そろそろ、慣れる頃だろうと思わないわけではない。それでも、Yogaというものに関しては、慣れればいいというものではないだろうと、自分にはいい聞かせているつもりだ。毎回、少しずつ、違うバリエーションが挟まれる。その度に、うろたえてしまうから、自分の身体反応の鈍さには、情けなくなる。まあ、無理にうまくやろうなどということは、考えていないから、素直に反応出来る範囲で身体を動かすしかないと割り切っているつもりだ。
 しかし、一週間は早い。そして、今日で九回目となるのだが、半年ぐらいやっている感じがしてくる。考えてみれば、定期的に通って何かをするということを、これまで一度もしてこなかったから、一度も休まずに通っていることに対し、ほとんど、奇跡に近いことだとわれながら思う。Yogaを始めてみて、楽しいと思ったことは、いまのところ一度もない。むしろ、苦行に近いと感じながら動かしている時があるから、なぜ、休まずに通い続けているのか、自分でもよくわからない。まあ、教室の雰囲気が、わるくはないということに尽きるのかもしれない。今日も何度か、講師の方に、身体の動き方を注意喚起してくれるが、だからといって、落ち込むことはない。まあ、自分は身体を動かすことが苦手だったのだから、いろいろ指摘されても、納得するしかないのだ。
 それでも、身体的に、なにか、効果があらわれていることがあるのかなと思わないではないが、まあ、無心の状態で、とりあえず持続することに心がけようと思っている。

 なぜか、カラダの反応は、微妙にその時々の状態を示しているような気がする。なんのストレスもなく、体調的な不具合もないのに、うまく反応しないということがあるということだ。先週出来た片足立ちが、今日は、全然駄目だった。それと、終った後、それほど疲れた感じはしなかったが、帰宅後、夜まで、思いのほかカラダに疲れが残っている。Yogaというものは、つくづく不思議な行為だと思いつつも、いまごろになってカラダを酷使(!)することに、わが身体が、どう反応していいのかわからないのかもしれない。とはいえ、一週間という時間が過ぎて、火曜日になると自然にYoga教室へ行こうとする自分がいることを認めざるをえない。わたしは、運動系はもちろんのこと、みんなでなにかを一緒にやろうといったことをなるべく避けてきたといっていい。例えば、読書会とか研究会といった類のものに参加したことは、これまで、一桁の前半の数字の回数だ。
 いま、わたしたちが参加しているYoga教室は、講師の方や参加されている方たちには申し訳ないけれど、あまり、気を使うことなく気楽に参加できる雰囲気を漂わせているからだと思う。もしかしたら、Yogaというものは、一人ひとりの気楽な振る舞いを許容してくれる行為なのかもしれないし、講師の方の強制するわけではない、一人ひとりの行為を尊重する姿勢によるからといえなくもない。
 うまく(どういう状態を、そのようにいうのかはわからないが)、やる必要はないにしても、どこかで、少しだけ、動きと息遣いのバランスだけはどうにかしたいと考えている。
 結局、また来週になれば、冷静な感覚を忘失し、四苦八苦するに違いないが。

 今日は、サンダル履きで向かった。妻が、下駄の音がうるさいというからだ。たぶん、脚力のオトロエ(当然のことだ)が、下駄に負荷が掛かって来たからではないかと思う。以前は、下駄で歩くことの爽快感のようなものを感じていたのだが、このところ、確かに下駄ばきで長い時間歩いていると足がだるくなってきていたのだ。もしかしたら、サンダルの方がYogaに際し、いいかもしれないと、あざとく考えて決断(大げさかもしれないが)したことになる。そんな、ちょっとしたことで、辛さを軽減できるのではないかという魂胆が、実は、今日はヨカッタのだ。片足で立つポーズが二回あるのだが、最初の方で、ともかくも、片足で立てたのだ。そんなことぐらいで喜んで、どうするのだといわれそうだが、自分では、結構、感動したのだが、なんのことはない、重心の掛け方に少しだけ気を付ければよかっただけなのだ。後の方の片足立ちは、完全に諦めている。わたしと同じように断念している人たちも何人もいたから、めげることはないのだ。なんだか、だんだん、後ろ向きの記述になってきたから、やめよう。それにしても、参加者がこのところ20人ほどで一定している。続けていくことは大事なことだといいたくなる。なんだか殊勝ないい方に聞こえそうだが、とにかく、持続させることと自分に言い聞かせながら、カラダを動かしていこうと思っている。

