前川整洋 著『巨匠探究――ゲーテ・ゴッホ・ピカソ
(「図書新聞」16.7.16号)

 わたしは、「巨匠」や「巨人」(例えば、「思想界の巨人」というように)と称して、影響を受けた先人を捉えたことがないので、書名を見て、一瞬、逡巡してしまったといっていい。だが、読み終えて感じたことは、著者の丹念な論及と解析によって、「巨匠といえども、才能にまかせて降って湧いたように作品ができ上がったのではない。才能を厳しく磨くだけではなく、境遇や歴史の潮流との相互作用から才能は育まれ、作品へと開花したのだ」(「はじめに」)ということを率直に了解することになる。著者は、伝記的位相と作品世界を巧みに交錯させながら、そこへ繊細に視線を射し入れて、それぞれの〈像〉を浮き上がらせている。だから、本書によって、わたしが、思い込んでいたゲーテに対する偏見は見事に解体され、青春期から共感していたゴッホとピカソへの親愛性をあらためて確認できたといえる。
 わたしは、「詩、小説、戯曲さらに科学上の発見、政治家としての実績と、業績は多岐にわたっている」と著者が述べていくゲーテの「偉業」に対して、いつも不分明さのようなものを抱いてきた。それは、例えば、ワイマール公国のアウグスト公からの強い要請で宮廷政治家として長年活動しながら、精力的に創作活動をする膂力の源泉はどこにあるのか理解できなかったからだともいえる。
 「宮廷社会の視野の狭さ、発展性の欠如を見極めながら、当時の社会通念や宗教の教義に没入したようなスタンスはとらず、自然科学にも則った世界観を推し進めている。(略)混迷する社会において欲望や失望にさ迷う人びとは限りなく多いが、ゲーテ作品には自然界の深淵さが流し込まれていて、迷いを打開する手引きが暗示されている。というより、迷いを昇華するための思想と理想追求のエネルギーを、ゲーテはもたらしている。そのエネルギーの向かう先は、自然への畏敬と文化芸術をベースにした世界の合一でなくてはならない、と感じとれる。」
 「当時の社会通念や宗教の教義に没入したようなスタンスはとら」なかったということは、ゲーテに「キリスト教だけが宗教なのでは」ないという開明性があり、「イスラムの文化や思想への理解を言明し」ていて、それが、『西東詩集』という抵抗詩集へと結実していったと述べている。このようにゲーテを捉えていく著者の論及は、そのまま、宮廷政治家から、『色彩論』、『ファウスト』を著わしていくゲーテの膂力の源泉を顕在化させているといっていい。
 絵画作品を論じる場合、文章による創作作品とは違い、図録や画集に掲載された作品と実際の作品とは同じではないという障壁をどうするかという問題がある。だから、本書の著者は、展覧会で観た作品の印象に基づいて、極力論及していく。その姿勢のなかに、わたしは、著者が考える「探究」することの意義を見出さざるをえない。
 「ゴッホ展で誰もが最も期待しているのは、『夜のカフェテラス』(略)であるはずだ。(略)人垣の間から部分的にしか見えていなくても、輝きをはなっている。どうにか最前列に立てた。アルルの街中の狭い通りのカフェテラス、そのベランダを煌々と照らしているガス灯の明かり。(略)人々にとっては見慣れた灯かりであるが、闇を照らし、温もりのある天空を出現させている。」
 「『ゲルニカ』はパリ万国博のスペイン館に展示された。それはピカソによる社会活動の金字塔となった。/この絵は平面的に描かれていて、映像的な悲惨さや残忍さを表現しているのではない。象徴性や寓意性で戦争とは何かを差し出している。さまざまな解釈がなされてきたのであるが、(略)解釈は鑑賞者に委ねられているといった方がよい。(略)『ゲルニカ』の全体的なイメージは、私には、行き場のない亡霊の徘徊のように見えたが、犠牲を無駄にすることなく新らしい世界へ踏み出そうとする意志も込められているのである。」
 まるで、読み手を実際の作品を観ているかのように誘っていく著者の「夜のカフェテラス」鑑賞は、そのまま、「ゴッホの絵に美の極致を見る人もいれば、理想郷をイメージする人やコスモロジーを感じる人もいる。鑑賞者それぞれの人生観、世界観、自然観との呼応からさまざまな耀きを見せてくれる」と述べていくことに繋がり、ゴッホ〈像〉を鮮烈に紡ぎだしていく。さらには、「ゲルニカ」への開かれた視線によって、「誰が見てもピカソとわかる作品の耀きは、耀きを失うことはない」として、「巨匠」であることの本質をピカソ〈像〉として提示していく。
 こうして、本書が、まぎれもなく、「巨匠」への鮮鋭なる「探究」の書であることを、わたしたちに示しているといっていい。

(図書新聞刊・16.4.30)

佐藤竜一 著『海が消えた 陸前高田と東日本大震災―宮沢賢治と大船渡線
(「図書新聞」16.5.7号)

