、町や市へ吸収させたことで、ますます集落(村落)の存立を弱体化させたことだ。もはや、過疎化した村落は、その共同性を持続させていくことは困難だといえる。歯止めも活性化も、その方途はなかなか見出すことはできないのが現在という場所なのだ。
 よく考えてみれば、大都市圏以外の地方都市も、同じような情況を強いられている。シャッター街状態の小都市は、もはや特異な事態ではなく常態化しているといえるからだ。いったい、緊密な関係性を連携すべき最小単位の共同体という有様は、やがて消失していくしかないのだろうかと暗澹たる思いになる。このような感慨のなか本書を読み進め、学生たちの思いに接し、まだまだ、狎篷将瓩垢襪里倭瓩い覆抜兇犬燭箸い辰討いぁ3萋阿両楮戮蓮∨椽颪鮗蠅砲箸辰篤匹鵑任發蕕Δ箸靴董学生たちによる住民たちとの応答を引いてみる。
 「―辻又に住んでいて良かったと思うことは?/水落『自然にしたがって生きられること。人間関係が都会と比べてややこしくないし、農業は自分のやりたい時間にできるからね。(略)』/(略)/―辻又で復活してほしい行事はありますか?/水落『昔から伝わる伝統の踊りや歌を守っていきたい。無理かもしれないが、山の資源がお金に換わる時代になってほしいね。そして村のなかで子どもたちの声をたくさん聴きたい』」(水落義太郎・81歳、聞き手・大嶋杏奈)
 「幸せだと感じるのは、自然がのどかで、自由なところかな。いまもここに住んでいる理由としては、そうだな、まあ、しょうがなくて住んでいるかな。」(佐藤眞一・65歳)
 「今は毎月1回、集落の常会があって、それが楽しいね。みんな一緒に集まって話をしたり、困りごとの相談とか、まあいろいろだなあ。良いことも悪いこともあるさ。」(佐藤重夫・85歳)
 村落的な共同性は、一見閉じられた有様に思われるかもしれない。濃密な関係性によって個の自由がないとも。それはある種の偏見であることを、辻又の人たちが述べていることで理解できるはずだ。「自然にしたがって生きられる」「人間関係が(略)ややこしくない」「幸せだと感じるのは、自然がのどかで、自由なところ」「みんな一緒に集まって話をしたり、困りごとの相談とか、まあいろいろだなあ」といった言葉のなかに、いわゆる共同体に潜在する相互扶助性というものが、辻又にはあることを示している。編者たちは、最小の「情報システム」は、「人と人との『コミュニケーション』で」(大嶋)あると述べているが、森本祥一は、さらに「私たちのような外部のものが入り込み、情報の循環を促すことが必要になります。私たちが媒介となることで集落の住民同士が話をする機会を増やしたり、集落内の情報を掘り起こして伝えたりして、集落内での情報の循環を回復させます」と言い添えている。
 辻又では「昭和の時代には祭礼興行を行ってい」て、「踊りや演劇、唄、芝居をやり、プロの浪曲師を呼ぶこともあ」ったようだし、「江戸の頃は、辻又神楽舞や辻又花火、辻又歌舞伎などの興行もさかんだった」という。「昔から伝わる伝統の踊りや歌を守っていきたい」と語る住民の声に応える方途を考えていくことも、コミュニケーションであるといえるはずだ。
 学生たちが巻末座談会で語っていたことが、印象的だった。
 「自分の中では『集落』に『昔のもの』という偏ったイメージがあって、そういう共同体が存在していることが逆に新鮮でした。」(井上智晶)
 「(引用者註・活性化は必要かどうかということにたいして)今の生活を維持できる何かしらの対策は必要だと思いますが、それ以上の活性化は逆効果な気もします。」(大嶋)
 彼ら彼女らが、辻又集落の住民たちとの交流を通して得た経験を未知の共同性の有様へと繋げて欲しいと思う。

(専修大学出版局刊・16.7.28)

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