佐藤忠男 著『独学でよかった――読書と私の人生』
(「図書新聞」15.5.30号)

 本書は、映画評論家・佐藤忠男(1930〜)が自伝的に読書遍歴を綴ったものだ。
わたしは、七〇年前後、日本映画に関していえば、東映任俠映画(遡って幾つかの股旅映画作品も含む)を中心にして、かなりの本数を観ていた。監督でいえば、加藤泰、鈴木清順(日活)ということになる。自分が共感を持って観ている監督とその作品がどのように評価されているのかということを必然的に知りたくなり、映画雑誌を手に取り、そのなかで佐藤忠男を知ったことになる。例えば、1970年度の『映画評論』誌、日本映画ベストテンで佐藤は、一位を『エロス+虐殺』(吉田喜重)、以下、『戦争と人間』(山本薩夫)、『無常』(実相寺昭雄)、そして四位に加藤泰の『緋牡丹博徒 お竜参上』を挙げている。ちなみに五位は『日本解放戦線・三里塚』(小川紳介)である。わたしなら忌避したい山本作品に高い評価を与えながらも、『お竜参上』や『三里塚』へも評価の視線を向ける佐藤の映画観にわたしは、不思議な感慨を抱いたものだったが、後に、幅をもって横断させていくのが佐藤忠男の映画的視線であることを理解していったといっていい。八〇年代、わたしは、台湾映画を中心にアジア映画と括られる作品群を熱心に観ていたが、これは佐藤忠男に誘われたからだと付言しておきたい。
 ところで、本書の表題の「独学」には、あるイメージがいやおうなく付いている。つまり、著者が述べるように、「独学と苦学はほぼ同じ意味で使われていた言葉だった」からだ。
 「私は苦しんで勉強したことは一度もありません、電気工や電話機修理工として働きながら本を読んだり論文を書いたりしていただけで、アルバイトもしていないし、徹夜で受験勉強をするというような苦しい勉強の経験もありません。」
 つまり、「好きなことを好きなように」、読書や研究をしていたということになる。それは、自分の興味や関心があることにたいし、確信しながら進んでいっただけなのだといいかえてもいいかもしれない。著者が少年期の頃は、戦前時だったから読むものがけっして豊饒にあったわけではない。それにもかかわらず、貸本屋から借りて「少年倶楽部」系の小説を熱心に読んでいたという。やがて敗戦後の青年期を迎えると多くの本とともに、戯曲集、そして映画の面白さに惹かれていく。
 「映画を深く考えるためには、映画に描かれた社会や人間を理解する必要があると思うようになり、社会学や心理学や歴史の本も読むようになり、また、映画の芸術としての側面を考えようと思って、芸術学や美学、記号論、などの本を読んだ。」
 二十歳前後のことである。関心というものは、様々に繋がり広がっていくことで、それぞれのことが、さらに深く理解できるようになるものなのだ。まさしく独学的読書遍歴のそれが核心であると思う。無意識の中で醸成されていく「知の広がり」は、意識的に上昇志向のようなかたちで受容していくよりは、はるかに血肉なっていくものなのだといいたい気がする。
 やがて、「キネマ旬報」や「映画評論」といった映画誌に投稿していくなかで、「思想の科学」という雑誌を知る。そして、「四十枚余りの『任俠について』という論文を書いて送」り、採用される。それは、鶴見俊輔との出会いという大きな契機であったとともに、「文章で身を立て」ることへの始まりとなっていく。
 著者の仕事は、いうまでもなく映画以外の幅広い領域に渡っているが、やはり映画に関しての著者の視線は、わたしを啓発してくれるものだ。
 「はじめて見たときから私はこの映画に大きな違和感も持っていた。侍たち七人が、それぞれ程度の差はあっても、すごい大人物、驚くべき勇士、立派な男、少なくともいい男として個性的に描き分けられているのに、百人ほどもいる百姓のほうはもう、長老がちょっと風格と分別のある知恵者であり、若者のひとりに妻を野伏せりたちに拉致されていることから血気にはやりがちな男がいる以外は、おしなべてみんな、なにをしていいか分からなくて右往左往している。」「侍たちの指導が良くて百姓たちはよく組織されて集団で戦えるようになるのだが、しかしそんなはずはないのではないか。侍がそんなに立派で百姓はみんな武器の扱いひとつ知らないというのはおかしいのではないか。(略)日本の時代劇の歩みのほぼ全体に一貫してきた偏見が生み出した歪みではないか。そう思ったのである。」
 「この映画」とは、黒澤明の『七人の侍』のことである。オールタイム日本映画ベストテンなどで、必ず一位に選ばれる作品だが、わたしも、著者と同じくこの作品を評価しない。ラストの場面で志村喬に「勝ったのはあの百姓たちだ」と語らせることに、空々しさしか感じられなかった。だからこそ、佐藤忠男の映画的視線を、この『七人の侍』へ向けた評言で、充分象徴できるはずだ。