 東日本大震災から五年が経った。五年という歳月は、多くの人にとって、重く感じられてきた時間のはずだと思いたい。だが、わたしもそうなのだが、被災地から遠く離れているものにとって、どうしても、崩壊した原発のある福島の方へ視線が行きがちになることを意識せざるをえない。ほんらいなら、宮城、岩手へと至る広範な太平洋沿岸の場所は、いまだ、「復興」という言葉から遠い状態にあることを、視線のなかに入れるべきなのだ。
「阪神大震災から五年経て、神戸周辺では仮設住宅がなくなった」にもかかわらず、著者の生まれ故郷・陸前高田をはじめ「東日本大震災の被災地では」、「仮設住宅がなくなるめどはたっていない」と著者は述べながら、次のように被災地の「現在」を記している。
 「元々過疎化が進行しており、産業基盤が弱く、交通の便が悪い地域で起きた東日本大震災は、阪神大震災と比べてより被害が深刻で、今後地域がどうなるのか、不透明である。(略)震災後、多くのジャーナリストが現地入りし、その被害のすさまじさを書き記した。それはそれで価値があったと思うが、次第にそうした報道熱は冷めていく。(略)大震災発生から五年を契機に被災地の報道はいっそう少なくなり、ついには忘れさられてゆくのではないか。私はそのことが恐いと、思った。/被災地に住む人々の生活はむしろ苦しくなるばかりで、むしろこれから様々な支援が必要になると考えるからだ。」
 時間の経過とともに、当事者以外の人たちの記憶というものは、希薄になっていくものだと、よくいわれることなのだが、だからといって、「現実」から目をそらしていいわけではない。被災地の人たちの日々は、わたしたちの日々と同じ時間が流れているという当たり前のことを忘れてはならないからだ。
 本書は、宮沢賢治学会イーハトーブセンター理事であり、多くの賢治に関する著書を持つ著者が、賢治と陸前高田を通る大船渡線(陸前高田まで開通したのは、賢治死後、数カ月経ってからだった)をめぐる論考(「第四章 宮沢賢治と大船渡線」)と故郷への痛切な思いを連結させながら震災以後を問う文章群によって構成されている。「外」からの視線ではなく、あくまでも、「内」からの視線だからこそ、見えてくるものがある。しかも、同じ岩手県内とはいえ長く一関に住む著者にとって、生まれ故郷とは、「内」でありながらも、「外」でもあるという微妙な距離間を潜在させているからこそ、郷愁感というものは、わたしたちの日常という物語にとって普遍性を持つものだということを示してくれている。
 本書の第二章「それぞれの大震災」では、中学の同級生で画家の鷺悦太郎や地元の醤油製造会社社長、ジャズ喫茶店主たちのことが語られ、第三章「死者を悼む」では、従兄たちや伯母、母のことを述懐していく。
 そして、第一章が、「高田松原と奇跡の一本松」と題して、震災後、奇跡的に唯一残った一本の松をめぐって述べながら、郷愁というものの象徴性を浮き彫りにしていく。「国の名勝、日本百景のひとつ、白砂青松の高田松原は」、「年間百万人の海水浴客でにぎわう、市民にとっては精神的支柱」であったという。それが、震災によって「壊滅的な打撃を受け」たのだ。
 「七万本の松が高田松原に植えられていたとされるが、唯一残ったのが奇跡の一本松である。高さは約二八・五メートル、直径は八七センチあり、震災後の調査により、樹齢が一七三年と確認された。江戸時代後期、天保年間に植えられたものと推定される。」「陸前高田市民の約一八〇〇人が死者・行方不明者になっている。大震災以前の陸前高田の人口は約二万四千人にすぎない。/その一割弱の人々が犠牲になったことになる。(略)生き残った人々の生活も平坦ではない。仮設住宅に暮らしている人々、仕事に就くことができずに苦しんでいる人々も多い。そうした人々にとって、奇跡の一本松は希望や勇気を与える象徴的な存在だった。」
 しかし、その一本松も、「根元まで来る海水の塩分で根腐れを起こし」、調査した結果、枯死と判断された。だが、「多くの人々の鎮魂・追悼のためのモニュメントとして」、保存されるのが決まり、いったん、伐採し薬剤処理などをして「再生した奇跡の一本松が依然同じ場所に姿を現」すことができたという。「復興」という言葉より、むしろ、「再生」ということの方が、被災地の人たちの明日への言葉として相応しいのではないかと、著者が語る一本松の物語は、伝えている。

(ハーベスト社刊・15.12.23)

久保昭男 著『物語る「棚田のむら」―中国山地「上山」の八〇〇年
(「図書新聞」16.4.2号)

 本書は、著者が生まれ育った「むら」をめぐって、横断する時間を視野に入れながら、風土と暮らしの風景を記述したものだ。場所は岡山県英田郡英田町上山(現在、美作市上山)。中山間地の百戸ほどの集落でありながら、大芦池という溜池の灌漑水によって、かつては棚田が広がっていたところだ。
 「一九八〇年代の初めのこと、二十年ぶりにこの地を踏んだわたしはがく然とした。谷川のほとりにあった水田が一か所、そしてまた一か所、葛と灌木におおわれ、山地との境も見分けられない。(略)棚田の風景に溶け込み、自然のひとコマとなって過ごした体験からすると、この変わりようは他人事とは思えなかった。(略)荒地と化した光景を前にして上山から遠去かっていた歳月がよみがえり、新たな想いが湧き上がった。――棚田はいつ拓かれたのか、むらはどのようにして出来たのか、と。」
 このように述べながら、「本にまとめようと思い立ってから十数年」経って、ようやく結実した本書には著者の渾身の想いが込められているのは、充分に理解できる。ただし、“渾身”と形容してみたが、全篇を通した印象は、情緒的な表現に陥らず、極めて俯瞰的に、しかも精緻に「上山の八〇〇年」を描出している。わたしが、あえて渾身といういい方を冠したのは、「思い入れのあまり実像を歪めること」のないように、「『棚田のむら』を対象化」しようとした著者の姿勢に共感したからなのだ。
 さらにいえば、著者にとっての個的あるいは私的な場所を採り上げていながら、「上山」という空間が、ある意味、普遍性を持って、「むら」という共同性を表象していることが、伝わってくるのだ。その中心が、「大芦池という溜池」の有様といっていい。田畑や人びとの暮らしにとって必要不可欠なものが、「水」であることは、誰もが知っていることだ。海や河川、湖の近接に暮らしているのなら、それほどの労力を必要とせずに、水利は可能となるが、「上山」のような中山間地は、そういうわけにはいかない。
 「大芦池はいつ、だれが造ったのかは分かっていない」としながらも、著者は「池造り神話」を渉猟しながら、「上山神社由緒書」を辿り、「大芦池の改修は、五世紀から九世紀のあいだ、何度か繰り返された」だろうと推論していく。そして、改修は戦後の五十七年まで断続的に続いてきたのだ。しかもその時は、村人たちの無償奉仕によってなされたという。これは、戦後期でありながら、貴重な共同体内における相互扶助の遺産だといっていい。
 「江戸時代の農地評価によると、(略)上山は『下田』にランクされている。(略)河川流域のような洪水や旱害におそわれることもないので、数百年もの長いあいだ水稲中心の農業を営んでくることができた。これは地形をいかした、溜池を中心とする灌漑システムに負うている。」
 河川の場合は、ある程度、自然に委ねることになるが、溜池は、そうはいかない。絶えず、人の手によって改修していかなければならないのだ。だから減反政策や人口減少、高齢化といったことによって、棚田を維持していくことが困難になっていくのは、避けようもないことだといえる。わたしは、昨今、よくいわれる限界集落といういい方に、反発を覚える。だからどうしたといいたいからだ。一見華やかな都市という相貌にだって、「限界性」ということが絶えず、胚胎していることを忘れてはならない。わたしたちが、人として生活していくということは、無意識のうちに限界性を超えていくことからしか、ありえないからだ。
 「二〇一〇年代を前にして、棚田再生の動きがもちあが」り、「大阪のグループが立ち上げた『英田上山棚田団』をはじめ多くの人が参加して、荒地と化した棚田の復旧にとりかか」ったそうだ。そして「野焼きを行って埋もれていた元のかたちをよみがえらせたとき、むらの人たちは二度と見ることがないと思っていた棚田の風景に息をのんだ」という。そして、そういう人たちが、あらたに「上山へ移住してきた」のは、限界というものをある意味、無化してくれたことになる。
 だが、なぜか、わたしは、「上山にはひとり暮しをする年寄が何人もいる。住み慣れた家で寝起きし、見慣れた風景と朝夕向きあうことに安らぎをおぼえるのか、足腰の立つうちはむらを出て子どもたちの世話になる人は少ない」という暮らしの風景の方に惹かれてしまうのだ。そこには、無意識の共同性(相互扶助性)へと向かう心性があるからだと思う。

