どうにか、Yogaを始めてから九カ月目に入ったことになる。週一回とはいえ、定期的に何かをやるなんていうことを、これまで、いっさいしてこなかったわたしにとって、驚嘆すべきことだと自賛したいところだが、内実は、そんないい方が当てはまるような、凄いことではない。なんとなく、自分のカラダ(あるいはアタマ)のことが、気になり始め、妻に誘われるまま、一人でやるより、二人の方が通いやすいと、たんに考えて始めたに過ぎないからだ。ただ、始めて思ったのは、Yogaに対する偏見のようなものが、払拭されたことは確かだ。講師の方の考えかたや人柄によるのかもしれないが、シンプルにカラダを動かして、自分自身をラクにしていくといったことは、楽しいことだとは思っているつもりだ。
 だが、そういう気分や思いはいいとしても、肝心のカラダの方が、キツクなってきたから、思い悩んでいるのだ。きつかったらやめればいいじゃないかといわれそうだが、そういうわけにはいかないのだ。大昔(笑)のことになるが、中学に入学して、なぜか、柔道部に入ったことがある。多少、自信がないわけではなかった(一応、柔道の基本的なことは、父の仕事の関係で、習得していたつもりだった)から、まったく、“乱取り”をすることもなく、延々、体育館内を何週も“うさぎ跳び”をやらせられるのに参ってしまい、確か、三日ぐらいで退部したのだ。その時のことが、大げさにいえばトラウマとしてあって、始めた以上、カラダを動かすことにかんして、途中でやめることをしたくないのだ。ほんとうは、きつくなってきたり、嫌になったら、やめてもいいんだくらいの気楽な気持ちで続けた方がいいのだろうが、どうも、そういう器用なことができないから、こうして、ダラダラと記していることになる。
 確かに、この年齢でしかも、生来、カラダを動かすのが苦手なものにとって、Yogaのポーズのなかには、かなり、アクロバティックなものもあり、それはそれで、講師の方のポーズどおりなんて、やれっこないから、いい意味での手抜きはさせてもらっている。たぶん、呼吸の仕方が、カラダの動きと連動していないからではないかと思う。講師の方の吸う、吐くという「声がけ」に、なかなか合わせられないのだ。ほとんど、逆のことをしている場合が多いことに気がつく。
 しかし、こうなると、〈遊ぶ〉どころではない。〈真面目に〉実践しなければ、キツサが、やがてイタミとなって、なんのためのYogaか分からなくなってくるかもしれない。
 やれ、やれ、暗澹たるキモチになってきた(笑)。

 表題を「Yogaを始める」から、「Yogaに遊ぶ」に変え、不定期間隔で気楽に記していこうと思ったのだが、二カ月も間隔が空いてしまうとは、我ながら思ってなかったといっていい。しかも、今週は、三週間ぶりのYoga教室ということになってしまったのだ。先週は、もともと休講で、その一週前は用事があり休んだからだ。さらに、その一週前のYoga教室があった日には、トラブルがあり(その後、どうにか対処して問題はなくなったが)、いってみれば、この三週間は、不思議な感覚で今週のYoga教室を迎えたことになる。だから、心的にも、身体的にも、久しぶりのハードな(というと、講師の方には申し訳ないけれど)Yogaに堪えられるだろうかと思ったのだが、行ってみると、なにか懐かしい場所へ着いたような思いが湧きあがってきたから驚いたといえる。わたしたちと比較的よく会話する女性がいて、その方は、四週間ぶりだといって、隣に並びながらやったことも、良かったのかもしれない。正直にいえば、身体はきつかったが、なんとなく充足感のようなものを感じることができた。しばらく休んでいた人たちも何人か、また再開して参加したようで、二十一名という人数だったが、いつもなら、息苦しさを感じたものだったが、心地よい賑わいと受けとめられた。
 こうして、いかにもYogaに慣れ親しんできたような記述になってしまったが、肝心の身体の動きは、けっして、スムーズにいっているわけではない。まあ、講師の方が、いつもいわれるように、他の人と競うあうことなく、自分のペースでやればいいということなのかもしれない。

谷山浩子 著『真夜中の図書館』
(「図書新聞」15.10.24号)