(三交社・発売 中日映画社・発行 14.11.29)

……前回、君と話した時、相米慎二の『東京上空いらっしゃいませ』で牧瀬里穂がジャズふうのアレンジで唄う最後のシーンを話題にしたけど、牧瀬の歌唱の吹き替えを担当したという小笠原みゆきの音源があるのが、わかったよ。君との話をアイドルおたくの年少の友人に話したら、CDアルバム『アイドル・ザ・ムービー サウンドトラックコレクション』というのを教えてくれたんだ。現物を見てないから、タイトルを聞いただけで、よくそんな企画で出せたとものだと思ったよ。まあ、君はVHSテープを持っているのだから、繰り返し再生して聞けばいいわけだけどね。
――実は、あの後、僥倖ともいえる出会いがあってね、Netに詳しくない君には説明しても理解できないと思うので省略するけれど、思い立って、amazonを検索してみたら、君のいうCDアルバム『アイドル・ザ・ムービー』というのを、僕も発見したんだ。それで、早速、購入したよ。ほんとうは、本来のジャズナンバーのものが欲しかったけど、仕方がないね。
……amazonぐらい、俺だって知ってるぜ。
――僕は、ともかく、amazonの情報に小笠原みゆきさんの名前があったので、どんな内容かは度外視して入手したということになる。現物を見て、驚いたよ。95年に出されたものだけど、確かに君がいうように、よくこういう企画で出せたなと思う。しかも、ジャケットと帯というのかな、それらを見て、よほど、マニアックなアイドル映画ファンでないと購入しないのではと思わせるデザイン(内容告知も含め)なんだな。いや、アイドルが歌を唄っているのなら、ファンは買うかもしれないけれど、基本的にサウンドトラックだから、インストルメンタルなんだよね。唯一、歌があるのが、『東京上空』ということになる。
……どんな、アイドル映画が取り上げられているのかな。
――松竹百年ということで企画されたものなので、85年から95年までの松竹作品ということになる。以下、列記してみると、『キッズ』(監督・高橋正治、音楽・ミッキー吉野、主演・早見優、85年)、『アイドルを探せ』(監督・長尾啓司、音楽・新川博、主演・菊池桃子、87年)、『Let’s豪徳寺』(監督・前田陽一、音楽・ミッキー吉野、主演・三田寛子、87年)、『この愛の物語』(監督・舛田利雄、音楽・久石譲、主演・藤谷美和子、87年)、『東京上空いらっしゃいませ』(監督・相米慎二、音楽P・安室克也、主演・牧瀬里穂、89年)、『真夏の地球』(監督・村上修、音楽P・日永田広、主演深津絵里、91年)、『満月 MR.MOONLIGHT』(監督・大森一樹、音楽・笹路正徳、主演・原田知世、91年)、『シュート!』(監督・大森一樹、音楽・土方隆行、主演・SMAP、94年)、『時の輝き』(監督・朝原雄三、音楽・西村由紀江、主演・高橋由美子、95年)となる。相米と並んで舛田利雄、前田陽一、大森一樹らの名前があり、なんとも、当時の日本映画の情況が垣間見えてくるかのようだね。85年という年は、僕にとって、もっとも共感してきた加藤泰さん(81年の『炎のごとく』が最後の作品)が亡くなった時だし、加藤さんと並んで同じように追認し続けてきた鈴木清順さんが『ツィゴイネルワイゼン』と『陽炎座』で、見事に復活したにもかかわらず、やや不満な『カポネ大いに泣く』(その後、新作は、91年の『夢二』まで待たなければならなかった)が上映された年でもあったな。85年の日本映画を僕なりに概観すれば、森田芳光の『それから』という傑作を筆頭に、相米の『ラブホテル』(『台風クラブ』や『雪の断章―情熱―』も同年の上演作品だが、『ラブホテル』の方がはるかにいい)、澤井信一郎の『早春物語』、神代辰巳の『恋文』、柳町光男の『火まつり』、井筒和幸の『二代目はクリスチャン』だね。