(農山漁村文化協会刊・15.8.5)

柴橋伴夫 著『生の岸辺 伊福部昭の風景(パサージュ)
(「図書新聞」16.3.12号)

 伊福部昭(1914〜2006)は、映画『ゴジラ』シリーズの音楽を担当した作曲家として、その名が屹立している。だが、七十人を超える監督による三百強の映画作品に音楽を提供しているわけだから、『ゴジラ』に特化して映画音楽家とするのは、わたしなら、即座に留保したい(実は、『ゴジラ』シリーズを、わたしは一作も見ていない)。本書の著者も、「『ゴジラの作曲家伊福部昭』が、いつの間にか肥大化して、伊福部昭の普遍的な音世界を覆い隠してしまってはいないか」と述べているが、まったく、同感である。だからこそ、ここ数年の間に、本人の発言、文章も含め、様々な研究書が刊行され、現代音楽作曲家として、多くの優れた楽曲を生みだし、さらには、錚々たる音楽家を育ててきたことが、知られるようになったのは、伊福部昭の音楽世界に魅了されたものにとっては僥倖なことだといっていい。そして、いま、初めてといっていい本格的な伊福部昭の評伝として、本書が刊行されたことは、伊福部が放つ音楽世界と、その〈像〉が、さらなる深化をもって、わたしたちに提示されたことになったと断言しておきたい。
 著者が、渾身の思いで命名したと思われる書名に、本書におけるモチーフのすべてが凝縮されていると見做すことができる。
 「いのちを育んだ『生の岸辺』は、真に『地方的』な場であった。そしてそれぞれの地で土や森が生み出す土俗的な響きを体内に仕舞いこんだ。そこから伊福部昭は、『芸術が最後にインターナショナルになるためには、まず地方的でなければならない』ことを学びとった。」「伊福部昭の胎内に宿った宇部神社に臨在する祖霊は、見えない文化遺伝子となり、古代の音を聞く力を与え、さらに日本を超えてユーラシア全体を包括する『音の民俗誌』を訪ねるパワーを付与したに違いないと。」「神道にある『平等に基づいたアニミスティックな生命思想』、そして『私心のない清き心』、さらに『小異を受容する寛容さ』、それらはかけがえのないものとして、伊福部昭の体内にしっかりと植えられたわけだ。」
 北海道釧路で「生」受けた伊福部昭と、北海道岩内を生誕の場所とし、現在、札幌に住まう詩人で美術評論家の著者が、〈生の岸辺〉をめぐって往還する〈旅の記録〉として、音楽家の〈像〉を紡ぎだしていく。著者の〈旅〉は、当然のように、伊福部の未生以前の時空間から始まっていく。第一章は「因幡への旅」と題し、記紀神話に由来する武内宿禰命を祀り、「因幡国第一位の神格を持」ち、鳥取市国府町にある「代々伊福部家が一子相伝で宮司を務めた宇倍神社」のことが詳述される。
 「芸術が最後にインターナショナルになるためには、まず地方的でなければならない」ということは、地方的なるもの(語本来の意味での爛淵轡腑淵襪覆發劉瓠砲鯣露として、インターナショナルなものへと通底していくことを、示しているのだ。それは、下から上へと向かうベクトルといってもいいはずだ。明治近代過程において、それまで、ほとんど政治システムと無縁であった天皇家を担ぎ出し、万世一系を捏造し、神道を国家(天皇制)の中心に据えていった薩長政権が行った施政をわたしは、明治維新などといって称揚するつもりはない。神道が、明治近代天皇制を補強するためのものになったことで、「一子相伝」が否定され、伊福部家が宇倍神社から離れざるを得なくなったことからも、それは明らかだ。そのことを、著者は、「明治という国家が、強い権力(ヘゲモニー)を握り、宗教者に襲いかかった」と断じている。水平的な「アニミスティックな」神道から、統制され、上から下への国家神道へと変貌した時、日本という国家は、悲運な歴史を抱え込むことになったといえる。
 一九四〇年七月、十五年戦争の最中、虚構の天皇・神武の即位「紀元二六〇〇年」の奉祝行事が各地で行われた。札幌では、「大聖火祭」が挙行され、伊福部は、交響舞曲「越天楽」を作り、演奏を指揮した。明治近代天皇制によって、故郷から流離して、北海道へと、居住の場所を移した伊福部家、その三男の昭が「紀元二六〇〇年」の奉祝行事に関わるというアンビヴァレンス。
 一見すると、伊福部昭の音楽世界は、危うい場所を横断しているかのようだ。しかし、そうではないと思う。天皇神道とは異次元の遥か古層の時空間を掘り起こしていると、わたしならいいたくなる。著者の言を援用してみるならば、「〈響くもの〉に身を開き、感得した〈宇宙リズム〉〈リズムの根源性〉」を内在させながら、「『土俗的リズム』(律動)、『反復性』(身体性)、『荒ぶる魂』(精神)の三体」によって、伊福部昭の〈リゾーム〉をかたちづくっているからだ。代表曲「シンフォニア・タブカーラ」や初期作品でありながら、すでに鮮烈な音世界を表出している「日本狂詩曲」、「土俗的三連画」を聴いてみるならば、「まちがいなく伊福部昭の音は、原初の森から誕生したもの。国境もなく、帝国の強者も存在しない、民がそれぞれの楽器をもちより、大平原のど真ん中で祝祭を奏でる音楽だ」ということが、よくわかる。そのことが、深化した伊福部昭の〈像〉を、本書が提示している所以なのだ。