 わたしは、本書を読み終えたいま、著者が長年、シンガーソングライターとして活動を続けてきた源泉のようなものを知ったような気がする。かつて、「風になれ―みどりのために」や「MAY」の詞世界と歌声に接したものにとって、そこから表出されたものは、まぎれなく谷山浩子の世界であった。だから、本書もまた、全頁にわたって谷山浩子の世界がセンシブルに横断しているといいたくなる。
 著者は、「自分で自分の言ったことを茶化したくなる癖がある」としながら、次のように述べている。
 「この本のエッセイも、自分で読み返してみると、書いた人(つまり自分)がずいぶん立派な人のように見えて……もっと言うと偉そうに見えて、とても落ち着かない気持ちになります。」(「あとがき」)
 しかし、「まえがき」では、「取り上げた古今東西の名作を肴にして、それを読んだわたしがどんな人間で、世界をどうとらえているかを、くり返し語っている……のだと思います」と率直に述べてもいる。このように、「わたしがどんな人間で、世界をどうとらえているか」といいながら、「偉そうに見えて、とても落ち着かない気持ちにな」るとする、著者の自分にたいする視線の往還性に、わたしは、感嘆するとともに大いなる共感を抱くことになる。
 取り上げている作品は、童話、児童文学、ファンタジー小説、コンピューターゲーム、歌などともに、柳田國男、プーシキン、フロイト、宮崎駿(『千と千尋の神隠し』)、手塚治虫(『鉄腕アトム』)、小川洋子(『薬指の標本』)といったように、多彩に渡っている。白土三平やつげ義春から影響を受け続けてきたわたしにとって、手塚マンガにはほとんど魅せられたことがない。だが、本書で、「手塚治虫さんは『子どもたちに夢や希望を与えたい』とおっしゃていたそうですが、描かれた作品には手塚さんの心に宿る淋しさや世の中の理不尽に対する悲しみがくっきりと映し出されていました」と述べる著者の捉え方には納得する。あれほど多くの評価と支持を受けながらも、手塚は孤独な作家だったのではないかと、わたしもまた捉えている。
 『真夜中の図書館』と名付けられた本書が、小川未明からはじまっているのは、象徴的だ。「真夜中」という深淵なイメージこそ、未明にふさわしいと、わたしには思われるからだ。
幼い頃、著者が未明童話から受け取ったイメージが、「孤独」だったとして、そこから、「(略)わたしは自分の淋しさと人の淋しさをつなぎ、人の淋しさに共感することができるようになったと思います」(「月とあざらし(小川未明)」)と語る著者の感性は、鮮烈だ。「淋しさをつな」ぐ、「淋しさに共感する」ということは、「淋しさ」というものを孤立化へと押し込むのではなく、関係性のなかに置くことを意味する。そのような感性の方位へと、偉そうでもなく、立派でもなく、真摯な言葉として、著者が自然に紡いでいることに、わたしは、ただ、感受していくだけだ。
 「『本当に生きる』とはどういうことなのか、修飾する言葉が見つからないほどの圧倒的なイメージによって熱く語りかけてくるのが、賢治の童話や詩です。」(「土神ときつね(宮沢賢治)」)
 「生きるということは、すなわち『今』を生きること。/だから『今』を節約して『いつか』に備えようとしたら、その人はもう生きていないことになってしまうのです。」(「モモ(ミヒャエル・エンデ)」)
 もちろん、「今」を生きることの困難さは、誰にでもあることだ。だが、わたしたちは、避けようもなく、過去でもない未来でもない、「今」という場所に存在しているのだ。「『今』を、削らずにありったけ使い切ること。/『今』以外にわたしたちの生きる場所はないのだと、モモの物語は教えてくれています」と著者が語る時、「淋しさをつな」ぐ、「淋しさに共感する」という著者の感性を、わたし(たち)は、切実に受けとめるべきだと思う。
 「『春と修羅』を読み始めたとたんにわたしの中で音楽が鳴り始め、最後までそれが続きます」(「春と修羅(宮沢賢治)」)と著者は記している。わたしは、本書を読みすすめていくうちに、谷山浩子の「詩」の言葉と静謐な歌声が、頁のいたるところから確かに聞こえてきた。そして、その「声」は、様々な言葉をのせて、心地よく最後まで続いたといっておきたい。