……おいおい、俺は、全く評価していないが、世界のクロサワの映画もその年ではなかったか。
――そのようだね。『乱』だっけ。後年、テレビかレンタルで見たのか、忘れたけれど、あまりの退屈さで、途中で止めたのを覚えているよ。黒澤作品に関していえば、共感した作品はまったくないね。僕にとっての日本映画は、70年前後の東映任侠映画と若松プロのピンク映画に凝縮されていたから、それらの幻影を求めて映画の旅を続けていたようなものだった。
……そういえば、君にとってアイドル映画といえば、山口百恵と三浦友和が共演した、いわゆる百友映画だろう。
――そうだね。70年代中頃から末にかけてということになる。最初に見たのが、『伊豆の踊子』(監督・西河克己、74年)だった。ほとんど、見ているけれど、『潮騒』(監督・西河克己、75年)、『春琴抄』(監督・西河克己、76年)、『霧の旗』(監督・西河克己、77年)、『天使を誘惑』(監督・藤田敏八、79年)といった作品は、同時期に封切られた日本映画のなかでも傑出したものになっていると断定していいと思うよ。
……そうかい、君に百恵を語らせたら、終わりそうにないし、本筋から離れそうなんで、肝心のそのCDは聞いてみてどうだったんだい。
――『東京上空』以外の映画は、見てないから、作品に関してはなにもいうことはないけれど、サントラ磐として聴く限り、しっかりしたインストメンタル・アルバムだといってもいいよ。ミッキー吉野、久石譲、西村由紀江といった作曲家たちの音楽は、さすがに聴かせるね。例えば、映像を見て、音楽を聴くというのと、音楽を聴いて映像をもう一度、想起するという行為は、共感していればするほど、さらに新たなイメージを醸し出すものだと思う。つまり、作品が良ければ音楽がいいといえるし、音楽だけを聞いていて、音楽の深さがあるからこそ、映像も際立っていくのだとあらためて思うものだ。この『東京上空』は、文夫(中井貴一)が、トロンボーンを演奏するシーンが何度か出てくるが、最後のパーティーシーン以外、それほど、印象深いというわけではなかったけれど、このCDに収められているトロンボーンは音が、実にいい。この曲があるから最後のシーンに感動するんだなと、思い返すことができた。そして、映画を見ているときは、明らかに牧瀬の歌唱ではないということがわかるので、小笠原さんの歌唱とアレンジの素晴らしさを聴くことになるわけだけれど、このCDを聴いていると、不思議なことに、一瞬、牧瀬里穂が唄っているような気がしてくるんだな。特に、ジャズ風になる前の出だしのところとか。そして、当然のことながら、やはり、パーティー会場でユウが唄い踊るシーンが、くっきりと思い出されてくる。サントラ磐を聴いていても泣けてくるね。
……ようするに、なにもかも、この映画が好きなんだよ君は。26年という長い年月を経ても。

