ケヴィン・バレット 編著、板垣雄三 監訳・解説
『シャルリ・エブド事件を読み解く
世界の自由思想家たちがフランス版9.11を問う

(「図書新聞」17.8.5号)

 シャルリ・エブド事件が、15年1月7日、パリで起きてから、二年半が経過したことになる。本書は、事件の深層を切開しながら、それが、01年9月11日のアメリカ同時多発テロから近年の「イスラム国(IS)」よるテロまでの連鎖を、イスラム過激派によるものとすることに疑義を呈していく苛烈な論考集である。
 わたし自身、シャルリ・エブド事件に関していえば、「攻撃から何時間もたたないのに、フランスの中で10万人以上の人々が集まり、その多くが『わたしはシャルリ』のプラカードを持」ち、四日後には、「約300万人がフランスで行進に加わり、うち200万人がパリで行進し」(ケヴィン・バレット)て、報道と表現の自由を叫ぶということに、ある種の異様さを感じてしまったといえる。風刺や諧謔によって特定の宗教を貶めることが、表現の自由といえるのだろうかということが、直ぐに抱いた疑念だったからだ。わたしは、無宗教者だが、どのような宗教であっても宗教を信じる人を批判したり否定したりは絶対にしない。信と不信の狭間はいつだって鏡のようなものだとわたしは考えているつもりだ。なぜ、イスラム教だけが絶えず欧米国家群から排撃されるのだろうか。
 「イスラム教の預言者に対する数々の攻撃は、この宗教と文化に対する絶滅を意図した、文化的ジェノサイドの一部ではないのか。多くのムスリムはそう考えている。」「イスラムに対する戦争が、元来、シオニストによるパレスチナのイスラム教聖地への侵略と占領の産物だったということは、ずっと議論されてきた。(略)シオニストによるイスラムの中心地の破壊が、一方に攻撃的拡張主義のユダヤ人ナショナリズムと、これに対応して生じてきた、基本的に防衛的な(ときに戦闘的な)イスラム・ナショナリズムと、の間の衝突を、必然的に引き起こすことになる。」 「イスラム教には、他の宗教を尊敬し、保護してきた長い立派な歴史がある。既存のどんな宗教であれ、宗教的人物であれ、それを冒涜することは、ムスリムにとって呪われるべきタブーである。」(ケヴィン・バレット)
 パレスチナにおけるシオニストを全面的に支援する欧米国家群にとっては、必然的にムスリムは敵となるわけだ。その論旨からいえば、バレットや本書の他の論者たちは、9.11も、シャルリ・エブド事件も、容疑者が直ぐに特定されたり、痕跡を残していることに疑義を呈しながら、事件の「でっち上げ」を主張していくことになる。
 執筆者の一人、元ホワイトハウス政策分析官のバーバラ・ホネガーは、「米国およびイスラエルのシオニストが、9.11事件を周到に計画して組織的に実行し、ムスリムの犯行としてでっち上げ、拡大中東地域のムスリムの領土を侵略・占領することを正当化して、イスラエル外交・安全保障の目的を達成しようとした」と述べながら、シャルリ・エブド事件に関しても、「『テロとの戦い』につきまとってきたパターンが繰り返されるのを見ることになる。9.11からロンドン地下鉄爆破事件、マドリード駅爆破事件、さらにはボストンマラソン爆弾事件まで、テロ事件に直接・間接に係わった者たちは、欧米の一つあるいは複数の犲0足畩霾鶺ヾ悗筏燭錣靴ご愀犬鬚發辰討い燭箸いΔ海箸澄廚斑任犬討い。スノーデンによって暴露されたアメリカのNASAによる個人情報監視システムがあれば、テロは未然に防げるはずだと思うが、それが目的ではないということは、ホネガーの論及が補強していくことになるといっていい。
 また、別の角度からの捉え方もある。周知のようにシャルリ・エブド事件は、「週刊紙オフィスを攻撃し、11人を殺し、10人に傷害、内5人は危篤の重傷を負わせ」、「別のもう一つの攻撃は、アメディ・クリバリという男が、ユダヤ教食品店で複数のユダヤ人常連客を殺した」、二つの「攻撃」で形成されている。「問題は『誰が得をするか?』である。/明らかにムスリムではない」と、レーガン政権の財務次官補だったポール・グレイグ・ロバーツは述べながら、「テロ攻撃と称されるものは、(引用者註・パレスチナ人を支持しだした)フランス政府をワシントンやイスラエルの路線に戻すのに役立った」と論じている。
 本書の原著は、事件後、直ぐの15年4月にアメリカで緊急出版されたものだ。執筆者たちは、「社会的・宗教的・民族的帰属も思想信条もいちじるしく多様で、個性的」(板垣雄三)であるにも関わらず、情況の深層をそれぞれの視線で的確に、しかも鋭く切り込んでいるといっていい。
 それに比べて、わが列島の首相が友人や応援団に利益供与をしていることに、憤りを感じる日々だが、表層の部分だけでも、その陥穽は明らかであるにもかかわらず、メディアや対抗勢力に鋭利性がないことを見透かしているかのような振る舞いを政府中枢はしている。それは、わたしたちの現在というものが、本当に逃げ場のない深刻なものだというわけではないことの証左なのかもしれないが、むしろ、そのような弛緩した情況に対して、わたしは、暗澹たる思いになる。

(第三書館刊・17.5.10)

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