(藤田印刷エクセレントブックス刊・15.12.5)

徐京植 著『越境画廊―私の朝鮮美術巡礼
(「図書新聞」16.2.20号)

 本書にたいして思考を巡らしていた時、偶然、NHKEテレの番組「日曜美術館」を観た。採り上げられた画家の名は、イ・ジュンソプ。本書の著者が、解説者として出演していた。わたしは、番組を観ているうちに、数年前、ドキュメンタリー映画が作られ、その予告篇を観ていたことを思い出した。朝鮮戦争が生起しているさ中、日本人の妻と子供たちを、日本へ帰国させ、膨大な手紙を妻や子供たちに出し続けながらも、やがて孤独死に至る画家の名も作品世界も不明のまま、ようやく、その実相の断片を知ったことになる。しかし、番組のタイトル「分かたれた故郷 妻へ―画家イ・ジュンソプとマサコ」が示しているように、苦難のなかの夫婦愛を象徴するかのような物語の作られ方に、わたしは、気恥ずかしさのようなものを感じずにはいられなかった。著者は、わたしの勝手な思い込みかもしれないが、やや、静謐な憤怒のようなものを抑えながら、その作品世界を鮮鋭に解説してくれたように思えた。本書の中で著者は、イ・ジュンソプの悲痛な死を「植民地支配、民族分断、戦争の影が濃くさしている」ことを強調しながら、「日本人妻との別離も、そうした歴史を反映している」と明快に述べている。
 本書を貫く「越境」というモチーフは、「在日」という立場である著者だからこそのものといえるかもしれないが、むしろ自らの立場をも、昇華し相対化しようとする膂力のようなものを感受せざるをえない。
 「本書は時間的・空間的・文化的な境界線によって画然と概念づけられたある特定の民族による作品を陳列したものではない。むしろそうした境界線から逸脱し、あるいは排除されながらも、境界そのものを問題化し、それを超えようとするコンテクストにおいて生起する作品のギャラリーである。」「複雑多様な境界線によって互いに隔てられた者たちが、他者を発見し、自己を捉え直して、新しい生と共同性のありようを模索するための問いでもある。」
 このような思いで著された本書で、直接あるいは間接的に対話をし、中心的に論じていく美術家や芸術家たちは、シン・ギョンホ、ユン・ソンナム、ジョン・ヨンドゥ、シン・ユンボク、ミヒ=ナタリー・ルモワンヌ、イ・クェデの六人だ。それぞれに横断する時空間は、80年5月18日の「光州民主抗争」であり、天皇制権力のもと日本帝国軍隊が強制した「従軍慰安婦」という存在性であり、徴兵制のもとでの軍隊経験の劣悪さを、ある意味エネルギーに変えていくことを胚胎させている。さらに、シン・ユンボクは、朝鮮王朝の時代の画家であるが、時代を逸脱した表現者であった。朴正熙軍事政権時の日本企業との癒着によって、不幸な「生」を経て、やがて離散民として生きるしかなかったミヒ、朝鮮戦争によって「越北」したイ・クェデと、そこには、ロジカルな解析を霧散させる深さが潜在しているといっていい。かつては、半島を経由して様々な文化を受容してきたわが列島は、いつからか、半島より優位な立場にいると錯覚して今日に至っている。大陸から半島へ、そして列島とは、長い時間、深い地層のなかの水脈によって繋がってきたのだと、どうして、わたしたちは思えないのだろうか。
 わたしは、韓国美術、朝鮮美術というフィルターを通して見るのではなく、あくまでもひとつ作品として、本書に収載されている作品を目にして、鮮烈な表現性に、直截な共感を抑えることが出来なかった。シン・ギョンホの「光州から機廖1981)や「魂くらいはあって、なくて――招魂」(1980)、ユン・ソンナムの「李梅窓」(2003)、ジョン・ヨンドゥの「6ポイント」(2011)、イ・クェデの「二人肖像」(1393)や「青いトゥルマギを来た自画像」(1048-49)は、書かれた時の背景、時代情況をいったん思考の中から排除して向き合ったとしても、作品自体が放つ自己表出性の深遠さを感じないわけにはいかない。
 ミヒは、著者との対話で、「あなたにとって『理想のくに』とはどういうものですか?」という問いにたいして、次のように述べているのが印象的だ。
 「夢の国? それは所詮、夢であって存在しないと思います。ただ、あえて言うと、望ましいのは国境がないということ、自由に移り住めること、つまりそれは『国』ではなく『世界』ということになりますね。」
わたしたちは、爐い洵瓩魘時的に生きているかもしれないが、過去の何十年という時間的重層性やこれからの未知の時間も抱えながら、爐い涅澆覘瓩海箸鯔困譴討呂覆蕕覆い呂困澄そして、当然のことながら朝鮮半島の近現代史的時間というものは、日本国家による植民地支配を暴力的に推し進めた時間であったことを忘れてはならない。もちろん、いつまでも加害者―被害者といった関係性から、豊饒な未知は生まれないなどという人たちはいるだろう。だが、記憶というものは、忘れていいことと忘れてはいけないことがあるのだ。
 だからこそ、ミヒがいう「世界」とは、著者がいう「新しい生と共同性のありようを模索する」ことによって辿り着く関係性の有様ではないのか、わたしには思われる。半島と列島を繋ぐ水脈をわたしなりに、もう一度、模索することを、始めなければならないと考えている。