 今日は、めずらしく余裕を持って家を出て、ゆっくり歩きながら、スポーツセンターへと辿り着く。早朝、雨模様だったので、また、火曜日が雨かと思ったのだが、曇り空ながら、蒸し暑い気温のなかを歩いたことになる。先週の金曜日から昨日まで、某所で過ごし、なんとなく気分が落ち着いた感じで、今日を迎え、Yoga教室に入ったのだが、どうも、身体がだるい。毎回そうなのだが、少しずつ、新しいメニューが挿入される。それが、実にアクロバティックなポーズで、どうにか、やり過ごすのだが、そのうちに、身体全体が重い感じがしてならない。つまり、こうだ。そもそも、身体を動かすこととか、スポーツ的な行為(卓球教室なるものに、数回、通ったぐらいなのだ)をいっさいやったことのないわたしが、65歳にもなって、Yoga教室に通うなんて、無謀なことだったのだ。高を括っているわけではない。なんとかなるだろうぐらいの楽観的な思いがないではなかった。イメージしていたYoga的ポーズができるわけではないことを前提のうえで、自分でできる範囲でやってみようと思ったに過ぎない。
 しかし、今日は、ともかく身体が重くて、辛いのだ。なんのことはない、某所で過ごした間のことが問題だったのだ。じつは、かなり高台に住まいがあって、バス停や買い物の場所には、住まいから行く場合(以前は車を持っていて妻が運転していたのだが、何年も前に、車は処分し、やがて妻も運転を止めることにしたのだ。自宅から某所へは、3時間かけて、電車とバスとTAXIを利用して出かけている)は、ほぼ、15分ほど、下っていき、帰りは、20分以上登って行くことになる。初日、バスで某所がある場所に着いた時は、買い物をした後、飼い猫も一緒なので、TAXIを利用して、登る。帰途は、荷物をリュックに入れ、猫の籠を持ちながら、バス停まで歩いて下っていく。結局、その時の筋肉疲労が快復しないまま、Yoga教室に行ったことになる。
 身体の衰えを嘆いているのではない。猫だって、この間の往復で疲れ切っているのに、自分たちは、普段と変わらない気分で教室へと出かけたのであれば、少々、楽観的過ぎたということなのだ。今後も、スケジュール的に同じパターンがあるはずだ。思案のしどころというべきか。終了後、例のごとく、マットの片づけに専念する。
 今日の、講師の方との応答は、こうだ。なんか、物足りないのでは、ありませんかと問われる。きっと、辛そうな顔つきが、不満そうに見えたのだろうか。そんなことはないな。妻は、講師の方の外交辞令だよという。そうかもしれない。わたしは、すぐに講師の方に切り返すことを忘れなかった。とんでもありません。お腹がいっぱいで、はちきれそうですと。いま、こうして、記してみて、どうにも慌てふためいた結果の陳腐なメタファーだったなと、後悔している。

 連休のため、二週間ぶりのYoga教室である。今日は、前回よりやや少な目で十五人ほどか。今回は、教室内の場所を思いきって変えてみた。いつも、入り口の近くで、新参者ですが、よろしくお願いしますといったところで、やっていったのだが、奥の方へと移動し、これまでと講師の方の動きを反対側から見る位置になった。だからというわけではないが、幾らか、スムーズに体が動くような感じを持ったのだが、冷静に考えれば、そんなことはない。そういえば、講師の方がいつもいう、他人と競うことなく、自分のできるかたちでやってくださいという言葉の内奥が、だんだん、身に付いて来たように思う。うまくやろう(そんなことは、もともと100%無理なことなのだ)とか、うまく出来ないのが恥ずかしいとか、女性が多いから、気が重い(男だけの方が、もっと気が重いとは思うが)といったことが、あまり感じなくなってきたのは、確かだ。身体の幾らかの慣れと場所の雰囲気への素直な感応のようなものが出来つつあるのかもしれない。これは、講師の方の気さくな立ち位置に接しているからだと思う。ともかく、なにかを始めた以上、あれこれ考えずに、淡々と素直にやればいいだけなのだと、自分自身に言い聞かせている。いい聞かせなくても、淡々と出来るが日が訪れるかどうかは分からないが。

有馬 学、マイケル・ピアソン、福本 寛、田中直樹、
菊畑茂久馬 著『山本作兵衛と日本の近代』
コロナ・ブックス編集部 編『山本作兵衛と炭鉱の記録』
(「図書新聞」15.5.9号)

