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2017.05.13 Saturday

生命あるものすべてに視線を馳せる人                                     ―直良信夫の孤独な研究者としての《像》を鮮鋭に照らし出している

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    杉山博久 著『直良信夫の世界 20世紀最後の博物学者
    (「図書新聞」17.5.20号)

     直良信夫(一九〇二〜八五年)という名前を知らなくても、「明石原人」の“発見者”といえば、多くの人は、何らかの応答ができるはずだ。「明石原人」をめぐって、著者は本書で、次のように触れている。
     「一九三一年(略)四月、兵庫県明石市の西八木海岸の崩壊した砂質粘土層中から採集された人類腰骨は、一時、Nipponanthropus akashiensis(ニッポナントロブス・アカシエンシス)と呼ばれたこともあったが、学会の正当な検証を受けることもなく、一九四五年(略)五月の東京大空襲によって消失してしまった。この人類腰骨をめぐっては、先生(引用者註・直良信夫)への不当な誹謗・中傷ばかりが姦しかったようである。」
     わたしは、考古学的なことにいくらかでも、関心があるのは、それは、民俗学や人類学、生態学、発生学、さらに加えて歴史学といったことへの関心も含めて、それぞれを繋げたかたちで思考の有様として意味があると思っているからだ。それぞれを学的に特化(あるいは専門化)して考究していくことの危うさをいつも考えているといえる。つまり医療の世界が専門的に分化しすぎて、領域の横断ができにくくなり、必ずしも、わたしたちのためにはならないことに通じてしまうことを思えば、それは明らかであろう。
     本書の巻末に付された略年譜を見れば、岩倉鉄道学校工業化学科を卒業後の十八歳の時に農商務省臨時窒素研究所に勤め、空中窒素固定法の研究に従事、この間、貝塚の探訪など考古学的なことに関心を持っていく。研究所退職後、兵庫県へ転居、地質学や古生物学を徳永重康に師事し、学ぶ。二四年九月、日本考古学会や東京人類学会などに入会する。三八年に早稲田大学理工学部採鉱治金学図書室に勤務、以降、精力的に著作活動に入っていく。こうしてみれば、わたしの個人的な推察でしかないのだが、考古学プロパーではない直良にたいして、「明石原人」の発見は、反発や疑念が考古学会から起きるのもわからないではない。しかし、ほんらいなら、学会全体が直良に協力していくようなかたちで精査していくべきなのではないかと思うのだが、そのようなことは難しいことなのかもしれない。
     さて、本書の副題に、「20世紀最後の博物学者」と付されたのは、直良信夫の生涯にわたる仕事を考古学だけにとどまらず広範な領域にあることを示している。
     「直良先生は、その長逝の折り、“最後の博物学者”という修辞を冠して呼ばれたように、考古学ばかりでなく、古人類学や古生物学(動・植物)、現生動物の生態学や動物学的研究、地質学、先史地理学などの各分野にも通暁し、さらに古代農業の研究にも顕著な業績を遺している。また、ナチュラリストとしても一流と評される存在であった。先生の学問領域が極めて広汎であることについては、独学であったため、研究の途上で生じた疑問はすべて自身で解決しなければならなかったからと先生の話であった。」
     “ナチュラリスト”といういい方は、現在ではあまり用いられない捉え方になるかもしれない。わたしなら、生命(いのち)あるものすべてに視線を馳せる人とでもいいたい気がする。
     本書は直良の未発表原稿を織り込みながら、「峠」、「カワウソ(獺)、モズ(鵙)」、「シカ(鹿)、ゾウ(象)」、「葛生の洞窟と花泉の化石床」、「イヌ(犬)、ニホンオオカミ(日本狼)」、「古代農業」、「貝塚・銅鐸と日本旧石器文化」といった項目立てのもとに直良の研究足跡を詳述している。異色は、最終章に配置された「児童図書」をめぐってのものとなる。そのなかから、「原人」をめぐる二つの記述に絞って触れてみたい。
     戦後、直良は、栃木県安蘇郡葛生町(現佐野市)の探査を始める。そして「洞窟への踏査・研究」を続け、五〇年に「葛生原人」の人骨を発見する。だが、「現時点では、葛生出土の人骨を更新世のものとする先生の理解は完全に否定されてしまった」が、「洞窟や岩陰遺跡に包蔵されていた獣類化石などの調査報告は、学問の進展によって、補訂を必要とする部分があるとしても、いまも、基礎的な資料として、十分にその価値を主張し得るだろうと私は考えている」と述べながら、「明石原人」へも言及していく。
     「発見の背景をなす日本旧石器文化の存在を提唱した仕事こそ、先生の多くの考古学的業績のなかでも、もっとも顕著な業績であったと考えている。」
     研究対象が広汎なため、直良の調査報告がなかなか理解されにくかったのではないかと思われるし、わたしには、「独学であったため、研究の途上で生じた疑問はすべて自身で解決しなければならなかった」という直良の感慨は、単独で広汎な研究領域をひたすら遂行していった矜持のようなものに聞こえてくる。だから、ふたつの「原人」をめぐることは、自身の仕事のなかで特化されるべきことではなく、すべての業績と同等のものだと思っていたはずだ。本書は、そういう意味で、直良信夫の孤独な研究者としての《像》を、鮮鋭に照らし出しているといっていい。

    (刀水書房刊・16.11.13)

    2017.08.26 Saturday

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