小柳 剛 著                                              『パンデミック客船「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』
(「図書新聞」20.7.11号)

 いまだ、コロナ禍の最中、この列島に住むわたしたちが最初にコロナ感染という事態を衝撃を持って受け止めたのは、二月の横浜港に留め置かれたクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)だった。思い起こせば、その頃はまだ欧米ではコロナウイルスが席巻する前だった。トランプは、アメリカ人乗客を早く帰国させろと騒いでいたし、支援に入っていた神戸大の教授が、なんの防備もすることなく、スタッフが右往左往していることに警告していた画面がテレビを独占していた。やがて、彼はテレビに出ることもなく、なぜかメディアで発信することもしなくなった。安倍と小池は、東京五輪は開催できると猛進していたから、クルーズ船でコロナを封じ込めれば列島に拡散することはないだろう思っていたに違いない。
 その後、列島をコロナウイルスが席巻していくと、パンデミック客船「ダイヤモンド・プリンセス号」のことは、遠い記憶の彼方に追いやりサンミツを避けるとか、人と人の間の距離を置くとか、ステイホームなどという空無なことを実践するといった経過を経て緊急事態が解除されるということに至るわけだが、コロナウイルスの猛威を阻止したわけではない。
 あの、クルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客だった著者による渾身のレポートが刊行された。この時の政府(厚労省)の乗客へ向けた発信の仕方と、船内の混乱が、この後のコロナ禍の迷走を象徴しているといっていい。なんのことはない、船内で隔離すること自体、そもそも間違っていたからだ。
 著者は、夫婦二人で、「初春の東南アジア〜大航海16日間(香港、ベトナム、台湾を周遊)」コースに参加して、横浜港を出航したのが、一月二十日だった。帰路の二月三日、東京湾に入った時、船内放送が流れた。香港で下船した乗客が新型コロナウイルスに感染したため、「本船は日本の厚生労働省の検疫下に入り、横浜港・大黒埠頭沖に停泊し乗客全員の検疫をはじめる」と伝えられる。著者たちは、「無意識にでも新型コロナウイルスが迫っていることは、たしかに感じていたし、(略)たえず気にしていたはずなのだから。(略)とうとうやってきてしまったかという一瞬の落胆は、〈どこかで間違えた〉という意識でもあった」と述べていく。そして、本来の下船予定日の二月四日から二十日の下船まで、著者たちはもちろん乗客たちは、「十七日間自由を奪われていたことになる」。それでも、著者たちは、友人とのメールの遣り取りをして外との通交は保持していた。さらに友人を介してメディアの記者たちとの通交も続けていった。そのことは、孤立した状態から、様々な情報を得ることによって心身を保全できることに繋がっていったはずだ。
 著者たちにとってコロナ禍への懸念は、もちろんあるが、長年の疾患があり、多くの薬を手放さないできた。隔離期間の薬の調達が大きな問題となっていく。届いた中に、希望のものがなかったり、間違って入っていたり、全品揃うのに大変なやりとりをしなければならなかった。
 「薬問題はどうやら多くの年寄りの問題となっているようだった。/私の感覚ではウイルスの怖さより、薬が切れたときの肉体の苦痛のほうが怖かった。」「船が外洋に出るとき、房総半島の突端まで海上保安庁の船が併走していた。なんのためか、これも後々まで残る問題だった。」「三日に検疫がはじまって以降、厚生労働省の顔は私たちにはまったく見えなかった。/せめて隔離をはじめるときに、厚生労働省による現状説明と、これからの予定を知らせるべきではなかったか。」「深夜、今回の件でプリンセス・クルーズ社はクルーズ代金を全額払いもどし、無料にすると発表したらしいが、私たちはそれを知らずに寝てしまっていた。」「マスクと手袋だけをして相変わらずユニホーム姿で外を動きまわるクルー。(略)防護服をつけないクルーの最終的責任は、厚生労働省なのか、それともプリンセス・クルーズ社なのか、それはいまだにわからない。」
 十四日、船内放送で厚生労働省の橋本岳副大臣(故・橋本龍太郎次男)が、「直接話しをはじめた」という、「何か新しいことを言うのかと期待したが、まったくそのような内容ではなく、今までの実績を述べ」ただけだった。それまで、「厚生労働省は乗客にまったく語りかけてはこなかった」のだ。そして、著者は次のように断じていく。
 「今思うのだが、あの副大臣のスピーチには現在の日本の政治家の質がすべて現れている(略)。(略)奥底で自分たちの党(自由民主党)―政府―厚生労働省の実績を並べたてることを意味し、逆に乗客には語りかけていなかったことを意味する。そこには不安のなかにいる乗客を案じるよりも、自分たちの権力意識をむき出しにしていることで、乗客と離反してしまった状態が現れた。」
 まさしく、安倍や小池の発信も、「自分たちの権力意識をむき出しにして」、わたしたち大衆(民衆)と大きな懸隔をつくっている。コロナ禍は、トランプを始め、剥き出しの権力を露呈させた契機となったといえる。
 著者たちは幸いなことに、陰性のまま下船し、その後の再検査でも陰性ということになった。ダイヤモンド・プリンセス号の乗客・乗員三七一一人(外国籍含む)中、感染者数は、七二三人、死者一三人である(「朝日新聞」二〇年六月四日付)。

(KADOKAWA刊・20.5.28 )

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