(論創社刊・15.10.20)


エレン・ウォール 著、穴水由紀子 訳
『世界の大河で何が起きているのか―河川の開発と分断がもたらす環境への影響
(「図書新聞」16.1.30号)

 川(河川)というものは、わたしたちの暮らしのなかに、当たり前のようにして、ひとつの風景となって在り続けている。ある時は、河岸に咲き誇る草花に癒されたり、川の流れに不思議な喚起力を感じながら、自然が持つ豊かさを見出したりする。さらには、これまで水資源として重要な役割を果たしてきたことや、舟の往来などに、想いを馳せることになる。
 人々が、川の周辺で暮らすようになるのは、ある意味、必然的なことだといえる。しかし、それは、同時に、川がもたらす自然力を損なわせていくことにもなっていく。いわば、アンビバレンツな関係が、人と川の間には横たわっているといっていい。
 河川研究者であり、コロラド州立大学地球科学部教授でもある著者が著わした本書は、2011年にアメリカで刊行されたものだ。各大陸を流れる世界の大河(アマゾン川、オビ川、ナイル川、ドナウ川、ガンジス川、ミシシッピ川、マレー・ダーリング川、コンゴ川、長江、マッケンジー川)を採り上げ、その時間的変遷、環境的な問題と、現在的な情況をふまえながら、未知への視線を孕ませながら論及した提言によって構成している。そして、それぞれの大河が抱え持つ難題は、けっして個別的なものではなく、わたしたちが、多様に生きていく未来社会への警鐘を含んでいることに、読後、深い感慨を、わたしは抱いたといっていい。
  「本書では、人間が川に押しつける変化がいかに川を劣化させ、ひいては、川を頼りに生きるあらゆる生物をいかに疲弊させうるかを探っていこうと思う。」「世界各地の河川がもたらす不可欠な恩恵(サービス)と資源を享受してきたにもかかわらず、人間の活動はおおかたの大河の流域を疲弊させてきた。」
 著者は、このような書き出しで本書を進めていく。そして、圧倒的な流域面積(世界第一位、長さはナイル川に次いで二位)を持つアマゾン川にたいしては、「人間によって流域のダイナミックスが変わりつつあることは残念とはいえ、(略)その程度が限定的であるという点で、特異な存在で」あり、「世界の大河の多くが、ダムが建設されたり、取水されたり、汚染されたりする前はどのように機能していたのかを垣間見せてくれる」と述べながらも、「しかし今や、この流域は歴史的臨界点に近づいている」と断言していく。もちろん、わたしたちは、「歴史的臨界点」というものを必然的なこととして受けとめていくのではなく、「川の生態系すべての運命が、人間の手のうちにある」ことを真摯に考えていくべきなのである。
 いわば、アマゾン川の現在性を起点としながら、例えば、オビ川やドナウ川の現況を見てみれば、その切実なることが理解できるといっていい。オビ川は、スターリン体制の負の遺産とでもいうべきものが、危機的な様態を引き寄せている。核開発による放射性物質の汚染、石油・天然ガス開発による汚染と、二重三重の人間的欲望によって、大河の「死」を招来させようとしている。
 ヨハン・シュトラウスの「美しき碧きドナウ」で知られているドナウ川は、流域が十八カ国に及んでいるため、政治的な体制によって、川への管理意識の差異が様々なかたちで表れてきたといえる。ダム建設、氾濫を防ぐという目的だけに建設されていく河岸工事、その結果としての最悪な状態から、それでも、「河畔一帯で複雑さと河畔生態系の持続可能性を失っていた過去から、未来に向かってまさに今、変わろうとしている」と述べていることに、一筋の通路を見出すことができるかもしれない。
 わたしたちにとって、揚子江と読んだ方が馴染み深いかもしれない長江は、いうなれば、オビ川の再現のような状態を呈している。改革開放といいながら、政治システムは共産党指導部による専制的支配があり、経済システムは資本制システムを援用しながらも、その実、統制経済であり、階級差の拡大は開く一方の中国(北京政府)は、巨大ダムの建設に邁進している。長江の命運は、オビ川以上の悲惨なかたちになることは、目に見えているはずだ。
 「地球とその生態系のすべてが、この地球(ほし)をめぐる一本の川を形作っている。物質とエネルギーは、地下水、海洋、氷河、湖沼、大気、そして生物の身体の間を絶えずめぐっているのだ。川はこれらの水域と水域を結びつけ、移動と交換のための通路を作る。川は大陸から海洋に向かって風化した岩石を絶え間なく運搬し、みずから地形を変えながら、その土地のなかの低い場所を占有し、流域で発生したあらゆるものをひとつにまとめている。」
 この一文の後に、著者は、「水の持つ根源的な力」と述べている。わたしは、「水」を「人」といいかえたい欲求を抑えることができない。そうすると、「一本の川」というものは、「人」と「人」が行き交う場所であり、関係性を有する空間といってもいい。大河を想像できない、わが列島の住民は、それでも、親近の漂う小さな川であっても、そこにわたしたちとおなじ息遣いの空間があることを想起していくべきだといいたいと思う。

(一灯舎刊・15.11.25)

谷山浩子 著『真夜中の図書館』
(「図書新聞」15.10.24号)