(ヤマハミュージックメディア刊・15.8.20)

稲垣晴彦 著『夜霧のポロネーズ』
(「図書新聞」15.9.26号)

 現在、〈戦争〉という文字が、至るところで露出している。七〇年という年月が、節目やメモリアルなこととして発信され、〈敗戦〉ではなく、〈終戦〉記念日という言葉で粉飾して〈戦争〉という事実を希薄化していく。極めつけは首相談話だ。どんな内容になるのか、そんなにも重要なことなのかと思わずにはいられない。談話の中味より、敗戦後七〇年間、アジアの諸国に対して、国家や政府はもちろんのこと、わたしたちはどう向き合ってきたのかが、本来、問われるべきことなのではないか。
 日本国政府に比べて、ドイツ政府(旧西ドイツというべきかもしれない)は近隣のヨーロッパ諸国に対し、真摯に戦争後の諸課題に向き合ってきたといわれるが、アウシュヴィッツという場所が、ポーランドにあることを知っている人はどれだけいるだろうか。アウシュヴィッツとはドイツ語読みであり、ポーランド語読みではオシフィエンチムである。ポーランドは、ナチス政権の支配下地域だったから、強制収容所が出来たことになるのだ。
 わたしはかつて、アンジェ・ワイダ監督作品の『灰とダイヤモンド』(58年)や『地下水道』(57年)によって、ポーランドという国が抱えた悲痛な時間性を知り、国家やイデオロギーによって生起していく〈戦争〉による犯罪に憤怒したといっていい。
 物語は、1965年という時代のポーランドを舞台にして、日本人男性・二人(多田慎一、斎藤栄三)と二〇代のポーランド人女性(クリスチーナ・ルドニナ)を交錯させていきながら、オシフィエンチムが抱えてきた暗部を浮き彫りにしていく。
 多田は、「日々新聞」ワルシャワ特派員で二四歳。赴任して一年目であった。本社の編集局長から、友人の男をポーランド滞在予定の一週間の便宜を図るように頼まれる。その斎藤栄三という名の友人は、東西文化交流会常任理事の肩書を持つ五十代後半の男であった。多田には、ワルシャワ大学日本語学科・二年生のクリスチーナという恋人がいた。彼女は夏季休暇を利用して、オシフィエンチムで収容所のガイドの仕事をしている。
 多田と斎藤が会った最初の日の夕食時、レストランのステージから、「現代風にアレンジしたポロネーズの前奏」が流れて、歌手が、「優しい微笑をたたえて歌い始め」る。「歌はビブラートに乗って、人々の波間に漂」い、「単純な甘いメロディー」であった。
 「それまで客席を覆っていたざわめきの波はいつしか消え、淡いグリーンに照明されたレストランは深海の底のようにシーンと静まりかえってゆく。ピアノによるポロネーズの独奏が響いてから再び歌へと受け継がれ、一転して寂しいメロディーになった。(略)人々は暗示にかけられたように手を休め、ある者はナプキンで目頭を押さえ、また、ある者はじいっと瞑想している。そんな中、斎藤だけは別であった。」
 やがて、斎藤は、曲名を聞く。多田は、「夜霧のポロネーズ」と答え、「悲しい歌です。この春の『ワルシャワ大学祭』の音楽コンテスト」で最優秀賞に選ばれたが「作者は匿名」だったと述べる。この「夜霧のポロネーズ」をめぐって、ミステリアスな展開をしながら、三人を暗渠のような「1942年8月25日」という場所へと誘いこんでいく。
 物語が悲しい終局をむかえる前、オシフィエンチムの博物館での、二人のやり取りは、〈戦争〉という支配と統治のための蛮行がいかに人間の心奥までも引き裂いてしまうのかを暗喩していく。見学に来ている小学生達を見て、「あんな小さな子供に、大人でも気持ち悪くなるものを見せて、いいのかな」と多田は、クリスチーナに向けて疑問を口にする。それに対して、「小さい頃から、ナチス・ドイツの恐ろしさを教え込むのよ」といい、それは、「ドイツ人への憎しみを忘れないため」であり、「国の安全、いえ、私達個人の身の安全のため」だと激しく彼女は応答していく。多田は、「小さい子供の頃から、ドイツ人への憎しみ教育を繰り返してゆくと、憎しみはますますひどくなって、永久にこの国を包みこんでしまう。それでは、隣人のドイツ人と永遠にいがみ合うことしかできないじゃないか」と優しく述べていくが、その溝は簡単には、埋まらないほど、クリスチーナには、憎悪の発火点となるべき悲痛な出自の由来があったのだ。
 「夜霧のポロネーズ」の謎が解明された時、多田にとって悲しい現実が突き付けられた後だった(本書を手にとる人たちのために詳細は敢えて触れないでおく)。ナチスの暴挙に苦悩の時間を抱えてきたポーランドで日本人男性が絡む恋愛劇として描かれる本書は、74年に私家版として出されたものの新版であるが、色褪せることなく、鮮烈で深い印象を刻みつける物語である。

