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2017.06.17 Saturday

「感性」と「文化」を連結させて、どのような像が紡ぎだせるのか  ――「一九六八年」前後の文化の変化について描き出す

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    渡辺 裕 著
    『感性文化論 〈終わり〉と〈はじまり〉の戦後昭和史

    (「図書新聞」17.6.24号)

     「感性文化」とは、不思議な捉え方のように思われる。そもそも、「感性」や「文化」という概念には、極めて多様なイメージが胚胎しているから、その二つを連結させて、どのような像が紡ぎだせるのだろうかと、わたしは、本書を前にして、真っ先に感じたからだ。
     著者の言葉を援用してみるならば、次のようになる。
     「一九六八年という一年だけにピンポイントで特定できるかどうかはともかくとして、この一九六〇年代末から七〇年代前半にかけてのこの時期に、文化のあり方や感性のあり方に大きな変化があったということは、もちろんこれまでにもいろいろな形で論じられてきた。」「『一九六八年』前後の感性の変化も、単に『戦後』の中での話としてだけみているのでは不十分である(略)。」「戦前から、場合によっては明治以前から続いてきた古い文化のあり方を視野におさめ、そこからの連続や断絶のありようを見極めながらその歴史的位置をはかるような見方が必要である。」
     そして、「戦後文化論」とでもいうべき視線から、「『一九六八年』前後の文化の変化について、『感性文化』をキーワードに描き出すことが本書の目的」であると述べながら、一九六四年東京オリンピックにおけるメディアをめぐる様々な事象と、六九年に入ってから生起した新宿西口広場における「フォークゲリラ」の諸位相という二つのテクストを中心に、本書は論じられていく。また、その周縁の位相として、「ディスカバー・ジャパン」に象徴される環境保全の動態と高速道路をめぐる都市景観ということも対象化していく。
     著者が、一九六八年という時間性に拘泥するのは、過剰気味に、しかも皮相に表出されてきた「一九六八年論」に与したいからではなく、「一九六八年といえば、『明治百年』の年」であるとしながら、「戦後」という時空間を、「明治以前」からの「連続や断絶のありようを見極めながらその歴史的位置をはかるような見方が必要」であるという捉え方をしているからだ。
     本書の前半部では、市川崑監督による映画『東京オリンピック』(六五年公開)をめぐる「記録か芸術か」論争に焦点を当てている。高校生時、リアルタイムで観た印象でいえば、アベベが淡々と走る表情をスローモーションで捉えた場面しか思い出せないのだが、そもそも、記録映画か芸術映画かといった視線が、入り込む余地のないものだったといいたい気がする。著者は、論争が、リーフェンシュタールの『民族の祭典』『美の祭典』(三八年)と比較されながら行なわれたことを紹介しているのだが、それらの作品は、「記録か芸術か」という以前に、政治的プロパガンダ的色彩が被膜のように覆われてしまったという悲運性があることを思えば、市川作品と対称化させて作品評価するのは無理があったのだ。
     「市川の《東京オリンピック》は、古い時代の記録映画のあり方を問い直し、新たな局面を切り開く先兵的な役割を果たした一方で、多くの部分で『テレビ以前』の古い感性に支えられて成り立っていたともいえるだろう。」
     もちろん、芸術映画というカテゴリー自体、わたしも含めた普通の観客にとってはなんの意味もないし、記録映画というジャンルが確立していた時代ではないし、ドキュメンタリー映像といった考え方も希薄であったわけだから、著者の捉え方には、同意できる。
     わたしは、当時(六八〜六九年)、「フォークゲリラ」にほとんど共感を持っていなかった。友人に無理やり連れて行かれて一度だけ現場を見たことはあったが、ベ平連の活動も含めて、「友よ」という歌を象徴として、親近性を抱くことはなく、過ごしていた。ただし、本書によって、『朝日ソノラマ』(五九年創刊、七三年休刊)が、「フォークゲリラ」や「学生運動」を取り上げていたことは知っていたが、吉田拓郎を七〇年七月号から三ヶ月続けて特集していたことは、まったく知らなかった。つまり、わたしは、吉田拓郎をその頃、認知していなかったわけで、『朝日ソノラマ』は、「吉田が全国に名声を広げてゆくのを推し進めていった」ともいえることになる。
     「吉田拓郎の活動などをみると、フォークゲリラや関西フォークの人々の活動とは遠く隔たっている印象を受けることは事実で、そのことを指して、フォークソングの変質が語られ、学生運動などの反体制運動の挫折やそれに由来する、『シラケ』ムードの支配、政治的無関心世代の台頭といったことが語られることも少なくない。たしかに大きな流れとしてそのような側面があったことは否定できないが、この時期のフォークゲリラやフォークソングの流れには、そのような『政治主導』の説明では捉えきれない、文化の様々な領域で起こっている構造変化が絡んでいるように思える。」
     わたしが、吉田拓郎の最初のアルバム『青春の詩』(七〇年一〇月)を初めて聞いたのは、七一年の春頃だったような気がする。その中に収められていた「イメージの詩」にある「古い船を今動かせるのは古い水夫じゃないだろう」という歌詞に共感したものだった。著者ふうに述べてみれば、その時の感性を、「友よ」より遥かに投射していたと思えたからだ。そもそも、挫折やシラケなどといったいい方は、後付的なものであって、ましてや、「政治」よりも、もっと切実なものがあることを、誰もが知っていたはずなのだ。そういう意味で、いまでも、音楽や映画が感性を刺激してくれるものとしてあり続けているのは変わらないはずだ。だから、十年ほど前から、若者たちによる街頭での抵抗と対抗の運動がサウンド・デモのかたちを採っているのは、「フォークゲリラ」とどこかで水脈のように繋がっているといっていいかも知れない。

    (春秋社刊・17.4.20)

    2017.12.06 Wednesday

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