 わたしは、本書を読み終えたいま、著者が長年、シンガーソングライターとして活動を続けてきた源泉のようなものを知ったような気がする。かつて、「風になれ―みどりのために」や「MAY」の詞世界と歌声に接したものにとって、そこから表出されたものは、まぎれなく谷山浩子の世界であった。だから、本書もまた、全頁にわたって谷山浩子の世界がセンシブルに横断しているといいたくなる。
 著者は、「自分で自分の言ったことを茶化したくなる癖がある」としながら、次のように述べている。
 「この本のエッセイも、自分で読み返してみると、書いた人(つまり自分)がずいぶん立派な人のように見えて……もっと言うと偉そうに見えて、とても落ち着かない気持ちになります。」(「あとがき」)
 しかし、「まえがき」では、「取り上げた古今東西の名作を肴にして、それを読んだわたしがどんな人間で、世界をどうとらえているかを、くり返し語っている……のだと思います」と率直に述べてもいる。このように、「わたしがどんな人間で、世界をどうとらえているか」といいながら、「偉そうに見えて、とても落ち着かない気持ちにな」るとする、著者の自分にたいする視線の往還性に、わたしは、感嘆するとともに大いなる共感を抱くことになる。
 取り上げている作品は、童話、児童文学、ファンタジー小説、コンピューターゲーム、歌などともに、柳田國男、プーシキン、フロイト、宮崎駿(『千と千尋の神隠し』)、手塚治虫(『鉄腕アトム』)、小川洋子(『薬指の標本』)といったように、多彩に渡っている。白土三平やつげ義春から影響を受け続けてきたわたしにとって、手塚マンガにはほとんど魅せられたことがない。だが、本書で、「手塚治虫さんは『子どもたちに夢や希望を与えたい』とおっしゃていたそうですが、描かれた作品には手塚さんの心に宿る淋しさや世の中の理不尽に対する悲しみがくっきりと映し出されていました」と述べる著者の捉え方には納得する。あれほど多くの評価と支持を受けながらも、手塚は孤独な作家だったのではないかと、わたしもまた捉えている。
 『真夜中の図書館』と名付けられた本書が、小川未明からはじまっているのは、象徴的だ。「真夜中」という深淵なイメージこそ、未明にふさわしいと、わたしには思われるからだ。
幼い頃、著者が未明童話から受け取ったイメージが、「孤独」だったとして、そこから、「(略)わたしは自分の淋しさと人の淋しさをつなぎ、人の淋しさに共感することができるようになったと思います」(「月とあざらし(小川未明)」)と語る著者の感性は、鮮烈だ。「淋しさをつな」ぐ、「淋しさに共感する」ということは、「淋しさ」というものを孤立化へと押し込むのではなく、関係性のなかに置くことを意味する。そのような感性の方位へと、偉そうでもなく、立派でもなく、真摯な言葉として、著者が自然に紡いでいることに、わたしは、ただ、感受していくだけだ。
 「『本当に生きる』とはどういうことなのか、修飾する言葉が見つからないほどの圧倒的なイメージによって熱く語りかけてくるのが、賢治の童話や詩です。」(「土神ときつね(宮沢賢治)」)
 「生きるということは、すなわち『今』を生きること。/だから『今』を節約して『いつか』に備えようとしたら、その人はもう生きていないことになってしまうのです。」(「モモ(ミヒャエル・エンデ)」)
 もちろん、「今」を生きることの困難さは、誰にでもあることだ。だが、わたしたちは、避けようもなく、過去でもない未来でもない、「今」という場所に存在しているのだ。「『今』を、削らずにありったけ使い切ること。/『今』以外にわたしたちの生きる場所はないのだと、モモの物語は教えてくれています」と著者が語る時、「淋しさをつな」ぐ、「淋しさに共感する」という著者の感性を、わたし(たち)は、切実に受けとめるべきだと思う。
 「『春と修羅』を読み始めたとたんにわたしの中で音楽が鳴り始め、最後までそれが続きます」(「春と修羅(宮沢賢治)」)と著者は記している。わたしは、本書を読みすすめていくうちに、谷山浩子の「詩」の言葉と静謐な歌声が、頁のいたるところから確かに聞こえてきた。そして、その「声」は、様々な言葉をのせて、心地よく最後まで続いたといっておきたい。

(ヤマハミュージックメディア刊・15.8.20)

稲垣晴彦 著『夜霧のポロネーズ』
(「図書新聞」15.9.26号)