(文芸社刊・15.9.15)

田村公人 著『都市の舞台俳優たち
 アーバニズムの下位文化理論の検証に向かって
(「図書新聞」15.9.12号)

 本書は、〈舞台俳優〉たちの実相をあたかもフィールドワーク(エスノグラフィックな調査と著者はいう。直訳すれば、民族誌的な調査をさすが、民俗学的なるものと民族誌的なるものは、明快に違うという観点に立てば、フィールドワークという捉え方は、著者にとって疑義を挟みたいところかもしれない)するかのように解析し、十五年に及ぶ調査研究成果をテクストにしたうえで、都市における社会的・共同体的構造を切開していくためのシステム理論(ここでは、シカゴ学派都市社会学のクロード・S・フィッシャーによる下位文化理論ということになる)を再検証していく意欲的試みである。
 アーバンが都市的、都会的な意味としてあるならば、アーバニズムとは、都市や都会を指向するといった意味に考えていいはずだ。そして、都市に内在する問題というものを、様々なアプローチから解析しうることは、理解できるとしても、〈舞台俳優〉をモチーフにしたことの意外性をまずここでは、強調しておく必要があるかもしれない。これは、〈舞台俳優〉という有様を、著者が下位文化の象徴として見做していることを意味している。下位文化とは聞きなれない概念だが、サブ・カルチャーと同義として捉えるならば、わかりやすいと思う。小劇場公演を年数回行う演劇集団に所属する俳優たちが、本書における調査研究対象ということになる。
 フィッシャーが説く下位文化理論というものを著者は、次のように述べていく。
 「フィッシャーは、都市が村落と比較して複雑に『構造的に分化』しているという事実は、既に都市において多様な下位文化が生まれている事実の証明だと主張する。(略)多様かつ独自の下位文化の数が増えれば、その分だけ一般的な規範から逸脱した行動の数が増える。(略)村落では孤独を余儀なくされる『逸脱者』が自らと類似した『仲間』を見つけ、独自の下位文化を発達させることが可能となる。(略)以上が、下位文化理論の基本命題(略)の説明内容の簡単な要約である。」
 これに対して、著者は、小劇団の俳優たちの現状(劇団を維持するための、あるいは公演の赤字を最小限に抑えるためのチケット販売というノルマや、舞台俳優を続けていくためのアルバイト活動、親許での生活を余儀なくされることなど)を細やかに分析し、下位文化の発達が都市のネットワークにおける新たな力動性を生成することになるということへの、疑義の視線を拡張している。
 「少なくとも、三十歳を超えて現役を続けてきた上記の俳優たちの顛末は、冒頭で言及した『三十歳限界説』という通説を大きく覆らせるまでの結果を示していない。誤差の範囲内に止まるとした方が、この場合には正確とさえ言えるのかもしれない。この種の事実は、都市が『非通念性』を生み出すと主張するアーバニズムの理論的効果の盲点を的確に突いている。」
 そして、「『下位文化』の『強化』が他の世界との『衝突』を通して達成されるという『理論』の提唱者の仮説」に対して「修正の余地を残す点を否定」できないと論断していく。
 そもそも、「下位文化」という概念が、わたしには、どうしても率直に了解できないものがある。かりに、サブ・カルチャーと拡張して捉えてみたとしても、フィッシャーの言説を了とできるわけではない。これは、北米やヨーロッパの都市の形成過程と日本やアジアにおける成り立ちを考えてみれば、大きな差異があるからだといっていい。日本の場合、必ずしも、都市的なものと村落的なものが差異化できるほど共同性の基層が明確化されているわけではないからだ。著者は、フィッシャー理論の中で、「人口量が多い場所(=都市)ほど」、「何らかの文化的選好を持つ個人が利害や関心を共有し、互に支持を与え合う『仲間』を見つけ出す上で」、「有利になると論じる」と述べていて、一定の評価を与えている。確かに、そういう側面もあると思うが、孤立してしまうことと関係をうまく結んでいくこととは、パラレルなものが絶えずあるような気がする。ノルマ達成のためのチケット販売の例示の中で、東京出身者と地方出身者では、繋がっている関係性の多寡に違いが出てきて、結局、自己負担する場合があることを示されている。
 日本でもかつては高度資本主義社会とか高度消費社会といわれた時期があった。サブ・カルチャーが、大量消費されて、わが世の春を謳歌していた頃だといい換えてもいい。しかし、それは、幻想の資本制社会の最後の姿だったといえなくもない。わたしの現在の感慨は、都市というものは孤独者たちの共同体であるといいたい気がする。

