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2017.10.24 Tuesday

「天然自然と人間は一体なのだ」という認識を汲み入れるべきだ       ――自然をめぐる時間意識へアプローチしながら、切開していく

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    川村晃生 著『見え始めた終末――「文明妄信」のゆくえ
    (「図書新聞」17.11.4号)

     わたしは、パソコンを活用しているが、スマホ・携帯電話の類は持っていない。メールのやり取りは、パソコンで充分だし、通話に関しては家の固定電話で足りている。携帯電話が急激に普及しだしたころ、外を歩いていると、独り言をいいながら歩いていく人たちに遭遇して、度々、驚いたものだった。それが、携帯を手に持って話しているのだと認識するまでかなりの時間を要したことを思い出すが、最近、それ以上の異様な光景を見て、愕然としたことがある。スマホ・携帯(もちろんパソコンも)は便利なツールであることは、認めるし、わたしは科学技術の進歩をすべて否定するものではない。あくまでも、使う側の主体的な意志によって、利便性を生かすべきだと思っているからだ。だが、最近出会った異様な光景とは、大型店の前でスーツ姿の男女(勤め帰りか、出先から勤め先に戻る途中なのかは分からない時間帯だった)が、大勢、横並びになって、全員が一様にスマホを見ていたのだ。最初は、大勢の人がいたので、大型店の入り口前で、なにかイベントのようなものをやっているのかと思ったが、そうではなかった。「ポケモンGO」をやっていたことを知ったのは、それから何日か経ってからだった。
     「言葉が空洞化し、完全に無力化してしまったら、それは人間の社会ではない、(略)いまこの社会は、そこまで来ているのだが、当然のことながらその認識は薄い。(略)近時、それを裏付けるような現象が起こった。二〇一六年七月に起こったポケモン現象である。(略)『ポケモンGO』は、配信と同時に、昼夜を問わず、また子供のみならずいい年をした大人までが、スマホを片手に全国各地で探索が始まった。(略)公園といい神社といい、いそうな所を求めて人々の徘徊が目につく。(略)そしてついに、車の運転中、ポケモンに熱中するあまり、人を轢き殺すという事故まで起きてしまった。(略)こうした状況に鑑みれば、IT化の罪は重い。そして人類の歩みもそろそろ終末に近づいているように感じるのだが、困ったことにそれもだんだんと確信になりつつあるのである。」
     もしかしたら、わたし自身、あの異様な光景に出会わなければ、著者のこの記述に感応しえたかどうか分からない。それにしても、一年以上も異様な現象が続いているのだとしたら、それは、戦前期の大政翼賛体制下の異様な情況に通底していくのではないかといいたくなる。
     著者は、「文明妄信」によって、環境破壊(壊れゆく景観)を生起させている現在を、文学(古典から芭蕉、漱石など)を通し、自然をめぐる時間意識へアプローチしながら、切開していく。
     「(略)私たちはいま、いのちへのまなざしを閉ざしながら加速度的にいのちへの感性を鈍らせていると言えよう。それはいのちの虚失化ということであり、また別の言い方をすればいのちの不可視化とも生命感覚の鈍化とも言っていいだろう。」
     著者は、そのことを、〈生命リアリズムの喪失〉という言葉で括りたいとする。確かに、ほんらい人間という存在と自然というものは、切り離すことのできないものなのだ。もちろん、この場合、自然とは草花や木々だけではなく、人間以外のすべての生物(命あるもの)が含まれる。だから、自然とは生命活動によって形成されているものであり、それは、まさしく〈生命のリアリズム〉を表象しているのだといってもいい。
     本書の終章で、著者が、農本的ユートピア、あるいは農本的アナキズムを江戸期に提起した安藤昌益の「自然世」や「直耕」という概念に触れて論述していくことは当然のことだと、わたしには思った。
     「天地自然と人間は一体なのだという思想が、その基本に据えられているのである。また平野、山里、海浜とそれぞれの住む地域が異なれば、当然産出されるものも穀類、薪材、魚と異なるのであるから、お互いにそれらを交換し合って、過不足のないような生活を営むことができる。」「(略)誰もが耕して子を養育し、養育された子は長ずるに及んで耕して親を養い、子を育てる、この連続こそが人間の歴史だというのである。近代は余りにも、この繰り返しの歴史を軽視しているのではあるまいか。そこでは昌益の忌避し非難する欲望や搾取があまりにも突出し、いまを生きる人々の権欲があまりにも拡大されているように思われる。」
     ここまで、過剰な利便性のなかで生きているわたしたちが、後戻りして質素な生活をすべきだといいたいわけではない。すくなくとも、〈生命のリアリズム〉ということの内実、「天地自然と人間は一体なのだ」という認識を日々の暮らしの時間のなかへ汲み入れていくべきだと本書を読み終えて、わたしが切実に思ったことである。

    (三弥井書店刊・17.4.20)
     

    2017.11.09 Thursday

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