70年代に入ってからTVによって演芸の世界は、より身近なものになっていったように思う。誤解のないようにいえば、「笑点」などというスカスカの内容をもった番組(台本どおりとしか思えない大喜利のコーナーがなければ、とりあえずは当たり前の演芸番組として容認できるのだが)のことではない。いささか、脱線ついでにいえば、70年代初め頃、関西のバラエティ番組が東京で放映されていて、当時の関西若手漫才師・落語たちが総出演していて実に勢いがあって面白かったことを覚えている(さんまがデビューする以前)。話を戻そう。TBSテレビの深夜帯で落語百選だったか、題名が不確かだが、そういう番組をやっていて、欠かさず見ていた。10年以上の時間を経て、こんどは演者のパフォーマンスつきで落語の世界を堪能できたのである。志ん朝、小三治の若手から重鎮までほぼ主だった落語家は大体出演していたように思う。そのなかで、やはり圧倒的な力量を発揮していたのが六代目・三遊亭圓生だった。「猫忠」とかは、圧巻だった。落語は聴くだけのものではなく、見なくてはいけないのだと思ったのは圓生の見事な身振り手振りに感動したからだ。

 思えば初めて落語や漫才・漫談に接したのは、記憶としては小学生高学年の頃、TVがそれほど普及していなかった時代のラジオ放送によってだった。落語・漫才番組は歌謡番組とともに、最高の娯楽だった。もちろん、その頃は、たいして内容を理解していたわけではなかったし、ライブ放送独特の観客の笑い声とともに和やかな雰囲気に満たされていたに過ぎない(覚えているのは、志ん生をその頃聞いていて、なにを喋っているのかもごもごした感じが嫌だった。その時の刷り込みが後々まであって、いまだに、CDなどで志ん生を聴く気にならないのだ。その後分かったことだが、長らく病気がちだったようで、元気な頃はほんとうにすばらしい話芸だったようだ)。その後、NHKTVの大河ドラマが開始され、主演級はなぜか歌舞伎出身者で占められていくのと対照的に、バラエティ番組やドラマは、なぜか、落語家が活躍していた。例えば、『若い季節』の志ん朝、『ポンポン大将』の小金治、『お笑い三人組』の小金馬と、それだけで落語の世界を熟知していなくても、なにか親近感のようなもの抱く切っ掛けにはなっていったと思う。もちろん、当時(1960年代前半から、東京オリンピック前あたりまで)は、いわゆる、TV専門のタレントが育っているわけではなく、映画俳優は、まだ映画の世界にからくも留まっていたわけだから、落語家や漫才師たち(講談師たちも含めていい)が、メディアを席巻していくのは、当然のことだったといってもいい。だから、談志や円楽がTVをうまく活用して、脚光を浴び、落語の世界がいっきにメジャーなものになっていったのは、必然的なことといえるかもしれない。それから幾時間かを経て、わたしは、ひとりの噺家を知り、本来の話芸の醍醐味を知ることになる。

 比較的、新しい作品から渉猟していってみたい。まずは、短編集『男坂』(03.12刊)から。
 わたしにとって、いつものことながら、志水作品は読後、言いようのない余韻が残り、しばらくその状態を感受しつづけることを良しとしてきた。ほんとうは、このように、あれこれ言葉を連ねるのは、本意ではないが、このような場所があると、なにかを伝えたいという気持ちになってしまうこともまた確かなことだ。
 わたし自身、短篇という形態に親近感をもって接するといった読者ではない。ましてや、志水辰夫の読者としては、長い物語を読みたいと思っている。確かに、『いまひとたびの』で、志水辰夫の短篇世界の豊穣さに触れて、その後、志水作品の短篇世界に魅了されてはきたが、それでもやはり、『背いて故郷』や『飢えて狼』のような物語を求めてやまない。とはいえ、短篇だからといって、けっして断片のようなかたちで構成されているわけではない。そこでは、登場人物や背景を違えながらも、全体を通してみれば、連作短篇のように凝縮された物語をつくりあげているのだ。
 さて『男坂』は、これまでの作品集(そのことは、いずれ触れていくつもりだ)とは、いくらか雰囲気の違う要素がつめられているといっていい。「扇風機」の弘武、「再会」の高野聖、「あかねの客」の藤岡、いずれも本来なら忌み嫌われる像形(他の作者の作品であればということだ)であるにもかかわらず、志水の筆致にかかるとあまりにも〈哀しみ〉に満ちてくる。わたしの志水作品の読み方は、書かれていない多くのことを長い物語として、行間から読みとることだ。とすれば、本集に収められている「岬」は、志水辰夫の出自や亡くなった母(父は先の十五年戦争下での戦死者だ)のことを投影した作品として読みこむことができる。そして、なんといってもわたしは、その作品の終景にただ感動したということだけを、ほんとうは率直にいいたかっただけだ。