(ハーベスト社・15.5.28刊)

 八月に入った途端、参加者が大分、減ってしまった。最初の週は十数名だったと思うが、次の週は僅か八名、さらに次の週は七名だった。子どもや夫が夏休みに入ったからだろうか。わたしたち夫婦を入れて、やや年長グループ四、五人は皆勤だから、そういうことなのだろう。講師の方は、毎年のことと了解しているようで、当然のように、いつもと変わらず、アグレッシヴに指導してくれる。それが、うれしいようでもあり、やや負担に感じてしまうから、贅沢な悩みというべきかもしれない。
 ところが、八月の最終週を妻の緊急の用事のため、休むことになってしまった。わたしだけでも参加できないことはないのだが、もとより一人で参加するつもりは、まったくなく、四月から始めて、ついに、二人とも初めての不参加となった。単純に計算して、七名から二名を引けば、五名となり、講師の方に申し訳ない気持ちを抱いたことは確かだったのだが、今月の第一週に参加し、確認してみたら、二桁の参加者だったから、もっと気楽に考えてもよかったのだ。
 これは、わたしの悪い性分で、何人か参集して定期的に何がしかのことをやる時、自分の都合で休むことがなかなか出来ないことに、由来する。いったん関わったことに対し、自分の都合よりも関係性を優先してしまうということでもある。そう記してしまうと、なにやら気の弱い、長いものには巻かれてしまう資質のように思われかねないが、そうではない。わたしは、もともと、共同的に何かをやるということに対し、抵抗感を持っていったから、極力一人でやることに拘泥してきたといっていい。共同性のなかに自分が身を置くと決めた時、まずその共同性のことを先に考えていくことにしている。Yoga教室で、最後に率先してマットを運び、収納場所に置く作業をしているのは、わたしが、Yoga教室における共同性への関わり方を示しているに過ぎない。関わることが嫌になったら、教室を辞めればいただけのことなのだから。
 ところで、今週は、これまで休んでいた人たちが復活(!)して、十六、七名ぐらいに増えた。スペースの関係で、二十名近いと、やや窮屈な感じになってしまうのだが、それでも、少ないよりは、多い方が、やはり気分は高揚する感じでいい。敢えて飛躍したいい方をすれば、〈デモ〉も、少ないよりは、多い方がいいに決まっているからだ。
 しかし、こんな感じで参加しているようでは、Yogaに遊ぶといった心境になるのは、まだまだ、先のことになりそうだ。

 Yogaを始めて、今日で、丁度、三ヶ月経ち、十二回目ということになる。頓挫せず継続することを、自分自身に課してみようという思いで、「Yogaを始める」と題した文章を綴ってみたのだが、なんとか、十回続けたところで、息切れしてしまった。二週間のインターバルを置いて、上記表題で、しかも不定期で、ダラダラと記してみようと思い至ったことになる。それでも、たぶん気の利いたことは書けないと思う。とりあえず、アタマで書くのではなく、カラダで、テで、素直に書ければいいかなと思っている。“遊ぶ”としたのは、真面目に参加している人たち二十数人の“同級生”には、申し訳ないけれど、気楽にYogaをやるのもいいのではないかという気持ちを込めたつもりだ。
 そして、本日の報告。新しく、男性の参加者が来て、男性が三人になった。最後に、感謝の気持ちを込めて言う、“ナマステ”という言葉が、素直に発することが出来た。
 相変わらず、カラダが痛い。しかし、いい意味での痛さだと感じている。