 山本作兵衛(1892〜1984)は、福岡県で生まれる。父が炭坑夫であったため、「入坑する父母を手伝い、家族ともどもヤマを転々と」し、「高等小学校への進学をあきらめ」炭坑夫となり、以後、筑豊の炭鉱で炭坑夫や鍛冶工で働き続けた。55年、閉山で解雇された後、資材警備員や宿直員をしながら、「子孫に炭鉱の姿を描き残すため」絵筆を取るようになり、「亡くなるまでに残した記録画は一〇〇〇点を超えると言われ」ている。そして、筑豊の炭鉱の歴史を絵筆によって伝える貴重な記録として「田川市と福岡県立大学が所蔵する記録画五八九点、日記や雑記帳など計六九七点が、二〇一一」年に、国内では初の「ユネスコ世界記憶遺産に登録され」(『山本作兵衛と炭鉱の記録』、以下、『炭鉱の記録』と記し、『山本作兵衛と日本の近代』は、『日本の近代』とする)る。
 石炭産業は、一八世紀、イギリスの産業革命の勃興とともに大きな役割を担うことになる。しかし、その後、石油エネルギーによって、その位置は大きく後退していく。59〜60年にかけての三池争議に象徴されるように、石炭産業の経営悪化が人員整理などの合理化を進めていくなかで、炭鉱の閉山が加速されていった。その結果、炭鉱によって支えられてきた市町村が、閉山によって、行政体として立ちいかなくなるという事態を招来していった。日本の炭鉱は地層構造的に過酷な工事を強いられるため、その労働条件は、極めて劣悪であった。軍事大国として欧米諸国と対峙していく基盤形成のためにも石炭産業は大きな意義を持っていたわけだが、同時に、そこで働く多くの人々に経済的保障を与えていたことは、確かなことでもある。だからこそ、作兵衛の記録画というのは、働く人々の姿が直截に写し出されているとともに、炭鉱が位置付けられてきた歴史をも投影されていると見做されてきたといっていい。
 「山本作兵衛さんの絵画が非常に幅広い対象を描き、それが炭坑夫の共同体の世界を描いている点に私は非常に感銘を受けています。外部の人間がよそ者の目で見たのではなく、炭坑夫という、その直接の体験をした人間が描いているところがすばらしいわけですが、決して過去を美化するような描き方ではありません。いいことも悪いことも全部含めて描いています。そして私の目から見ても、筑豊の現在の共同体の人々が持っている率直な気質、足が地に着いた生き方や非常に我慢強い性格、そういったものも含めて描かれていると思います。現在も筑豊の人たちが誇りに思っているようなものを表しているのが山本作兵衛さんの絵であり、その物的な証拠になっているのではないかと思います。」(マイケル・ピアソン「山本作兵衛―世界記憶遺産と世界遺産をつなぐもの」―『日本の近代』)
 『炭鉱の記録』には、作兵衛の「絵」を中心に、炭鉱労働経験者による「内」からの作品と画家が描いた「外」から作品、そして、「写真」や「ポスター」など、炭鉱をめぐる多彩な表現が収載されている。原田大鳳の「絵巻」は、過酷な労働という雰囲気は感じられず、どこか郷愁感のようなものが横断している。山近剛太郎の「絵」は、鋭い筆致と暗い色彩が、ある種のリアリズムを醸し出しているが、モチーフと描き手との距離感を見ないわけにはいかない。作兵衛の「絵」は、けっして巧さを感じさせるわけではないが、ナイーブな描線と描かれた人々の表情の画一性に記録するという強い意志が漂っていて、それが、深い感銘を与えることになる。ピアソンが指摘するように、共同体への共鳴が作兵衛の中に絵を描くときに湧き上がってくるからではないかと思えてくる。
 「かつて、負の遺産でしかなかった(略)エネルギー革命による石炭産業の崩壊以後、あるいはそれ以前についてでも、暴力的な支配、あるいは極端な労働者への抑圧、そういったものを中心に筑豊を語る語り方というのがあったと思います。そういうかつて負の遺産でしかなかった石炭や炭鉱に対して、新たな視線、まなざしというものが、近年現われてきているような気がします。」「私はそこに作兵衛さんの絵の特徴としての『肯定』ということを見たいんですね。作兵衛さんの絵は菊畑(引用者註=上野英信とともに一早く評価し、山本作兵衛の一番弟子を自称する美術家・菊畑茂久馬)さんが早くに指摘されたように、(略)筑豊がもう根底から解体されていく真っ只中で、その現場で描かれた。つまり作兵衛さんにとっては、まさに負の遺産を目の前に置かれたような状況で描かれたんですね。作兵衛さんの絵にはそうした事情に対する怒りや告発、あるいは悲しみやあきらめといった感覚とは違うところがあるように思えてなりません。それを私は、負の遺産に向けた、すべてを了解したうえで包み込む『肯定』のまなざし、というふうに考えてみたいわけです。」(有馬学「結びにかえて――〈方法〉としての山本作兵衛」―『日本の近代』)
 ここでいう、「肯定」のまなざしは、自分が生きてきたことへの「肯定」ということに他ならないと思う。作兵衛の「絵」は、親たちや自分、仲間たちが炭坑夫として筑豊という共同体の中で生きてきたことへの「肯定」のまなざしがあるから、「記録」を越えた表現として、わたしたちの感性を突き動かすのだといっていいはずだ。