 ジャズを聴くようになったのはいつからだったろうかと考えると、なにかいいようのない想いが湧き上がってくる。誰にでもある青春期の残像のようなものを記憶として紡ぎださなければならないからだ。アドレッセンスとしてのジャズといえば、ありきたりないいかたでしかないかもしれないが、わたしの場合、確かにそうとしかいいようのない体験しかもっていないのだ。三十八年前、上京。住いは、国分寺。「野人舎」と、住人たちが勝手に名づけた古い長屋のようなアパートで暮らしはじめた。そこは、不思議な場所だった。まだ十八歳だったわたしが最年少で、最年長がたぶん二六、七歳で、一人を除き全員学生だった(ただし、予備校生はわたしだけだった)。アパートの住人たちとの交流は、いろんな意味で、わたしに大きな影響を与えてくれるものだったし、悲痛な感覚でいる自分を慰藉してくれる関係性だったといってもいい。しかし、実際は日々怠惰、日々惰眠という生活だった。そんなかで、なぜか、ジャズと、クラシック音楽をかかさず聞くようになっていた。やがて、近くに出来たジャズ喫茶店にほとんど毎日通うようになる。
 『M』という名のジャズ喫茶店は、普通の喫茶店がジャズを音楽として流し続けているといった感じの店だった。通いつめた目的はふたつ。モーニングサービスがあったことと、スポーツ新聞を見て、週末の競馬の馬券検討をするためだ。いつしか、店のマスターと親しくなり、わたしは、わたしの友人とともに一緒に飲みに連れて行ってもらったり、麻雀をしたり、競馬場へ行くようになった。そして、そんな関係から友人は、マスターの信頼を得て、『M』でバイトをするようになる。わたしは、依然、客としてふるまい続けていた。そんな中で、聴き続けていたジャズは、わたしにとって、日常的なものとなっていく。
 実はジャズに関してそれほど知識があったわけではなかった。それでも、知人をかいし、ふたりのジャズ・ミュージシャンを知ったことが最も大きな契機になったといってもいい。そのことで、ジャズがより身近なものになったのだ。それは、ジョン・コルトレーンとマル・ウォルドロンだ。故郷に帰った「野人舎」の仲間だった人が、雑誌「ジャズ批評」にコルトレーンに関しての文章を寄稿していた。その時点でわたしは、コルトレーンのことを知らなかった。シュティルナーの翻訳者、片岡啓治氏から、ウォルドロンを教えてもらった。コルトレーンのテナー・サックスからは、まるで、切ない歌〈声〉が聞こえてくるようだった。ウォルドロンのピアノの音は、まさしくビリー・ホリディの歌〈声〉を再現しているかのように思った。数年前、綾戸智絵のライブを聴いた。彼女の〈声〉は楽器を奏でているかのようだった。わたしにとって、ジャズとは、〈声〉だった。切なかったり、苦しげだったり、柔らかさだったり、様々な〈声〉だった。〈声〉はひとつの表明であり、意志であり、生き方だと思う。〈声〉は聞こえてくるものではなく、聴こうとするものであり、あるいは聴かせようとするものである。わたしは、そういう〈声〉たちの場所を求める。

 プロ野球の低迷(ということを前提にしているが、異論がある人はいないものと思われる。たぶん)の一番の要因は、MLB(メジャーリーグ・ベースボール)が、身近なものになったことだ。わたし自身も、野茂の渡米を契機として、頻繁に放映されるようになったTV中継によってMLBの面白さを知った。なにが、面白いのか問われれば、〈アメリカ〉という場所の“寛容さ”ということに尽きると思う。選手たちも、観客たちにもそれはいえる。米国にとって、ベースボールというものは、例えていえば、日本における大相撲(あるいは柔道)のようものだといっていい。だが、日本の相撲ファンや興業の担い手たちは、一定程度の外国人力士の活躍は容認できても、立て続けての横綱、大関の誕生、幕内優勝の独占を、快く思っていないはすだ。かつて、小錦は、あからさまな外国人差別によって横綱になれなかったことを告発していたものだ。ただ、大相撲の場合は、構造的な八百長相撲が、無くならない限り、かつてのような人気を回復することは出来ないだろうが。そして、もちろん、わが国のプロ野球にしても、外国人選手たちに対して、けっして寛容性をもって接しているとは思えない。いまでこそ、王は、国民的英雄とされているが、民族的差別のなかにいたことは、事実だった。その王の年間ホームラン記録を外国人のバースが破ろうとした時、明らかな妨害工作をしたという汚点があったことを忘れてはならない。さて、“寛容さ”について述べようと思いながら、いささか脱線してしまったが、歴然とした格差社会・差別社会である〈アメリカ〉という場所が、ことベースボールに関しては、極めて、“寛容さ”を発揮していると捉えることができる。もちろん、不変の自信のようなものが、そのなかには潜在しているといえないでもないが、それでも、東アジアの片隅に位置する列島の出身者たちが、ボールパークで活躍することに対して率直に賞賛する場面を、TV画像を通して、見るにつけて、“寛容さ”を思わざるをえない。