川口祐二 著『明平さんの首――出会いの風景
(「図書新聞」15.6.27号)

 著者は、巻末に付された履歴によれば、「70年代初め、いち早く、漁村から合成洗剤をなくすことを提唱。そのさきがけとなって実践運動を展開」し、「日本の漁村を歩き、特に女性の戦前、戦中の暮らしを記録する仕事を続けて」きたという。『島へ、岸辺へ』、『漁村異聞』、『光る海、渚の暮らし』、『潮風の道』、『女たちの海』(いずれもドメス出版刊)といった著書を並べてみただけで、著者の仕事の大きさを窺い知ることができるような気がする。
 本書の「あとがき」には、次のように記されている。
 「八〇歳を過ぎて、死に急ぐわけではないが、身辺整理をしなければという気持ちになった。今回のエッセイ集は、そんなことから編んだもの。今まであちこちに書いた小文の中で、これだけは残しておきたいと思うものを選んで一冊とした。」
 そして、作家・杉浦明平(1913〜2001)との交流について書かれた文章、三篇をその中心に据え、漁村をめぐる文章群が包みこむようなかたちで本書は構成されている。書名の「明平さんの首」とは、杉浦明平のために、生前、彫刻家・岩田実が作ったブロンズ像のことを指している。それにしてもと思う。そのブロンズ像の写真を表紙カバーに配置された本書を見て、わたしは、懐かしい名前に直ぐに惹きつけられてしまったといっていい。けっして、熱心な読者ではなかったが、わたしがかつて渉猟してきた書物の周辺、特に高橋和巳をめぐって、度々、その名前が現出してくる存在だったからだ。
 書名と同じ表題の「明平さんの首」という文章は、95年6月9日、「渥美半島の漁港、福江の町の古くからある旅館」で行われた杉浦明平の誕生会のことが活写される。前月に六〇年かけて完成させた大著『ミケランジェロの手紙』(翻訳版)の出版記念会も兼ねることになる。「集まる者は三〇人あまりで、中には名古屋から駆けつけた人も何人かいる。西からは私が一人、大半は地元の人たち」で、「明平さんの人柄に引きつけられて集まってくる」のだという。この会の時に「座敷の床の間に」飾られている「明平さんのブロンズ像」を著者たちは初めて見ることになる。
 「すばらしい首である。右横向きの顔に品格がただよっている。眼が鋭いと思った。」
 やがて、会の翌日、この「首」を著者たちが、明平さんの自宅へ運ぶことになる。旅館の二階から重い「首」を運び出す様子は、ブロンズ像であるにもかかわらず敬慕の念が滲み出ているように描出されていく。
 漁村にまつわる文章群は、どれも、著者の「海」への愛惜感が溢れていて沁みてくる。幾つかの言葉たちを引いてみたい。
 「海は漁業者の場とだけしか考えがちだが、決してそうではなく、『里海』としての視点が必要な時代になってきている。」「『海は人間の多様な営みを映す』といわれる。人間の暮らしを映す鏡である。海という鏡を照らすも曇らすも人間次第。『里海』として、すべての人びとが関わっていく、そのようなグローバルな視点が、今求められている。」「マダイはおいしいといわれますが、何はともあれ、母なる海が汚れていてはいけない、ということに尽きます。刺身として食べるということからも、海の水がきれいというのが基本です。漁場の安全が消費者の安心につながるのです。環境が資源だ、ということです。」「いずれにしてもおいしいスジアオノリが育つためには、清冽な流れが基本です。清冽な川の流れというのは、なんの抵抗もなく素足で入れる川、といえばよいでしょう。そのような川はそこに住む人が力を合わせて守っていく、環境づくりのための住民意識が、今求められています。」
 これらの言葉を放つ著者の視線は、普通に生きて暮らす地平からのものだ。声高になにかを主張するのではなく、自然なる声で発しているから、わたしには、名伏しがたい感動を喚起するのだ。「里海」といわれ、そうだ、そういう捉え方があっていいのだと思うし、「母なる海」といういい方もそうだ。そして、「刺身として食べる」というのは、「海の水がきれい」でなければならないという当たり前のことに思い至る。「なんの抵抗もなく素足で入れる」、「清冽な川」といういい方には、わたしたちの生きて在ることの根源を指し示していくかのようだ。3.11以後の現在にあって、その当たり前、普通であるべきことが、揺らいでいることに、わたしたちは、もう一度、考えていくべきだと思う。本書を読み終えて、あらためて考えたことだ。

