セルゲイ・フーデリ 著/糸川紘一 訳『ドストエフスキイの遺産』(『図書新聞』06.11.11号)

 ドストエフスキイを「魂のリアリズム」を追求した作家と捉えたのは、埴谷雄高だった。もちろんそれは、人間の存在の在り方を問い続けるといった形而上的意味をもつことを指し示している。もとより、シベリア流刑時代に唯一、『聖書』のみが自分自身の魂を支えるものだったこととそのことは繋がっている。わが国でドストエフスキイが多くの読者をもつのは、作品のなかに横たわっている深い精神性の劇が感銘を与えるからだといってもいい。一方で、ロシア文学がもっている基層のようなものが、どこかでわたしたちの感性と通底していくことを感得できるからだともいえる。
 本書は、一九六三年に執筆されながら、単行本されることなく、著者の死後九八年にモスクワの出版社からリョドミーラ・サラースキナの編集で刊行されたものだ。著者のフーデリは、「1900年、モスクワの司祭の家に生まれる。1917年のロシア革命で教会が否定されていくなか、1922年に最初の逮捕・流刑。以後1956年までに計三回の逮捕・流刑を経験する。(略)1977年、ポクロフ市の自宅で死去。ソ連時代に『教会の人』であることを貫いた姿勢は現代のドストエフスキイ研究者に高く評価されている。」と本書では紹介されている。
 本書の巻頭に付されたサラースキナの序文によれば、「ロシアで三十―六十年代に書かれた、ドストエフスキイに関するほとんどあらゆる文献―伝記、創作方法の研究と文体論、作家の世界観と彼の『イデオロギー小説』についての研究―(略)は方法論では党派的な志向をもち、無神論的な時代の命令に従うのみならず、『最終的な反宗教運動』の、根強い戦闘的無神論の人々によって書かれた」から、執筆後すぐの刊行に困難さがあったことが分かる。わが国のドストエフスキイ論の多くも、キリスト教的な解釈を軸にすることはない。ロシア正教会を信とする著者のドストエフスキイへの接近の骨子は、当然、作家の心奥に内在するロシア思想(ロシア正教)への共感にある。
 「ドストエフスキイの基本的なキリスト教の道と、それに先立った、そしてある意味でそれに最後までついてまわった、あの暗くて困難な岐路を区別することができないということである。芸術における彼のキリスト教の公然たる信仰告白は一八六四年に始まり、一八八一年の死去まで途絶えずに続いた。(略)この信仰告白は私たちに必要である。それは文学の砂漠の中で私たちが貴重な遺産として受け取る冷たい井戸水である。この遺産の多くはまさに私たちに、私たちの時代に身近なものなのだ。」(32P)
 膨大な書簡、日記、そして作品に潜在する信の貌を丹念に抽出し解読していく本書の展開のさせ方は、あたかもドストエフスキイの足跡に自身の生き方を重ね合わせて叙述しているかのようだ。精神の難渋さを病的に内包するドストエフスキイ像は、そこに当然、宗教性の核を見通すことはできるだろうが、むしろ、ロシアという場所性が抜きがたく関わっているといえるはずだ。それは、ミール共同体に象徴されるようなロシア的な土着性・古代性といえるもので、わがアジア的な感性に通じるものだといってもいい。またこうもいえる。日本の天皇制が農村共同体をその基層にしていることと、ドストエフスキイ文学によって窺い知ることができるロシア正教とミール・農村共同体の連結性は、パラレルに捉えることができるとも。
 本書が、宗教的信に凝縮して論述されているから、理解の方位を確定する難渋さはあるとしても、著者が抱える思念の母型性は、その率直さから、共感を覚えるものだ。問題は、その先にある。長く社会主義体制下にあってスターリン主義というある意味、宗教的なイデオロギーによって圧迫し続けられてきたロシア祖形の信のかたちは、反イデオロギーとして再生してくる必然をもつといっていいかもしれない。
 それが、著者がいうところの、ドストエフスキイの〈遺産〉ということになる。
 「ドストエフスキイの遺産は極めて大きい。彼の思索の病的な難しさにも拘らず、この思索の個々の間違いにも拘らず、彼はその真実性において明解で単純な思想を私たちに残してくれた。」(278P)
 このように、著者は述べながら、本書を終章へと導いていく。(群像社刊・06.8.16)

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