 志水辰夫の小説作品を、はじめて読んだのは、いつのことだったかはっきりと覚えてはいないが、『行きずりの街』が、刊行された後であることは間違いない(90年)。記憶を無理やり手繰り寄せれば、徳間文庫で『狼でもなく』(92年)が最初だったように思う。その後さらに、『飢えて狼』、『背いて故郷』を文庫本で読み、一気に志水辰夫の小説世界に魅せられていき、刊行されているすべての小説作品を読み通したはずだ。いまでは、わたしにとって、刊行された小説作品を必ず読了するただひとりの作家としてある(もちろん、寡作であることが可能にしているとしても、村上春樹、高橋源一郎、高村薫など、途中で読み飛ばしてしまう作家は沢山いる)。
 はじめは、いわゆるミステリー・推理小説というジャンルの中で、知って、そのつもりで読み始めたのだが、後に、ハード・ボイルド小説というジャンルに区分けされていることが、分かったのだが、わたしには、それはどうでもいいことだった。高村薫は、“わたしが書く小説は推理小説ではない”と、改めて宣明したように、作家にとって、ジャンルという枠は決していいものではないようだ。読者にしてみれば、入り口としてはいいのかもしれないが、わたしは小説作品に関しては、ジャンル分けは好まない。あくまでも、作家主義ということになると思う。なぜかくも、志水辰夫の小説世界に魅せられつづけて来たのかということを語っていくことで、志水辰夫の紡ぎ出す物語を紹介していければと思っている。

 プロ化され、TV中継(プロ化以前は、せいぜい天皇杯が正月に中継され盛り上がった程度だった)によってより広く伝播され、日韓共催WC開催によって、野球に変ってサッカーは完全に子供たち(むろん大人たちも)にとって一番の人気スポーツになった。大衆酒場で、相撲中継や野球中継を見ながら、にわか評論家になって盛り上がるといったことは、遠い昔の出来事になってしまったようだ(少なくとも、サッカー中継で評論家的視線で楽しく見ることは難しい)。確かに、野球に比べたら、サッカーの世界的な普及率は高い。しかし、どうもわたしは、サッカー・ゲームに感情を移入することができない。なぜだろう。個別的に選手個人の魅力というものを考える時、サッカー選手は、なにか画一的な感じがしてならないのだ。それは、試合の戦術化にあると思う。フォーメーションといって、三つの役割分担の選手配置を1−2−3−4とか、2−4−4とかをあらかじめ決めて行うことに釈然としないからだ。野球の打順や守備位置と似て非なるものなのだ。いや、いまここでいいたいのは、サッカーに対する疑念ではない。なぜ、かくも野球人気が低迷しているかということなのだが。サッカー人気が高まるにつれて、野球人気が下降気味である以上、やはり、サッカーについてなにがしかのことをいわずにいられないのだが、ここでは、これぐらいにして、このあと本論に入っていこうと思う。

 「理想」という言葉は、なにやら青臭いイメージが付き纏っているかもしれない。しかし、なんの衒いもなく率直にその言葉を発することができるとしたら、それは確かにすばらしいことに違いない。

  いまの僕は、人を評価する時「人間力」で判断します。人間力とは、理想の可能性を考える力があるかないかということです。ある職業に就いて10年、20年経てば専門家になれます。才能なんて意味がない。たとえば、学者を10年やったからといって偉いということはない。人間の理想とはなんだろう、あるいは、理想の可能性はどこにあるんだろうと考え、そういう道筋をつけながら自分の専門の職業に関わっている人の「人間力」を、評価したいと思います。(吉本隆明「『理想』の可能性」)