(ドメス出版・発売 15.1.24)

 自分でも、不思議に思うのだが、Yoga教室に通うことを決めた時、マニュアル本を二冊(うち一冊はDVD付)、購入したのだが、実はあまり読んでいない。それに、Wikipediaをプリントしたが、これもしっかり目を通していない。Yogaの歴史や、意味、あるいは、宗教的な色合いとどう折り合いをつけるのかといったこと(オウム真理教との絡みでいえば、つまりオウム以後ということだが、Yogaを率先してやっていた人たちは、偏見の視線に曝されたことは、確かだ)など、まったく、こだわりもなくやり過ごしたかといえば、必ずしもそうではないが、とりあえずは、どんな予見も抱かずにYogaに向き合ったことは断言できる。それは、けっして、強がっていっているのではない。友人たちに、Yogaを始めたというと、“あゝ、あのオウムのか”という反応が何人からもあった。だが、オウムを狂信的な犯罪集団として断罪するだけでいっさい排除するという考えを、当時から、わたしは持っていなかった。自分自身、Yogaというものに、まったく偏見がなかったといえば、ウソになる。神秘性や、自己をめぐる観念の諸相に対する好奇心といったものをまったく持ったことのないわたしである。自分が在る、関係性が在るということは、実体性とともに観念性を孕むことであるということは否定しない。しかし、なんといっても、手触りの感覚こそがリアルなこととしてあると思いながら、わたしは年月を重ねてきたつもりだ。だから、Yogaも、わたしにとって、遠い存在としてあったのだ。それを、いま毎週一度、実践している自分を実に不思議に思う。
 まだ、わが教室の講師の方がいう、いうなれば、肩の力を抜き、気持ち良い呼吸をしながら自分の身体と同化していくという境地には、なかなか、なれないでいるが、それでも、まあ、遅々としたものでしかないが、少しでもそういうことになれればと、考えている日々である。
 だが、いまだに、最後にみんなで、“ナマステ”と言うことに、抵抗感を持つ自分がいることに茫然とせざるをえない。

 そろそろ、慣れる頃だろうと思わないわけではない。それでも、Yogaというものに関しては、慣れればいいというものではないだろうと、自分にはいい聞かせているつもりだ。毎回、少しずつ、違うバリエーションが挟まれる。その度に、うろたえてしまうから、自分の身体反応の鈍さには、情けなくなる。まあ、無理にうまくやろうなどということは、考えていないから、素直に反応出来る範囲で身体を動かすしかないと割り切っているつもりだ。
 しかし、一週間は早い。そして、今日で九回目となるのだが、半年ぐらいやっている感じがしてくる。考えてみれば、定期的に通って何かをするということを、これまで一度もしてこなかったから、一度も休まずに通っていることに対し、ほとんど、奇跡に近いことだとわれながら思う。Yogaを始めてみて、楽しいと思ったことは、いまのところ一度もない。むしろ、苦行に近いと感じながら動かしている時があるから、なぜ、休まずに通い続けているのか、自分でもよくわからない。まあ、教室の雰囲気が、わるくはないということに尽きるのかもしれない。今日も何度か、講師の方に、身体の動き方を注意喚起してくれるが、だからといって、落ち込むことはない。まあ、自分は身体を動かすことが苦手だったのだから、いろいろ指摘されても、納得するしかないのだ。
 それでも、身体的に、なにか、効果があらわれていることがあるのかなと思わないではないが、まあ、無心の状態で、とりあえず持続することに心がけようと思っている。


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