『山本作兵衛と日本の近代』(弦書房・14.8.8刊)
『山本作兵衛と炭鉱の記録』(平凡社・14.12.19刊)

 昨夜は、遅くまで友人たちと飲んで、今朝、やや二日酔いの状態で、Yoga教室へ向かうことになった。先週か、先々週だったか、講師の方が、今日は二日酔いでといいながら、いつも通りの見事なレクチャーをしてくれたので、終った後に、率直に思ったことを、聞いてみた。初めは、なんか、快復してくるような気分がしてきたけれど、後半はきつくなって大変だったと。講師の方いわく、ひねりのポーズは効きますが、片足で立つポーズは、厳しいかもしれませんねと、仰る。そういわれて、驚いた。通常でさえ、片足で立つなんて、とてもじゃないが無理なのに、今日は、堂々と手抜きをしたのだ。丁度、講師の方が、わたしたちに対して後ろ向きになっていたのを幸いに。わたしは、表情ひとつ変えずに、そうですねという感じでうなずいたのだが。
 今日も、率先してマットを片づけることに徹した。別に、格好をつけているわけではない。せめて、それぐらいのことしか、いまは、Yoga教室に通っていることの意味がないからだ。わたしは、なにかを極めようとか、なにかを達成したいとか、これまで思ったことがない。ましてや、健康のためというように、なんとかのためというのが、最も嫌なことだと思っている。
 自分が生きて在ることは地続きのことだから、日々のことを、つまり、一日一日を刻むということをしたいだけなのだ。Yogaも、酒を飲むことも、本を読むことも、映画を見ることも、人と語ることも、わたしは、すべて同じこととして考えている。
 だが、それにしても、Yogaは、わたしにとって、まだ、ハード過ぎる。それをどう、力まずにやれるかということ、それが肝要なのだと思うのだが。

 どうしても21日中に仕上げねばならないものがあって、半徹夜状態で、今朝、終ったところだ。だから、いま、昨日のことを記していることになる。二回とも、ほぼ帰宅とともに記していたから、新鮮な記憶のもとに文章を紡ぎだせていたが、一日近く経つと、もう怪しくなっている。背中がやや痛いことと、足がだるいぐらいで、昨日の痕跡は頭の中にもあまり残っていない。困ったものだ。どうにかして、何行かでも記してみるつもりだ。三度目の正直というのか、昨日は、久しぶりに晴れた状態で、余裕を持って家を出たから、心地よい散歩の気分で、市民スポーツセンターに着いた。参加人数は、これまでの最高で二十人近かった。定員が二十五名のようだから、かなりの出席率ということになる。淡々と進んでいくうちに、講師の方が、新しく参加した方に、Yogaは競い合ってやるものではないから、きれいにやろうとか、うまくやろうとは思わず、自分なりに出来る範囲でやってくださいと、軽い感じで注意喚起する。確かに、そう思うのだが、やはりなんとか様になるポーズをやろうとする。そうすると、また、足がつってしまった。ふと、思ったことだが、できないかたち(ポーズ)を無理にやることはないのだから、手抜きをしてもいいのではないだろうと思ってしまうのだが、それは、やはり、いけないことなのだろうか。


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