上 幸雄 著『奴隷貿易の旅』
(「図書新聞」19.12.7号)

 「奴隷貿易」とは、著者のオリジナルな視線ではないが衝撃的な捉え方だといっていい。書名は「旅」とあるが、歴史的な淵源を探る紀行(調査研究といいかえるべきかもしれない)といった意味合いがその言葉には当然、含まれていく。
 「「奴隷貿易」ビジネスは、他所の土地で、勝手に人を拘束・鹵獲(ろかく)・保有し、他人に売り飛ばし、利益を得ることだが、最終的には、とうとう、他人が持つモノ、ヒト、土地(地下資源を含む)のすべてを領有する権利や実態へと発展したのであった。(略)人を本人の意思に反して拘束し、他人に売り飛ばすことへの批判を展開した人権主義やヒューマニズムの精神や行為は、奴隷貿易の持つ非人間性に対して添えもの程度にしか存在しなかっただろう。」(「はじめに」)
 著者は、ポルトガル第二の都市、ポルトを訪れ、エンリケ王子に関わる歴史的建造物や文化施設をめぐる。エンリケ王子とは何者か。一三九四年、ジョアン一世の第三王子として生まれる。時は、「キリスト教の勢力がイスラム教の勢力を押し返す勢いの真っ只中」だった頃だ。「自国領内からいち早くイスラム勢力の国外追放に成功したのが」、ポルトガルであり、「その余勢を駆って(略)イスラム勢力の橋頭堡であるセウタへの攻撃に出」て、その「先陣に立ったのが」、エンリケ王子だ。王子は、「それまで地中海沿岸地域のごく一部に留まっていたアフリカ大陸に関する知識を(略)習得し(略)、アフリカ大陸を大西洋に沿って南下する発想を得たことであった。それは、まさに大航海時代の到来を予告するもの」(「第二話 エンリケ王子の登場」)だった。
 イタリア人、コロンブスは、スペインのイザベル女王の支援を得て、アジア(インド)へ向かう航路として「大西洋を西に行った方が早道」であると考え、新大陸(アメリカ大陸)に到達したことになる。著者は、エンリケ王子の航海から、「コロンブスはすでに奴隷貿易という発想を持っていた」(「第六話 コロンブス」)と断言する。
 イギリスのリヴァプールに「国際奴隷制ミュージアム」があるという。そこを訪ねた後、著者は次のような思いを述べている。
 「博物館の展示について、日本の場合を考えてみる。太平洋戦争で「中国大陸・朝鮮半島に侵略していった過程」、「シンガポールに侵攻し、たくさんの市民を殺した過程」、「ハワイのパールハーバーを急襲した過程」、「南太平洋の島々を占領していった過程」など、日本軍による周辺諸国に対する侵略過程やその背景を子供でも分かる展示や解説をしている博物館や歴史資料館があるだろうか。」(「第十一話 エリザベス一世の時代」)
 確かに、そういうものはない。さらにもう少しつけ加えていうならば、朝鮮人連行や徴用工の問題は、大日本帝国の統治下にあった朝鮮人に対する奴隷労働以外のなにものでもないといい切ることができる。
 さて、わたしたちは、コロンブスのアメリカ大陸発見という歴史的な事象をそのまま画期的なこととして受容してきたが、そのことによってどういうことが生起したかを考えてみれば、画期的などと称揚できることではない。それは先住民(インディオ他)に対する収奪、虐殺、その後、労働力としての奴隷をアフリカから強制連行して、「アフリカ人奴隷は、アメリカという巨大消費地を得て、需要が大きく伸びると、それまでの衝動的・断片的商品から、計画的に大量に獲得して、需要を満たす商品へと大きく変貌を遂げ」(「第十七話 奴隷貿易のはじまり」)ていったのだ。
 その結果、「急速に奴隷市場が拡大していくなかで、みるみる巨大な化け物へと変身していった。(略)奴隷貿易で獲得した奴隷により、アメリカ大陸では「奴隷制」が生まれ、その奴隷制が拡大するにつれ、奴隷の需要が増し、それがまた、奴隷貿易を盛んにしていった」(「同前」)わけだが、やがて、「奴隷性」は、「黒人差別」として変容し、普遍化されていくことになる。アメリカンデモクラシーは、虚妄に過ぎないことの時間性が、それらに包含されてきたのはいうまでもない。
 著者が本書で試みていることは、明快だ。「ヨーロッパ」―「アフリカ」―「アメリカ」という大西洋三角(奴隷)貿易を俯瞰していくことだ。本書では、ポルトガル、スペイン、イングランドの西欧の王国が奴隷貿易によるアフリカへと至る一辺の道筋を描出していった。しかし、二辺目、三辺目へと辿り完結していかなければ、「アフリカ人自身が味わった旅からすれば、一瞬のまばたき程度にもあたらない」(「終幕」)し、「奴隷貿易の旅」は終わらないと、著者は述べているが、わたしは、最初の一辺が重要であり、後は、わたしたち一人ひとりが受け継いで、「アフリカ的世界」の暗渠を見通していくべきだと思う。もちろん、現在の「アフリカ」は、「内戦」が至るところで生起しているが、これは、「奴隷貿易」の消えることのできない残照であると考えていいからだ。

(歴史の旅クラブ刊・19.9.9)

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