進藤榮一・木村朗 編著                      『中国・北朝鮮脅威論を超えて――東アジア不戦共同体の構築
(「図書新聞」18.5.26号)

 わたし(たち)は現在、まぎれもなく〈アジアの片隅〉で生きているのだ。アメリカやヨーロッパ的な生活形態にあるからといって、進んだ文明的な生き方をしていると勘違いしてはいけない。欧米の方だけに顔を向けていくのではなく、侵略・統治という帝国的簒奪を行ったという負の歴史があるとはいえ、近隣のアジアこそ長い時間性のなかで、文化的、人的交流をしてきたわけだから、関係性(共同性)を再構築すべきだといっていいはずだ。
実は、そのことを瞑すべきとして〈アジア〉、〈アジア性〉あるいは〈アジア的〉ということを、わたし自身、何十年にもわたって考え続けてきた。それは次のような論述に、かつて出会ったからだ。
「人類の歴史の理想形態というものを描けるとすれば、それはまさに村落共同体、つまり、古代の、あるいは〈アジア的〉な村落共同体が持っていた相互扶助形態が、高度な別の次元で成立したときに描きうるものです。それを理想の社会とおもわざるをえないところがあります。」(吉本隆明「〈アジア的〉ということ」一九七九年七月)
 アジア的な共同性というものは、負の面では専制政治(戦前期の大日本帝国のように)を支えてしまう構造があるが、本源的には、吉本が論述するような様態を潜在させているといえるのだ。二〇〇九年、民主党政権が成立すると、首相・鳩山由紀夫(現・友紀夫)が、対米追従路線から脱却して東アジア共同体構想を提起した時、わたしは、ある種の期待感を抱いたといっていい。だが、アメリカサイドとそれに連なる勢力によって鳩山・小沢政権は崩壊されられた。
 本書は十六人の論者による、中国、北朝鮮、韓国、そして沖縄という東アジア的世界から、トランプ新政権の米国第一主義に対抗していくための視線を提示するリアルな論集である。元首相・鳩山友紀夫も執筆していて、次のように述べている。
 「北朝鮮指導部の最大の関心は現在の国家体制を維持することにあります。(略)北朝鮮としては、アメリカとの交渉力を高めるために核開発を行い、ミサイル発射実験を繰り返しているのです。日本に戦争を仕掛けようという目的ではありません。その意味では北朝鮮は日本の直接的な脅威ではないのです。」「中国脅威論を声高に叫ぶのは、日米同盟を強化し、沖縄における米軍基地や自衛隊基地の必要性を正当化するための格好の道具だからなのです。」(「東アジア不戦共同体と沖縄」)
 このように論及する鳩山の考え方に、わたしはまったく同意するし、執拗に脅威論を煽るのは、アメリカサイドに追従・従属することで利を得る勢力だけであって、「“脅威論”の作成者としてのアメリカと、これに全面的に同調する日本は、その作為された犇式厦性瓩、逆に東アジアの安全保障の脅威となっていることを自覚すべきであ」(纐纈厚「南北朝鮮の和解と統一を阻むもの」)るということになるのだ。
 わが列島国家の為政者たちは、覇権国家アメリカを最も信頼できる同盟国だと確信しているかも知れないが、ほんとうは、アメリカにとって、「日本は帝国に貢ぎ物をする国である」(進藤榮一「序章 中国・北朝鮮犇式勠疣世鮓‐擇垢襦廖砲噺做していることを理解すべきなのだ。
 また、尖閣諸島の問題についていえば、無主地であったものを、日清戦争後の「明治政府が閣議決定で沖縄に編入したにすぎない」のだ。「国際法には『固有の領土』という言葉はない」(岡田充「『敵』はこうして作られる」)」というのが、大前提である。さらに、朱建榮は、「中国外交の多元的な現実を見ることもできず、日中和解の道を切り開くこともできない。眼を向けるべきはむしろ、中国外交のしたたかな多元主義外交の展開」であるとしながら、「中国指導者の脳裏において、恐らく外交(略)は、内政問題(略)に比べ、配慮する順位が低いものであるという特徴を指摘できる」(「ベトナム戦争の二一世紀への教訓」)と述べていることに注目すべきだと思う。
 明快にいえることがある。いつまでもアメリカのエゴイズム(成澤宗男)に翻弄されてはならないということだ。覚醒し、冷静な視線を持つべきなのだ。沖縄が置かれている情況を考えれば、次のような木村朗の論述に接して、なおいっそう強く思わざるをえない。
 「(略)沖縄問題とは何かを問うならば、その本質は沖縄独自の問題でも米国問題でもなく、日本問題に他ならない。また沖縄の基地問題は、安全保障の問題である以上に、人権・民主主義・地方自治・地方主権の問題であり、潜在的な民族問題でもある。そうした本質を理解しようとせず、日米安保体制を容認する立場からまさにひとごとのように『辺野古移設は仕方がない』とする本土の人々のゆがんだ『常識』こそが、あらためて問われている。」(「アジア版NATOではなく東アジア不戦共同体を目指せ」)
 今年になって急転、予測できないかたちで、米朝首脳会談、南北首脳会談が実現することになった。もちろん、まだ予断は許さないのだが。平昌オリンピックが契機になったとはいえ、皮相な北朝鮮脅威論に幾らかの楔を打ち込んだ金正恩のしたたかさを認めないわけにはいかない。だが依然、この国の為政者たちはアメリカからも東アジアからも相手にされていないのは間違いない。
 わたし(たち)はこれからも、〈アジアの片隅〉で冷静に〈情況〉と相渉っていくべきである。
[注記・〈アジアの片隅〉は、吉田拓郎の曲名から喚起されたものだ]

(耕文社刊・17.10.30)

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