 現在、〈戦争〉という文字が、至るところで露出している。七〇年という年月が、節目やメモリアルなこととして発信され、〈敗戦〉ではなく、〈終戦〉記念日という言葉で粉飾して〈戦争〉という事実を希薄化していく。極めつけは首相談話だ。どんな内容になるのか、そんなにも重要なことなのかと思わずにはいられない。談話の中味より、敗戦後七〇年間、アジアの諸国に対して、国家や政府はもちろんのこと、わたしたちはどう向き合ってきたのかが、本来、問われるべきことなのではないか。
 日本国政府に比べて、ドイツ政府(旧西ドイツというべきかもしれない)は近隣のヨーロッパ諸国に対し、真摯に戦争後の諸課題に向き合ってきたといわれるが、アウシュヴィッツという場所が、ポーランドにあることを知っている人はどれだけいるだろうか。アウシュヴィッツとはドイツ語読みであり、ポーランド語読みではオシフィエンチムである。ポーランドは、ナチス政権の支配下地域だったから、強制収容所が出来たことになるのだ。
 わたしはかつて、アンジェ・ワイダ監督作品の『灰とダイヤモンド』(58年)や『地下水道』(57年)によって、ポーランドという国が抱えた悲痛な時間性を知り、国家やイデオロギーによって生起していく〈戦争〉による犯罪に憤怒したといっていい。
 物語は、1965年という時代のポーランドを舞台にして、日本人男性・二人(多田慎一、斎藤栄三)と二〇代のポーランド人女性(クリスチーナ・ルドニナ)を交錯させていきながら、オシフィエンチムが抱えてきた暗部を浮き彫りにしていく。
 多田は、「日々新聞」ワルシャワ特派員で二四歳。赴任して一年目であった。本社の編集局長から、友人の男をポーランド滞在予定の一週間の便宜を図るように頼まれる。その斎藤栄三という名の友人は、東西文化交流会常任理事の肩書を持つ五十代後半の男であった。多田には、ワルシャワ大学日本語学科・二年生のクリスチーナという恋人がいた。彼女は夏季休暇を利用して、オシフィエンチムで収容所のガイドの仕事をしている。
 多田と斎藤が会った最初の日の夕食時、レストランのステージから、「現代風にアレンジしたポロネーズの前奏」が流れて、歌手が、「優しい微笑をたたえて歌い始め」る。「歌はビブラートに乗って、人々の波間に漂」い、「単純な甘いメロディー」であった。
 「それまで客席を覆っていたざわめきの波はいつしか消え、淡いグリーンに照明されたレストランは深海の底のようにシーンと静まりかえってゆく。ピアノによるポロネーズの独奏が響いてから再び歌へと受け継がれ、一転して寂しいメロディーになった。(略)人々は暗示にかけられたように手を休め、ある者はナプキンで目頭を押さえ、また、ある者はじいっと瞑想している。そんな中、斎藤だけは別であった。」
 やがて、斎藤は、曲名を聞く。多田は、「夜霧のポロネーズ」と答え、「悲しい歌です。この春の『ワルシャワ大学祭』の音楽コンテスト」で最優秀賞に選ばれたが「作者は匿名」だったと述べる。この「夜霧のポロネーズ」をめぐって、ミステリアスな展開をしながら、三人を暗渠のような「1942年8月25日」という場所へと誘いこんでいく。
 物語が悲しい終局をむかえる前、オシフィエンチムの博物館での、二人のやり取りは、〈戦争〉という支配と統治のための蛮行がいかに人間の心奥までも引き裂いてしまうのかを暗喩していく。見学に来ている小学生達を見て、「あんな小さな子供に、大人でも気持ち悪くなるものを見せて、いいのかな」と多田は、クリスチーナに向けて疑問を口にする。それに対して、「小さい頃から、ナチス・ドイツの恐ろしさを教え込むのよ」といい、それは、「ドイツ人への憎しみを忘れないため」であり、「国の安全、いえ、私達個人の身の安全のため」だと激しく彼女は応答していく。多田は、「小さい子供の頃から、ドイツ人への憎しみ教育を繰り返してゆくと、憎しみはますますひどくなって、永久にこの国を包みこんでしまう。それでは、隣人のドイツ人と永遠にいがみ合うことしかできないじゃないか」と優しく述べていくが、その溝は簡単には、埋まらないほど、クリスチーナには、憎悪の発火点となるべき悲痛な出自の由来があったのだ。
 「夜霧のポロネーズ」の謎が解明された時、多田にとって悲しい現実が突き付けられた後だった(本書を手にとる人たちのために詳細は敢えて触れないでおく)。ナチスの暴挙に苦悩の時間を抱えてきたポーランドで日本人男性が絡む恋愛劇として描かれる本書は、74年に私家版として出されたものの新版であるが、色褪せることなく、鮮烈で深い印象を刻みつける物語である。

(文芸社刊・15.9.15)

田村公人 著『都市の舞台俳優たち
 アーバニズムの下位文化理論の検証に向かって
(「図書新聞」15.9.12号)

 本書は、〈舞台俳優〉たちの実相をあたかもフィールドワーク(エスノグラフィックな調査と著者はいう。直訳すれば、民族誌的な調査をさすが、民俗学的なるものと民族誌的なるものは、明快に違うという観点に立てば、フィールドワークという捉え方は、著者にとって疑義を挟みたいところかもしれない)するかのように解析し、十五年に及ぶ調査研究成果をテクストにしたうえで、都市における社会的・共同体的構造を切開していくためのシステム理論(ここでは、シカゴ学派都市社会学のクロード・S・フィッシャーによる下位文化理論ということになる)を再検証していく意欲的試みである。
 アーバンが都市的、都会的な意味としてあるならば、アーバニズムとは、都市や都会を指向するといった意味に考えていいはずだ。そして、都市に内在する問題というものを、様々なアプローチから解析しうることは、理解できるとしても、〈舞台俳優〉をモチーフにしたことの意外性をまずここでは、強調しておく必要があるかもしれない。これは、〈舞台俳優〉という有様を、著者が下位文化の象徴として見做していることを意味している。下位文化とは聞きなれない概念だが、サブ・カルチャーと同義として捉えるならば、わかりやすいと思う。小劇場公演を年数回行う演劇集団に所属する俳優たちが、本書における調査研究対象ということになる。
 フィッシャーが説く下位文化理論というものを著者は、次のように述べていく。
 「フィッシャーは、都市が村落と比較して複雑に『構造的に分化』しているという事実は、既に都市において多様な下位文化が生まれている事実の証明だと主張する。(略)多様かつ独自の下位文化の数が増えれば、その分だけ一般的な規範から逸脱した行動の数が増える。(略)村落では孤独を余儀なくされる『逸脱者』が自らと類似した『仲間』を見つけ、独自の下位文化を発達させることが可能となる。(略)以上が、下位文化理論の基本命題(略)の説明内容の簡単な要約である。」
 これに対して、著者は、小劇団の俳優たちの現状(劇団を維持するための、あるいは公演の赤字を最小限に抑えるためのチケット販売というノルマや、舞台俳優を続けていくためのアルバイト活動、親許での生活を余儀なくされることなど)を細やかに分析し、下位文化の発達が都市のネットワークにおける新たな力動性を生成することになるということへの、疑義の視線を拡張している。
 「少なくとも、三十歳を超えて現役を続けてきた上記の俳優たちの顛末は、冒頭で言及した『三十歳限界説』という通説を大きく覆らせるまでの結果を示していない。誤差の範囲内に止まるとした方が、この場合には正確とさえ言えるのかもしれない。この種の事実は、都市が『非通念性』を生み出すと主張するアーバニズムの理論的効果の盲点を的確に突いている。」
 そして、「『下位文化』の『強化』が他の世界との『衝突』を通して達成されるという『理論』の提唱者の仮説」に対して「修正の余地を残す点を否定」できないと論断していく。
 そもそも、「下位文化」という概念が、わたしには、どうしても率直に了解できないものがある。かりに、サブ・カルチャーと拡張して捉えてみたとしても、フィッシャーの言説を了とできるわけではない。これは、北米やヨーロッパの都市の形成過程と日本やアジアにおける成り立ちを考えてみれば、大きな差異があるからだといっていい。日本の場合、必ずしも、都市的なものと村落的なものが差異化できるほど共同性の基層が明確化されているわけではないからだ。著者は、フィッシャー理論の中で、「人口量が多い場所(=都市)ほど」、「何らかの文化的選好を持つ個人が利害や関心を共有し、互に支持を与え合う『仲間』を見つけ出す上で」、「有利になると論じる」と述べていて、一定の評価を与えている。確かに、そういう側面もあると思うが、孤立してしまうことと関係をうまく結んでいくこととは、パラレルなものが絶えずあるような気がする。ノルマ達成のためのチケット販売の例示の中で、東京出身者と地方出身者では、繋がっている関係性の多寡に違いが出てきて、結局、自己負担する場合があることを示されている。
 日本でもかつては高度資本主義社会とか高度消費社会といわれた時期があった。サブ・カルチャーが、大量消費されて、わが世の春を謳歌していた頃だといい換えてもいい。しかし、それは、幻想の資本制社会の最後の姿だったといえなくもない。わたしの現在の感慨は、都市というものは孤独者たちの共同体であるといいたい気がする。

