南川隆雄 著『いまよみがえる戦後詩の先駆者たち』
(「図書新聞」18.2.24号)

 戦後生まれのわたしが、詩に強い関心を抱くようになったのは十代後半の時(六八〜六九年)だった。敗戦時から二十数年という時だったから、戦前期(近代詩というべきかもしれない)以外の詩人たちは、自ずと戦後詩人であり、戦後詩ということになる。現代詩という感覚で、同世代や幾らか先行する世代の詩人の詩作品を読むようになったのは、戦後詩の狎礼瓩鮗けた後、数年経ってからだった。そもそも、吉本隆明に誘われるようにして、「荒地」派の詩人、特に、鮎川信夫や田村隆一を知ったのが、わたしにとって戦後詩へ傾注していく大きな契機であった。そして、詩誌「荒地」は、埴谷雄高や平野兼たちの「近代文学」と拮抗する表現誌として、わたし自身のなかでは認識していくようになる。鮎川死後刊行された全集の第一巻の『全詩集』(八九年三月)は、全十章で、一九四六年から八二年までを発表順に七章まで収め、八章は「1937〜1943(戦中詩篇)」(年号表記はママ。以下同)、九章は「1937〜1981(拾遺詩篇)」、十章は「翻訳詩」という構成になっている。一章(1949〜1951)は、「耐えがたい二重」から始まる。詩誌「新詩派」(一九四六年七月)が初出である。
 やや迂遠したが、ここから、本書に分け入っていくことにする。戦後詩史という視線を持って、それぞれ個別の詩人たちの表現を辿ることも重要なことに違いないが、戦時下を通過しての戦後であることを考えれば、本書のように表現の場がどのようにかたちづくられ、どのような詩人たちが集い、切実に表現行為を再開していったのかということに照射していくことは、わたしなら当然のことのように思う。著者は次の様に述べていく。
 「戦後詩はそれが書かれた時代の作者の実生活と不可分に密着している。(略)実生活とは、占領下に与えられた民主主義と勃興する社会主義運動という環境下での衣食住の極端に欠乏した日々の暮らしである。そんななかで若い世代の詩人たちは詩に向きあった。さらに年長の先行の詩人たちは、戦前・戦時の仕事への批判と反省という重荷を背負った。戦後詩はこうした個人生活・社会生活のなかで産み出された。」
 このように、戦後詩が紡ぎ出されていく場所、つまり、戦後における詩誌の始まりと渦動を、著者は本書で丹念に辿り記述していく。そして、「戦後詩誌の嚆矢として」とりあげていくのは、北九州で発行された「鵬」(後、「FOU」)という詩誌だ。わたしにとって、まったく未知の詩誌であった。創刊号は、四五年十一月。しかし、「占領下に与えられた民主主義と勃興する社会主義運動という環境下」、やがて、編集代表者の岡田芳彦のなかで「イデオロギー重視の傾向」が、「ますます深刻」化していき、四八年九月、十七号で「唐突な終刊」を迎える。
 「鵬」の創刊後の翌年、多くの詩誌が各地で発行されたという。なかでも、同時期(四六年三月)に創刊された「新詩派」(編集代表、平林敏彦。平林は、後に伊達得夫が創刊した「ユリイカ」の編集に携わる)と「純粋詩」(編集発行、福田律郎)を著者は詳述しながら、「荒地」へと視線を射し入れていく。「新詩派」(同年六月号)には、「四二年に『寄港地』を発表して以来の長い沈黙を経て復員後の『田村隆一が戦後はじめて詩誌に発表した』」と推測できる「石」、「翳」の二作品が掲載された。そして田村との繋がりで翌七月号に、鮎川にとって戦後、初めて詩誌に発表した作品「耐えがたい二重」が掲載されることになる。「新詩派」は、四七年十一月、通巻第八集をもって終刊する。
 「純粋詩」の通巻第七号で、田村隆一の「審判」が掲載された後、四六年十二月発行の第一〇号に田村をはじめ、鮎川、木原孝一、三好豊一郎、中桐雅夫ら(後に北村太郎も参加)、「荒地」(第二次の創刊は、四七年九月)の面々が結集している。鮎川の詩作品に添って述べてみるならは、十一号に「死んだ男」、十七号に「アメリカ」と「『アメリカ覚書』」が掲載されている。この二作品は、「繋船ホテルの朝の歌」(「詩学」)や「橋上の人」(戦時下に出された三好豊一郎らの詩誌「故園」が初出だが、改稿して四八年「ルネサンス」に発表)とともに鮎川の初期における代表作群と見做された詩篇だ。
 「福田主導の『純粋詩』は二年目あたりから『荒地』グループの詩人を取り込んだ。戦後のこれらの詩人の出発に比較的安定した足場を提供した『純粋詩』の功績は大きかった。しかし『荒地』グループの撤退後、福田は左傾し、(略)『造形文学』と改題し、これには関根弘、長光太らが加わったが、一年余のちに(略)終刊となった(略)。その後福田を含む『造形文学』の同人の一部は五二年三月創刊の『列島』へと移っていく。」
 戦後詩が時代情況によって強いてくるものに対し抗えるか否かという分岐する様態を、「鵬/FOU」の岡田、「純粋詩」の福田に象徴的に表れているといっていいと思う。イデオロギー(あるいは皮相な思想)という自己表現(表出)と相反する方位へと向かう詩人たちがいたとすれば、それは、「先行の詩人たち」が背負った「戦前・戦時の仕事への批判と反省という重荷」を無化していくことになると、わたしは断言したくなる。
 「荒地」と「列島」の間にある異和を象徴する戦後詩という迷宮を、しばしば暗澹たる思いで感受してきたわたしにとって、本書に接し、多くの詩人たちの躍動する像を戦後詩の時空間として見通すことが出来たことは大きい。

(七月堂刊・18.1.20)

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