 八十歳を過ぎて、なおもこのように述べることができることに、わたしは深い感慨を覚える。「理想の可能性」といういい方、「人間力」という捉え方、そして、「職業」というイノセントなたて方、どれも、言葉が際立つということは、こういうことをいうのだ。
 そして、わたし自身はというと、まだまだ入り口で立ち往生しているに過ぎない。

同じく、文面2。

 『貸本マンガRETURNS』(ポプラ社刊)という本が出た。「貸本マンガ史研究会」の六人のメンバーが書き下ろしで執筆したものだ。
 わが国の高度成長期前、つまり、〈戦後〉という意識が依然、潜在していた時期の、十年にも満たない「貸本マンガ」隆盛期に焦点を当てて論じた本書は、戦後史を視角にした尖鋭な文化論だといっていい。わたし自身のことでいえば、ほぼリアルタイムで、白土三平の大著『忍者武芸帖 影丸伝』を貸本屋から借りて読了した。そして、当時、中学一年生だったわたしにとって、どんな文学作品や映画作品よりも大きな影響を与えてくれた物語作品だった。その後、白土作品を読むために『ガロ』を購読し、つげ義春、つげ忠男、林静一といった漫画家を知ることになり、わたしのアドレッセンス前期は、いわゆる『ガロ』系漫画に耽溺した時期だった。
 ところで、この本を契機として、ネット上である論争が生起している。NHKBSで放映されていた、漫画作品をテーマにした討論番組でたびたびコメンテーターとして登場している夏目房之介が、自身のブログ上でこの本の、〈戦後〉をタームにした捉え方に疑義を呈したのだ。わたしは、ややこじつけがましい夏目の視線は無視していい低レベルのものだと思ったのだが、当事者たちは、そうはいかないようだった。執筆者たちと夏目との激しい応酬が交わされていくことになった。夏目に数多くの漫画に関した著作があることは知っていたが、わたしは一冊も目を通したがことがない。BSの番組での夏目のコメントのあまりのつまらなさ(どうでもいいコマ割りに対するコメントが象徴していた―もちろん、コマ割りは漫画論の重要な視点ではあるが、夏目の論点は、自身の分析にただ悦に入っているといった空疎なものであった)に、辟易したからだ。
 ようするに、この論争、漫画に対するイノセントなスタンスの違いだといえる。「貸本マンガ史研究会」のメンバーは、ほんとうに漫画(貸本マンガ)というもの対して愛惜溢れる思いを抱いているのだ。夏目には、それがない。漫画評論・研究をただ生業にしているだけの視線しかもっていないのだと、わたしはみている。(06.4.23記)

ブログをこうして開始する前に、実は、トレーニング的な公開日記をやった。以下はその文面・1。

日々のことを記すのは、やはり逡巡する。メモ程度に出来事だけを記述するということを、これまでやってきたとはいえ、いざ、身辺についてなにかを記述するというのは、気が重い。……仕事で、2000字ほどの文章を書き終えたこともあって、どうも気の効いた言葉が出てこない。要するに、こんな(失礼!)、公開を前提とした日記(ブログの類い)が、伝播し、支持されていることに戸惑いつつ、自分までもそれに乗ってしまったことに驚いている。
とはいえ、とりあえず、着手した以上、何かを記さねばと思い、考えついたのは、TV画像に映った、小泉と小沢についての所感を述べてみることだった。つまり、例の千葉の参院補選のことだ。ワン・フレーズのコイズミは、いつになくボルテージがあがっている。まもなく首相・総裁(本当かな―続投も何パーセントかはありそうだが)の座を辞す予定の人物とも思えない沸騰の仕方だ。憎き田中派の最後の象徴と認識しているからだろう、なりふり構わない、小沢個人攻撃だ。それは、彼の皮相さを表わしているといってもいい。一方、小沢は、わたし変わりましたスタンスだ。しかし、よく見ると、なにも変えていないことが、よく分かる。そこが、彼らしいところだといっておこう。
いったい、なにをいいたいのかといえば、結局、デモクラシーというものは、選挙によって民意が反映されるものだと、思うことが、既に崩壊したテーゼであることを、了解すべきだといいたいのだ。みんなに(特に千葉の選挙区の人たちに)、棄権を呼びかけたい。そして、投票率、50%を切った選挙はすべて無効にして、その選挙区の議員をゼロのままにしておくということだ。それが、最も民意を反映したことになる。政治家なんて、一人もいなくても、わたしたちは生きていけるのだから。(06.4.21記)


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