(ハーベスト社・15.5.28刊)

川口祐二 著『明平さんの首――出会いの風景
(「図書新聞」15.6.27号)

 著者は、巻末に付された履歴によれば、「70年代初め、いち早く、漁村から合成洗剤をなくすことを提唱。そのさきがけとなって実践運動を展開」し、「日本の漁村を歩き、特に女性の戦前、戦中の暮らしを記録する仕事を続けて」きたという。『島へ、岸辺へ』、『漁村異聞』、『光る海、渚の暮らし』、『潮風の道』、『女たちの海』(いずれもドメス出版刊)といった著書を並べてみただけで、著者の仕事の大きさを窺い知ることができるような気がする。
 本書の「あとがき」には、次のように記されている。
 「八〇歳を過ぎて、死に急ぐわけではないが、身辺整理をしなければという気持ちになった。今回のエッセイ集は、そんなことから編んだもの。今まであちこちに書いた小文の中で、これだけは残しておきたいと思うものを選んで一冊とした。」
 そして、作家・杉浦明平(1913〜2001)との交流について書かれた文章、三篇をその中心に据え、漁村をめぐる文章群が包みこむようなかたちで本書は構成されている。書名の「明平さんの首」とは、杉浦明平のために、生前、彫刻家・岩田実が作ったブロンズ像のことを指している。それにしてもと思う。そのブロンズ像の写真を表紙カバーに配置された本書を見て、わたしは、懐かしい名前に直ぐに惹きつけられてしまったといっていい。けっして、熱心な読者ではなかったが、わたしがかつて渉猟してきた書物の周辺、特に高橋和巳をめぐって、度々、その名前が現出してくる存在だったからだ。
 書名と同じ表題の「明平さんの首」という文章は、95年6月9日、「渥美半島の漁港、福江の町の古くからある旅館」で行われた杉浦明平の誕生会のことが活写される。前月に六〇年かけて完成させた大著『ミケランジェロの手紙』(翻訳版)の出版記念会も兼ねることになる。「集まる者は三〇人あまりで、中には名古屋から駆けつけた人も何人かいる。西からは私が一人、大半は地元の人たち」で、「明平さんの人柄に引きつけられて集まってくる」のだという。この会の時に「座敷の床の間に」飾られている「明平さんのブロンズ像」を著者たちは初めて見ることになる。
 「すばらしい首である。右横向きの顔に品格がただよっている。眼が鋭いと思った。」
 やがて、会の翌日、この「首」を著者たちが、明平さんの自宅へ運ぶことになる。旅館の二階から重い「首」を運び出す様子は、ブロンズ像であるにもかかわらず敬慕の念が滲み出ているように描出されていく。
 漁村にまつわる文章群は、どれも、著者の「海」への愛惜感が溢れていて沁みてくる。幾つかの言葉たちを引いてみたい。
 「海は漁業者の場とだけしか考えがちだが、決してそうではなく、『里海』としての視点が必要な時代になってきている。」「『海は人間の多様な営みを映す』といわれる。人間の暮らしを映す鏡である。海という鏡を照らすも曇らすも人間次第。『里海』として、すべての人びとが関わっていく、そのようなグローバルな視点が、今求められている。」「マダイはおいしいといわれますが、何はともあれ、母なる海が汚れていてはいけない、ということに尽きます。刺身として食べるということからも、海の水がきれいというのが基本です。漁場の安全が消費者の安心につながるのです。環境が資源だ、ということです。」「いずれにしてもおいしいスジアオノリが育つためには、清冽な流れが基本です。清冽な川の流れというのは、なんの抵抗もなく素足で入れる川、といえばよいでしょう。そのような川はそこに住む人が力を合わせて守っていく、環境づくりのための住民意識が、今求められています。」
 これらの言葉を放つ著者の視線は、普通に生きて暮らす地平からのものだ。声高になにかを主張するのではなく、自然なる声で発しているから、わたしには、名伏しがたい感動を喚起するのだ。「里海」といわれ、そうだ、そういう捉え方があっていいのだと思うし、「母なる海」といういい方もそうだ。そして、「刺身として食べる」というのは、「海の水がきれい」でなければならないという当たり前のことに思い至る。「なんの抵抗もなく素足で入れる」、「清冽な川」といういい方には、わたしたちの生きて在ることの根源を指し示していくかのようだ。3.11以後の現在にあって、その当たり前、普通であるべきことが、揺らいでいることに、わたしたちは、もう一度、考えていくべきだと思う。本書を読み終えて、あらためて考えたことだ。

(ドメス出版・発売 15.1.24)


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